美咲の帰路と風のお便り
美咲は真里のギラギラした視線を時たま感じつつも、話しかけられることはなかった。
席が近いクラスメイトが美咲のことを気にかけて側にいたり、話しかけていたので、真里は近寄ることができなかった。
(実は、人見知り……みたいな子なのかなぁ)
真里は物言いこそキツイが、真面目に勉強や課題をこなしていて、比較的おとなしい生徒という印象だった。
しかし美術関係のことになると目の色を変える、とは噂で聞いている。
美咲がその対象になってしまったのだろう。
(真里さんと話すのはハードルが高いし……そっとスルーさせてもらおうっと……。
トラブルにならないようにっていうクラスメイトの気遣いもありがたいな。ただ、一人の時間がなくなっちゃうのは少し困るけどね)
美咲は基本的に「ぼっち」気質なのである。
かわるがわる話しかけられて気が休まる時間がなく、まだクラスメイトと完全に打ち解けていないこともあり、嬉しく思いながらも無意識のうちに気疲れしていた。
帰りの号令が終わり、ようやく解放される。
みんな塾などに行くらしい。
美咲はホッとしながら手を振り、口の中に炎子がくれたコンペイトウを放り込んだ。
甘みが気持ちをほぐしてくれた。
さっと絵の具箱をカバンに入……
「美咲さん」
「っん!?」
ガリッ! 驚いた美咲は舌を噛んでしまった……涙目になりながらも、カバンのチャックを素早く閉める。
気配もなく近寄ってきていた真里が小さく舌打ちしたのが聞こえて、ぶるりと震えた。
「な、なぁに真里さん」
なけなしの愛想笑いを向けるが、
「さっきの絵の具。今日の写生大会で使ったものよね? 初めて見る花火柄の箱……私、日本で流通している絵の具は全て知っているのに。あれはどこのメーカーの品物? 描き心地は? 筆のノリは? 水の伸びは? 混色の具合は? どうなの?」
怒涛の勢いで質問されて、圧倒された。
ぐいぐいと真里が美咲に詰め寄り、美咲がカバンを背にしてあとずさる。
ズズ、と机が後ろに少し下がってしまった。
(ほ、本当に絵のことにだけ関心があるみたい……。それなら、少し使ってもらったら真里さんのこの勢いは収まるのかな?)
美咲は歩み寄りについて少し考えてみる。
「どこで手に入れたの?」
しかし、この質問にピキンと背筋を凍らせた。
(まずい!!)
「あのね! 今日は私、猛勉強の予定だから。バイバイまたね!!」
「あっ……!」
美咲は驚くべき俊敏さでカバンとお弁当バッグを持ち、真里に手を振って、伸びかけた手を半回転でかわして机の間をぬうように小走りで駆け抜けた。
まるで足に風をまとっているかのような見事な動きだ。
教室にいた運動部の子たちも、美咲の動きに目を奪われていた。
(あああ! 私、真里さんに『またね』って自分から関わるような挨拶を……バカーー!)
自分のうっかりさを嘆く美咲であった。
そして風に絡め取られた足は止まってくれなくて、なすすべもなく吹き抜けるように学校を出て行く。
校門を出たところでやっと足が止まってくれた。
「み、緑くん……?」
美咲が呟くと、目の前につむじ風が渦巻いた。
少し揺らいだあと、また美咲の足にまとわりついて移動させようとする。
足の裏がふわっと地面から離れて、滑るように動く。
「ね、ねぇ、どこに行くの?」
美咲は怖く思った。
緑坊主は”神隠し”をやらかしたことがある……。
それに今は風神に叱られていて喋ることができないので、意図を尋ねても答えが返ってこないのだ。
(……あ。でも風神様のお叱りが継続しているってことは、緑くんは自分の意思だけで外出しているわけではないはず。誰かの頼まれごとの最中? 私に何か伝えたいのかな?)
頭の中に沖常と炎子の顔が浮かぶ。不安が安心に変わった。
そして美咲の読みは正解だったようだ。
つむじ風は美咲を近所の公園に運んだ。
そして木の枝を風に巻き込むと、地面にガリガリと文字を書いていく。
流麗な流れ文字なのが意外だな、と美咲は思った。
幼い見た目の緑坊主だが、何百年も生きている神様なのだ。
『【四季堂】には今、厄介な訪問者が来ているんだ。だから談合が完了するまで、美咲ねえちゃんの安全を思って遠ざけているらしい。"できるだけ早く仕事を終わらせるから待っていて、すまないね"、ってお狐様からのお知らせだよ』
「連絡してくれてありがとう。緑くん」
美咲はホッと微笑んで、お礼を告げた。
つむじ風は得意げに美咲を包む。
いたずらに髪を絡めてスカートを揺らした風は少し暖かかった。初夏の気配。
クスクス、と笑っているように、風に巻き込まれた葉っぱが揺れている。
「事情が分かったから、【四季堂】からの連絡を待ちやすくなったよ。……私、寂しかったみたい……」
いっとう綺麗な緑の葉っぱが美咲の頭にふわっと降ってきた。
緑坊主からの慰めだろうか。
「くれるの? とっても綺麗な緑だね! 新緑の香りだー」
自然に落っこちるような枯れた葉ではないので、緑坊主がわざわざ切り取ってきてくれたのだろう。
「なんの植物……?」という質問には答えてくれずに、また美咲の足をさらった。
「わっ!」
そのまま、家までの護衛をしてくれた。
美咲の目に滲んだ涙は、流れることなくそっと風に乾かされた。




