ここにただいま
六月は素直な季節。
雨に誘われて心の底の種までも芽吹き、あふれてしまう。
七月は芽を育てる季節。
自分が育てたい芽を光に当てて、伸ばしてあげたらいい。
「……看板」
鬼灯の灯りが照らす細道を抜けると、まずは看板が現れる。
そこには夜に浮かびあがるくらい真っ白な紙に、達筆で文字が書かれている。六月と七月の話だ。
さて、あなたが伸ばしたい芽とは?
壱:恋の芽
弐:勉学の芽
参:友情の芽
……
「って、心理テスト形式!? なにこれ」
「ありがたい教えをお裾分けしようと思いまして」
「うわあっ彼岸丸さん!?」
薄闇にぼうっと現れるようにして、鬼がたたずんでいる。
よくよく見ると、釘を持っており、まだ一辺しか留めていない紙を押さえつけるつもりのようだ。
急遽貼られたらしいこの張り紙の真意は……鬼の無表情からは読めない。
「期間限定となっております」
「それはまた……特別感がありますね……? そうですよね、季節の変わり目にしかこの質問は意味を成さないですし」
「今晩限りです」
「短くないですか?」
「美咲さんがどれを選ぶのでしょうと思いまして」
パチリ、と美咲が瞬きをする。
「一発必中の狙い撃ちだったんですね……私の訪問を……」
「さあどれにしますか? 玖、捌、漆、陸、伍……」
「数えないでくださいっ!?」
「いえいえ狐火がここにおりまして」
「あっ本当だ。ぼんやりと看板を照らしてくれていたんですね。繊細な火の使い方だったから気づかなかったです……」
「「「「「だって隠れていたからなー」」」」」
驚いた? と言いながら、看板の影から狐火たちが出てくる。
看板は鬼灯のリースで彩られている。
オレンジの袋の内側から発光させているのかと思っていたのだが、これは普通の鬼灯だったようだ。
だんだんとオレンジが濃くなって、盆の頃には見事に色付くのだろう。切られた鬼灯の茎には、緑坊主の芽から作られた粉末が擦り付けられているため、枯れることはないらしい。
「「「「「どれにするか選ばなくてもいいぞ〜」」」」」
「……そうなんですか?」
「お狐様の独り言を私がありがたがって貼り付けただけなので、答えなくても問題はありません」
「なにしてるんですか……」
「美咲さんの来訪を歓迎しております」
そんな風にまっすぐに言われたものだから、美咲はグッと唇を噛み黙ってしまった。
ここで、今までのように、自分なんかが……と逃げてしまうことはもうできない。
「嬉しいです」
「そうでしょうね」
「そうでしょうね…………」
「千代も嬉しいようですし」
「ウン! 千代ウレシイ!」
「そんな喋り方でしたっけ?」
美咲が振り返ると、千代はあさっての方向を見ながら冷や汗を流してなんなら体も半分以上透けさせていて、どうやら、鬼のことが苦手なようだった。
幽霊にとって、鬼とは本能的に怖い存在なのである。
「この芽の心理テスト、答えは玖にします」
「おや、やってくださるとは」
「だってこの季節の捉え方って、その、私のことを考えてもらえたからなのかなって……」
「お狐様の愛情がお分かりになりましたか誠に喜ばしいお赤飯炊きましょう」
「季節の情緒は!?」
「冗談です」
しれっと言って、彼岸丸は玖の項目を指でなぞった。
【四季堂】の立派な看板が目に入ってくる。
シンプルに書かれたその文字は、ドキドキしていた美咲の心を落ち着かせてくれた。
ここには「あるといいもの」が揃っている。
行けばいい気分にさせてくれるにきまっているのだ。怖い場所じゃない。大丈夫。
だからありったけの素直な気持ちを込めて。
「たっ、ただい……!」
「おかえり!!」
ガラリ! と扉をあけて迎えてくれた沖常の方が早かった。
鍵を使う間もなかった。
ぽかんとしているうちに手を取られて、なんなら勢い余ってぐるりと一周回ってしまった。
まるで梅舞いの舞台の続きでもしているようだ。
「その言葉を聞くことができて大変安心したぞ、俺は!」
「言葉遣いが倒置法になっております……。あのぅ、まだ最後まで言っていなかったのですが」
「挨拶をしてくれるつもりだったのだろう?」
「正解です。けれど全部言いたくて」
「美咲がそうしたいなら受け取ろう」
「た、ただいま」
震える声で、ゆっくりと丁寧に美咲が告げると、瞳からは雨粒のように繊細な涙がこぼれた。
「これからもここでお世話になります、美咲です。何卒よろしくお願いいたします」
「これはご丁寧にどうも。店長の沖常だ。大事な人が近くに引っ越してきてくれるとは、なんとも運がいい」
「フフ、本当に。本当に、神様にたくさん感謝しなくっちゃあ……! 神様仏様、ありがとうございます」
「ええ、鬼のことはどうぞご内密に。そのお導きは神様方の領域ですからね。お夕飯はいただきますが」
「あ、はい。今日の献立なににしよう。豪華にしたいな」
「一緒に作ろう」
「もしかしてそれで、お着物の袖がたすき掛けだったんですか?」
沖常がにこりとする。
どのような流れになるのかお見通しだったようだ。
九尾の尻尾を"分けて"から、沖常はまた穏やかに戻った。
やんわりとした雰囲気は人を安心させてくれるし、言葉の端々が優しい。
なんなら少し気を抜きすぎなくらいで。白銀の髪はすこし寝癖のうねりがあるし、目をこすったのか目尻が少し赤い。
