黒猫の幸運?
「今日もありがとう。緑くん」
家の玄関先で、美咲がごく小声で言う。
つむじ風はふわっと解けるように拡散した。
そっと玄関扉を開ける。
「ただいま帰りました……」
叔母はリビングで食事中だった。
美咲をチラリと眺めると、黙って食事を再開する。
とくに何も言われないようだ。ホッと美咲が息を吐いた。
(ああ。黒猫さんに会ったからかもしれないなぁ)
【四季堂】の様子を思い出す。寄ってきた黒猫が美咲にほんの少し触れたのだ。すぐに炎子たちに軒先に運ばれたが。
黒猫は幸運の証と言われている。その黒猫に通り過ぎられてしまったら縁起が悪い、というジンクスまであるほどだ。
美咲は部屋に入って、学生服のままぽすんとベッドに倒れこんだ。
とても疲れているが、気持ちが充実している。
むずむずと胸が膨らむような楽しい気持ち。
ころころとベッドを転がって、うふふっと一人にやけた。
髪からリボンを解いて、お風呂に入る。
しっとり濡れた髪をタオルで拭いてから、ドライヤーで乾かし、部屋でそっとつげ櫛を使った。
鏡を見ることができないが、手で触るとさらりと髪が指を通り、感触がまるで違うことが分かる。
「おきつねさんの作品、さすが」
にへっと頬が緩んでしまう。
美しい櫛の装飾を指で撫でた。
机に向かって勉強を始める。
集中して今日の分を終わらせる。……つもりだったのだが、さすがに眠い。
「効率が悪くなってもいいことはないから。明日からもっと頑張ろうっと」
クマができたらきっと沖常たちが心配する。
(心配してくれる人がいる……)
美咲はまた幸せな気持ちになった。
今日はもう何度めだろう。たくさんの幸せを思い返して、そのお礼になるくらいバイトを頑張りたい、と強く思う。
彼岸丸が納得するくらいに。
「そのためには体力回復だよね」
”春のあけぼの”を手に取った。
綺麗な容器を眺めてから、しゅっと吹きかける。
心地よい眠りが美咲を包んだ。




