地獄の門からやってきた☆
廊下を歩く美咲の目の前で、見事な黒髪が揺れている。
男性は音もなく足を進める。
血のような紅と漆黒の衣装は高級生地らしい光沢がある。
(【四季堂】の廊下がやけに長く感じるぅ……)
美咲は前に人物の恐ろしい気配に完全にビビっていた。
(おきつねさん。この人は?)
美咲は沖常と繋いだ手に少し力を込めて、視線を向けてもらい、目で問いかける。
(あとで分かるよ。お待ち)
頭の中に直接声が響いたので、驚いて一瞬足をとめた。
黒髪の男性がぐるりと振り返り、冷や汗をかく。
「こらこら。睨むな」
沖常が前に立って庇ってくれた。ため息。
「なるほど。見事な盾ですね」
「そんなことまで知っているのか。まったくお前ときたら……」
「情報収集と整理は我々の務めですから」
それだけ言うと、男性はまた廊下を進む。
美咲は無言で沖常にぺこぺこと頭を下げた。
この場面では大感謝のお辞儀を甘受してもらおう。
(盾……? ……私が以前、沖常さんのこと盾にしたこと知ってるってこと!? し、叱られる予感ー!)
神様をぞんざいに扱ったと思われているかも……と、美咲がびくびくしながら男性の背中を見つめた。
知らないうちに、また沖常とつないだ手に力がこもっていた。
*
四季の中庭が見える座敷にたどり着き、腰をすえる。
美咲はあわあわと座布団を用意し、配置について沖常に指示を仰いだのに間違えたり、畳のヘリを踏んでしまったりと失敗を披露した。
(こんなつもりじゃなかったのにいいい)
しょんぼりと縮こまる。
正直、体育すわりをして頭を膝に埋めてしまいたい気持ちだ。
「初めまして」
「はい……!」
美咲はピンと背筋を伸ばして返事をする。少し声が裏返ってしまった。
黒い男性はジッと目を細める。
「そのように怖がられるのは心外です。まだ碌に会話をしてもいないというのに」
「あっ!? は、はい、すみません過剰に緊張してしまって……」
「従業員として神々の相手をするならば、もっと堂々としていなければ困ります」
ジロリ、と見定められると美咲は震えてしまう。
失礼な娘ですね、とあちらの目が語っている。
「恐ろしいのは仕方ないだろう。だってお前は……」
男性は沖常の言葉を遮り、
「私は地獄よりやってまいりました、鬼でございます。名は”彼岸丸”。【四季堂】の運営管理を手伝わせて頂いていますので、覚えておいて下さい。美咲さん」
告げた途端、障子の向こうが紅色に燃えた。彼岸丸が通ってきた地獄の門が存在感をあらわにしたのだ。
彼岸丸の顔に影が差し、実に恐ろしい雰囲気を醸している。
(……鬼ぃーーー!?)
「おっしゃる通り、美咲です。よろしくお願いいたします!」
バッと美咲がお辞儀した。
(ええと、あの人が先に私の名前を言ったんだから、進んで名告げしたことにはならないはず……!
それだけ、あの人が私と関わりを持ちたくないって示唆してるのかもしれないけれど……。
でも私が【四季堂】で働かせてもらう以上、どうしたって挨拶をしなきゃいけないもん。
怖がって何も言えなくなる前に挨拶はできた! よし!)
素早い対応!
美咲は勢いで恐怖心をごまかした。
この一週間、【四季堂】に来たくてたまらなかったのだ。
(おきつねさんたちがあたたかく迎えてくれて、私、すごく嬉しかったの……。だから従業員として働きたいんだ)
自分の気持ちに気付いた美咲は、チャンスを逃さなかった。
(っていうか、鬼って神様なの……!? 何事!? 運営管理!?)
驚くのは後でいいのである。
つまり今だ。とっっっても驚いている。
彼岸丸は切れ長の目を見開いた。
「早く地獄の門を閉じろ、彼岸丸。まったく、登場の演出に妙にこだわって怖がらせて……。タチが悪いぞ」
「日々、自然に彩りを施すお狐様に感銘を受けて、自分なりにこだわって生活をすることにいたしました。鬼らしく目立っていく所存です。よろしくお願いいたします。
お狐様が美咲さんに出会った時には、彩りの神らしくさぞ風流な挨拶をなさったのでしょうね。後ほど詳しく詳しく詳しくお聞かせくださいませ」
「…………」
奇妙な嫌味節で返事をしてくる彼岸丸に、お狐はうんざりした顔を向けた。この対応に一週間つきあっていたのである。心労がひどい。
何が厄介かって、この彼岸丸は故意の嫌味というより、まったくの天然で発言していることだ。
沖常は天然を理解できたが、美咲はかわいそうなくらい困っている。
嫌味の板挟みになっている気がして、居心地が悪いのだろう。
「早く本題に移ろうか」
「いいでしょう」
「こら、上司に向かって言葉遣いがなっていないぞ」
「尊敬する上司でもあり、この店を守る同僚でもあり、お狐様の書類不備を責める立場でもありますので」
「ぐっ」
沖常が苦虫を噛み潰したように、狐耳をぴくぴくさせる。
「美咲さん。ーーあなたが従業員として働くことが神々の総意として認められました。おめでとうございます」
唐突に鬼に告げられた言葉に、美咲がピシリと固まる。
(神々の総意ってなにぃ!?)
聞きたいことが多すぎるが、この鬼はなんだか恐ろしいし、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
沖常に助けを求めるような視線を送った。
「……神の世も昔に比べて面倒でなぁ。少し作業内容を変えたりするだけで、何枚もの書類やら申請が必要だったりするんだ。
その過程で、美咲の存在がたくさんの神々の目に触れて、それなりに有名人になってしまった」
(今、気絶してしまいたい)美咲がわりと本気で願う。
「うーむ、うっかり失念していてな。すまない。昔の感覚で美咲をひょいと雇ったので、鬼がやってきた。
鬼たちは細やかな仕事が得意で、様々な場所で運営管理や経理をしているんだ。神々は基本的に大雑把だからなぁ」
「……仕様が変わったんですねぇ……」
現世に合わせて色々なルールが増えたらしい。
沖常が苦笑し、そういうものです、と彼岸丸が頷いた。
「こちらが神の店の従業員の定義になります」
彼岸丸が美咲の前にドンと書類の束を置いた。
沖常と美咲が遠い目でそれを眺める。
燃やす? と狐火たちが呟いた。