(安心するぅ……)と美咲の肩の力が抜けていく。
ここでは、ゆっくりと息ができる。
深呼吸すると胸がふくらむ。
店内に入ると、商品の入れ替えの途中のようだ。
六月の商品が端にまとめ直されていて、真ん中の一番目立つ棚のところがからっぽ。
ここにはあらたに七月の商品が飾られるのだろう。
飾られる、と他人行儀で言っている場合ではない。
飾らなくては。一週間も過ぎてしまっていた間に、季節はまたたくまに景色を変えている。
夏色の箱から雑貨を出して、そして今年らしい風流なものを新たに作るのだろう。それらの手伝いをしたい、と美咲は思う。
「おきつねさん。私、玖のことをあなたに誓いたいです。きっと”信頼”の芽を伸ばして見せますからね」
「お、おお。それは嬉しいことだなあ。なんとも風流な言い回しだ……」
「おかげさまで」
「……」
沖常はぐるりと振り返って鬼を見る。まっすぐに見つめ返してくるんじゃない。
「ばらしたな?……なんというか日記帳を読み上げられたときのことを思い出してしまった……」
「美咲さんの内心を記したものがこちらにありますから読み上げたら痛み分けになるでしょうか」
「なななんであるんですか!? 見たこともないノートなのですけどっ」
「影が深いですね」
「ああ……。影クンさんが私と同調していた記録なんですね……。けれどそんな月が綺麗ですねみたいに」
「いてっ」
「おきつねさん?」
沖常が廊下の柱に頭をぶつけて、ハンカチでおでこを押さえている。
ハンカチーフ、という名称の方が似合いそうなくらい繊細な飾りレース付きの逸品だ。
紫陽花姫がこれで重箱を包んできたらしい。なんともハイカラ!
「あれ美味しかったです」
「千代の手作りも好評だったしっ」
「それはよかった。今度は七月の百合姫がやってくるよ」
なんてことのない会話が楽しかった。
やわらかな気持ちで問いかけたことを、同じトーンで返事してくれる。
急に機嫌を悪くさせてしまったり、睨まれたりすることを気にしなくてもいい。
ほわあ、と美咲が呼吸をする。
玖の狐火を明かりにして、今夜の晩餐が作られていく。
豆の入った稲荷寿司。季節野菜の味噌汁に、とれたてのキュウリサラダ、鮎の煮付け、デザートの夏みかん──
にぎやかな夜が更けていく。
「さて、千代の家はこの【四季堂】の隣に建てたんだよ。そちらに今日から美咲も住むんだってね」
あさっての方を見ながら言うので笑ってしまった。
「美咲の部屋もあるはずだ。それなりに広いからくつろげるよ。友達を呼んでもいいし、人間らしい生活をしてみるといい」
夕飯作りのバイト代だと渡されたのは初夏の風鈴と、夏みかん色のシュシュ。
「この距離だったら呼ばれたらすぐに助けに行けるから、なにかあれば白銀狐と呼ぶといい。もう遅れたりしない。そしていつでも【四季堂】においで、鍵は引き続き預けておくから」
「……受け取らせていただきますね」
美咲がそう返事をしたら、たくさんあげることができた沖常はそれは嬉しそうに微笑んで、狐耳をふわふわ揺らした。
手を振って玄関先で別れる。
そしてまた明日、会うことができる。
「眠れなあーい」
横並びに敷いた布団に寝転がって、千代が言う。
なにせ幽霊は睡眠を必要としなかったので、体を与えられたとしても眠り方がよくわからないそうだ。
「検索:睡眠導入アプリ……これを試しましょう。スマホで雨音を鳴らしますね」
「なあにそれ? いとおかし」
クスクスと隣の布団で千代が笑っている。
ずっとテンション高いなあと思いつつ、美咲はつられて笑みを浮かべた。
それぞれ布団にもぐりこんで、雨音に耳を澄ませる。
だんだんと呼吸が雨音のリズムにつられてくる。すー・すー・すー……
「まるで生きているみたい。ふああ……」
「眠くなれたようですね」
「スマートフォン・四季のおもひでを・運びけり、雨音ささやき・風流に眠るぅ…………」
むにゃむにゃと言った後、千代の寝息が聞こえてきた。
美咲は雨が苦手だった。
両親が亡くなったのは雨の日だったから思い出してしまって。
考えかたを変えてみる。
雨が降ったら、両親のことを思い出すことができる。
なにを思い出すのかは選べる。
手を繋いで歩いてくれたこと、一緒に料理をしたこと、勉強ができないとくやしがっていたら宿題に付き合ってくれたこと、川の字になって寝たこと──……夢の中で、久しぶりに両親の顔をみた気がした。
緑神の手紙が枕元に置かれている。
ーーー
緑坊主の粗相を六月の水に流してくれるとのこと、受け取らせていただこう。
神の姉娘よ。
そう呼ばれることになろう。
しかし案ずることはない、我々も白銀狐も、そのものを活かして愛でることが得意なのだ。
思うままに生きていずれ死んでしまうとき、ひとつ願えば叶うだろう──
ーーー
ぐっすりと眠り、明るい朝がやってきたら、したくをしてリボンとセーラー服で女子高生らしく彩り、【四季堂】に挨拶をもらいに出かけていく。
それが美咲の日課になっていった。
読んでくださってありがとうございました!
夏本編、完成です。
来年、夏の終わりエピソードをかいていきますね。
お盆なので両親のことに触れたりします。
これからも続けますので、
また再開したらぜひ読んでください〜♪
ではまた!