アルバイトと五月の風
「俺は彩りの神"白銀狐"だ。四季を豊かに彩ることと、他の神々の神具作りを生業としている。
【四季堂】の店主をしている時には沖常と名乗っているが、真名は白銀狐なので覚えておくといい。呼べば、どこにいても伝わる。
さあ、この店で働かないか!」
沖常がにこやかに誘うが、美咲は反応できない。キャパシティオーバーだ。
ぽかんとしている彼女の前で、沖常がぶわっと桜の花びらを舞わせてみせると「うわわわっ!?」と飛び跳ねた。
「かかかか、神様!?」
「おお。正気に戻ったらしい。して、返事は? さあ」
「待って下さぁい……!」
美咲はバクバク鼓動する胸を押さえて懇願する。
てっきりすぐにいい返事が来ると思っていた沖常は、不思議そうに首を傾げた。
狐火たちもふよっと傾く。
「俺の狐耳を見抜いた上で受け入れていたし、狐火たちにも好感を持っていて、好きな雑貨店で働けるならば喜んでくれるとばかり思っていたが……おや?
昔の者たちは皆『光栄です』と泣いて歓喜していたのだぞ」
「昔……? この店でバイトした人がいたんですか?」
美咲は救いを見つけたように沖常を見る。
前例を聞けたなら少しは落ち着けるかも、と思ったのだ。
「ああ、今の言い方ではバイトというのか。
うむ、四季に彩りをひたすら与えるばかりではだんだん俺の感性がすり減るので、たまに現世の者と話したくなるのだ。新鮮なひらめきがあったりするからな。話し相手兼手伝い係として、人間を雇うことがあった。百年ちょっと前の話だが。
ここは神が気まぐれで開いた趣味の店だから、美咲も気楽に頷くといいぞ。さあさあ」
押しがとても強い。新たな情報も現れて、美咲の理解が追いつかない。
「ま、待って……! おきつねさんは、神様なんですか。私、まずそこが理解できてなくて……狐耳もまさか本物?」
「なんと」
沖常たちが「信じられない」というように美咲を凝視する。
「てっきりもう視界に馴染んだものだとばかり」
「馴染みましたけど。コスプレとしてというか。あっすみません失礼なことを、すみませんっ」
美咲は脳内処理が限界を迎えたのか、涙目で見つめ返した。
「うーむ。……触れてみるか?」
「え」
沖常が「これこれ」と狐耳を指差す。
ふんわり柔らかそうな白銀毛に覆われた狐耳。本物ならば、確かに感触の違いが分かるだろう。
アニマルセラピー的に誘惑された美咲が「うっ」とたじろぐ。
触れてみたそうに指が動いたのを沖常たちは見逃さなかった。
屈んでみせて、視線で促す。
美咲は…………好奇心に負けた。
「ふ、ふわっふわ。ふわふわ……! ふわぁぁ」
そおっと触ると極上の感触だったので、つい何度も耳を撫でてしまった。
(こんなに無遠慮に触るとは)(ねー)(大物)(現代の娘、あなどりがたし)
狐火がパチパチ弾けて笑う。
「み、美咲。もういいか?」
「あっ、すみません! つい、懐かしくて……」
困り顔で沖常が見上げる。
「懐かしい?」
「うっ。……あの、本当に他意はないですし、ただ私の記憶と関連づけられただけですし、おきつねさんのお耳の感触が別格に最高なんですけど………………昔飼っていた犬を思い出していました……」
くすぐったそうにしていた沖常がぴしりと固まり、狐火たちは「飼い犬ー!」「懐いてるもんなー!」「もう最高!」と大笑いし始めた。
とてつもなく失礼なのだが、質問したのは沖常だし、言わされた美咲は責められない。
恐縮している美咲を呆れたように見上げた沖常は、耳を伏せた。
「懐かしい思い出について、聞いたのは俺だ。まあ……水に流すとしよう」
「ありがとうございます……っ!」
美咲がぺこっと頭を下げると、ポニーテールが揺れる。
艶やかな髪を間近で見た沖常は鼻を鳴らし、機嫌を持ち直した。
狐火が「沖常様もたいがいちょろいなぁ」と小声で噂する。
「神であるということは信じたか?」
手のひらの上で桜の花びらを舞わせた。
くるくると旋風に巻かれるように桜が動く。
「し、信じられたと思います。不思議な現象をたくさん見せてもらいましたから……!」
美咲が狐火を見る。
狐火たちはすっかり美咲に気を許したのか、楽しそうに踊った。
(神様って確信したかと言われると……まだ、曖昧だと思うけど。だって常識ではありえなさすぎる。普通の人ではないのは分かるけどね……。
でも、おきつねさんたちがそうだって言うなら、”信じたいな”って思った……。とても優しくて、好きな人だから)
美咲は心から微笑んだ。
人柄が好きだ、という意味で沖常たちに別格の好意を抱いている。
「そうか! 良かった」
沖常たちが嬉しそうに手を叩いた。
「はい。それで……バイトの件ですが……」
美咲が言いかけると……
ガララ! と扉が勢いよく開く音が店の奥から聞こえてきて、鮮やかな緑の髪の少年が吹き抜けるように現れる。
美咲は目を丸くした。
この少年の髪にはみずみずしい葉っぱが絡んでいる。……頭から生えているようだ。
爽やかな風が服の裾を浮かせた。
(ひ、人じゃないのかな……!? この子も、もしかして?)
「お狐様ぁーー! 毎年恒例の、緑の生命力を集める白銀網を作っておくれよ!」
少年は開口一番、はつらつと話した。
「おや……もうそんな頃か。楽しい時が過ぎるのは本当に早いものだな」
沖常が美咲を振り返る。
「バイトの練習をしてみようか。一緒に神具作りを手伝ってくれ」
(確定ーーーーーー!?)
沖常が美咲の手を取ると、五月の風が吹き抜けた。