贈り物さがし
春のあけぼのを受け取って家に帰った美咲は、不機嫌な叔母にやつあたりされて家事に追われていたため、用事を終えるとベッドに倒れるようにして眠ってしまった。
香水瓶は大切に机の引き出しにしまっておいて、あくびをしながら登校する。
(おきつねさんへのお礼の品物、なにがいいだろう?)
足早に歩きながら、考える。
いつも、電車を使わずに二駅分ほどを歩いて移動している。
その区間の交通費をこっそりと貯めて、季節限定の文房具を買うのがほんのささやかな楽しみなのだ。
娯楽のためのお小遣いは一切与えられていない。
(学校に行ったらお気に入りの雑貨があるんだけど……使いかけをおきつねさんに渡すことなんてできないし。なにか、新品の物を買おう)
ぐっ、と足に力を込めて歩く。
ピンク色の桜が咲いている特別な場所ではゆっくりと歩き、上を向いて顔をほころばせた。
*
沖常は『春の思い出の付箋』を数枚重ねて、薄墨液に漬ける。狐火で乾かして、効果を高めた。
そっと付箋をひたいに当てて、美咲が来店した時のことを細かく思い出す……。
すると、ふせんの色がほんのりと淡い桜色に染まる。
小冊子を棚から取った。中はただの真っ白な紙だ。
先ほどの色付いた付箋を貼ると、なんと、出会いの記憶が文章として浮かび上がった。
文豪を思わせる確かな筆力で、情景が鮮やかに書かれる。
「よし」
満足そうに狐耳を揺らして、沖常はほんの9ページほどの読書をした。
「…………俺があまりに単純に喜びすぎではないか?」
弾んだ声で、とか、心の高揚を抑えきれず、だとか書かれてしまっている。
沖常はなんだか気恥ずかしくて唇を尖らせた。
「だって喜んでたし」「誠に真実」「語呂がいい」「採用」と狐火がこそこそ言う。
無視して、沖常は美咲にもらった桜の保存方法について悩み始めた。
「……押し花のしおりにしようか。この冊子にしおりを挟んでおけば、なお情景が思い起こされてよいではないか?」
「「「「採用!」」」」
このアイデアは狐火たちにも支持されて、同意の声が聞こえてくる。
沖常が指示すると、狐火たちは道具箱に飛んでいってそれぞれ材料を持ってきた。
「彩色のスポイト、鏡蜘蛛の薄衣。押し花用の分厚い本に、リボン。うむ」
沖常はまず、桜の色をスポイトで吸い取る。花びらが真っ白になった。
スポイトの中には、桜色が揺れている。
それから鏡蜘蛛の薄衣に白桜を包んで、分厚い本の真ん中に挟んだ。
「さぁ、あとは桜が押し花になるまでのんびりと待とう」
ツヤのある押し花になったら、桜に改めて色を注入すると綺麗な色が保たれる。
リボンはあとでしおりにつければ、目印になる。
沖常はとんとんと指で本の表紙をつついた。
やんわり目を細める。
「……いやはや、俺の仕事が反映された現世のものを見るのは、いつぶりだろうか?
長らく外出をしていなかったからなぁ。せかせか動く人々の中に紛れると目が回ってしまいそうになるんだ」
沖常は呟くと、部屋の障子を開けて、広々とした中庭を眺めた。
ここは現世ではない、特別な隔離空間だ。
神の庭。
鮮やかな桜が庭の中央に咲き誇っている。
美咲が持ってきたものと同じ色だ。桜ペンの色ともいう。
庭には、日本の伝統的な春の美しい自然風景が詰め込まれている。
花が咲き誇り、鶯が鳴く。
「……現世を写すこの空間を眺めて仕事の成果を確認できればよしとしていたが。
他者に心から褒められるのは気分がいいものだなぁ」
もう日本のどこを探しても、この庭のような風景は見られないだろう。
ビルや住宅街が自然を分断し、地方の野山は過疎化で人が手入れすることもなく荒れ始めている。
沖常は現代日本に残る自然に、美しい色彩をおすそ分けし続けてきたが、現代人は見向きもしなくなっている。
神様としての仕事なので自然の彩りを続けているが、創作意欲を失くしかけていた。
「しかし……。今年の桜は久しぶりに満足のいく出来だ。美咲との会話は新鮮でよいな」
名前を告げて縁を繋いでいった彼女に、何を贈ろうか? と沖常は庭を眺めながら考える。
季節を楽しむことができる美咲なら、きっと沖常からの贈り物を気に入ってくれることだろう。
*
学校から帰宅すると、美咲は夕飯のしたく、洗い物、洗濯、勉強と用事をすべてこなしていく。お風呂に入って部屋に戻ると、ぼふっとベッドに倒れこんだ。
やっとひと息つける時間だ。
身体の力を抜いてリラックス。
あとは眠るだけだが……美咲はまだ目がぱっちりとしている。
ワクワクと心を高揚させて、小さな香水瓶を取り出す。
「春のあけぼの」
瓶の中でほんわりと靄がゆらぐ香水を、しゅっとひと吹きした。
夜と朝が混ざる不思議な感覚があり、ふわっと心地いい眠気に包まれる。
瞼が落ちかけたので、あわてて香水瓶をベッドの下に隠して、美咲は目を閉じた。
朝まで、かつてないほどの快眠だった。