春のあけぼの
「今日も何か見ていくといい。気になるものはありそうか?」
「はい。店内を見て回っても?」
「もちろん。狭い店だが、俺がとくに気に入ったものばかりを置いている」
美咲は商品を眺め始めた。
嬉しそうな横顔を眺めている沖常も自然に口元がほころぶ。
「…………」
「………………」
「…………………………それが気になるか!」
「はい」
美咲はじーーーっと見られていたので落ち着かなかったようだ。
とくに気になった品をひとつ指差し、チラリと沖常に視線を送って、早々に商品選びを切り上げた。
(え、ええと。めったにこのお店にはお客様がこないのかもしれない。だから思わずジッと見てしまったのかも。
ずっと視線を向けられているのは、苦手な接客スタイルなんだけどな……)
なかなか失礼なことを考えながら、美咲は、隣に立った沖常の横顔を見る。
長い睫毛が、緑のような青のような色の目に影をおとしている。
(不思議な色合いだな。顔立ちは日本人らしいんだけど。カラーコンタクト?)
凝視していたことにハッとして視線を逸らしたが、沖常は気にした様子もなくのんびりと商品に手を伸ばす。
(……落ち着かなかったけど、おきつねさんに眺められていても嫌な気持ちにならなかったのは、品物をとても大切にしているからだと思う。私が商品を気にかけたのが嬉しい、みたい)
棚から、瓶を取る沖常の手つきは優しい。
美咲にそっと瓶を手渡した。
丸みのある形状の瓶の中には、薄紫色の液体がふわふわと揺れている。
珍しそうに美咲が至近距離で観察した。
ちょんとついた飾りガラスを取ると、スプレー口が現れる。
「”春のあけぼの”を詰めた香水瓶だ。一吹きすると、ふんわりと春の香りがして眠気をさそう」
「うわぁ! 名称も見た目も紹介も、とてもこだわってて素敵ですねぇ。香水かー」
美咲は香水を「ください」とは言わなかった。
沖常が視線で「なぜ?」と問うと、苦笑が返される。
「学校で香水をつけることを禁止されていますから、せっかくの香りをつけて行くところがないんですよね……。すみません」
「ああ、そういうことか。匂いは人にはほとんど判別できないくらいだ。雰囲気を楽しむといい。
ちなみに寝る前に使うと、良い眠りを誘ってくれるぞ。明け方に二度寝してしまう時のような心地よさなんだ」
沖常がにこにことオススメ商品を推す。
なんて魅力的な効果だろう、と美咲が震えた。
「と、とても気になります。でもさすがにお高いですよね?
私、今日もあまり手持ちのお金がないんです。香水の対価は払えないかもしれません……」
美咲が眉尻を下げて、香水瓶を棚に戻した。
値札が置かれていないので、すぱっと買う決断ができない。
またも予算不足なんて申し訳ない気持ちで項垂れた。
「前に言った通り、君が素敵だと思うものを対価にくれたらいいんだ」
沖常が改めて棚から香水瓶を取り出して、また美咲に持たせた。
美咲は困り顔になる。
今日は新商品の雑貨を持ってきていないのだ。あるのはわずかなお金だけ。
ふと、沖常がすんすんと鼻をならして美咲のカバンを見た。
(俺の匂い?)と驚く。
「……春らしい匂いがする……」
「春? あ、そうだ。ここに来る途中に満開の桜の下を通ったんです。とてもきれいなピンクに色づいていましたよ。花が落ちていたので、拾ってきました。
春のおすそ分けをしようと思って。どうぞ」
美咲がごそごそとカバンを探って、メガネケースを取り出す。
「桜。綺麗ですよね」
ぱかっと開けて桜を見せると、沖常が目元を和らげた。
ケースの桜を指でつまんで眺める。
「見事に色づいているな。うむ、満足だ」
美咲は首を傾げる。
桜を眺めた沖常がほうっと吐息をもらすと、まるで春風が吹いたような気がして、美咲は周囲をきょろきょろ見渡した。
店の窓から風が入ってきたのかな、と考える。
「これがいい。春のあけぼのと交換しよう」
沖常の言葉に、美咲がぎょっとする。
「えっ!? そんな。道端で拾っただけのものですから。そういうわけには……」
「桜を素敵だと言っただろう? 俺も同じように感じた。この桜は”いいもの”だ。それから、届けてくれた君の心遣いがよかった。対価として十分だ」
美咲は困りながら、桜と香水瓶を何度も交互に眺めた。
桜を気に入った様子なので水を差したくないのだが、さすがに対価としては申し訳なく思ってしまう。
タダで譲るつもりだったのだから。
(あ)
名案を思いついた。
「……おきつねさん。次に来る時には、もっとたくさん素敵なものを差し入れますね。また、来ます」
「ああ、それは嬉しい! 心待ちにしていよう」
沖常が頷いたので、美咲はホッと胸を撫で下ろした。
(足りないお代の分は、次に渡そう)
それなら沖常も受け取るだろう、と考えた。
(素敵なもの、探さなくちゃね)
楽しみだと考えながら、美咲は空になったケースにメガネをしまった。
「それはメガネ入れだったのか。君はメガネを外して……今、目が見えているのか?」
沖常がじっと美咲の目を覗き込んだので、美咲は思わず一歩後ろに引く。
「このメガネには度が入っていないんです。だから大丈夫ですよ。見えています」
「度…………。そうか、そうか。大丈夫ならば、それでよい」
沖常はメガネの度についてよく分かっていないが、さらりと流した。大丈夫、というところが大切なのだ。
美咲がぺこりとお辞儀をする。
「それでは、失礼します。慌ただしいですが」
くるりと踵を返した。
ポニーテールが揺れる美咲の背中を、沖常が名残惜しそうに眺める。
(もういなくなるのか。季節を楽しむことができる娘でも、現代の者は、なんと日々忙しく生きているのか)
また美咲が来るということが救いだ。
現代人との接触は、沖常の物作りの新たな発想となる。
美咲が振り返った。
「今日もありがとうございました。ーー私の名前は椎名 美咲といいます。また、来ますね」
「! またのお越しを」
沖常はポカンと美咲を見送った。
扉が閉められたら、口元を手で覆う。
「……あの娘、名告げしていったぞ。なんということだ。春のあけぼのの香水くらいでは、対価として到底足りなくなってしまった。
ーーあまりに差がある取引は不健全だな。
次に彼女が訪れた時には、適切な対価を渡そう。もっと商品を充実させておこう」
隠された口元は楽しげに笑っていた。
枯れかけていた創作意欲が、むくむくと湧き上がってくる。
「「「「はっぴーすぷりんぐ!」」」」
狐火たちがちゃかしてきたので、けちらしておく。
「美咲。君との縁に感謝しよう」
神様が真名を呼んだため、沖常と美咲の間には確かな縁が結ばれた。
明日からは昼の12時に一話更新になります。
一日一話目標に、のんびりと続けます。
読んでくださってありがとうございます!