初夏の登校
「美咲」
くるりと振り返ると、障子の向こうに沖常の影がある。
いまは、舞台から帰ってきて一泊したあとに、美咲が着替えている最中だ。
あまりにも疲労してどうしたって動けず、【四季堂】にとどまらざるをえなかった。
「つい伝えるのを忘れていた。遠回りをした影響のようだ」
「あの時大急ぎで助けにきてくれたんだなあって、わかっていますから」
「どういうこと!? 美咲どういうこと!? ハアハア、KUWASIKU!!」
「真理、鼻息荒いから」
「娯楽に飢えた女子高生をなめんじゃないわよ」
ここにも娯楽に飢えた獣が一匹。
「ところで美咲、あたしたちはこの一週間美咲の出席についてかばってあげたし、ノートをとっておいたわけだけれど、欲しければ諸事情を日記に書いて交換しよ」
娯楽に飢えた獣が二匹。
とんだ交換日記である。
「おきつねさんとメールのやり取りはしてたんだっけ……」
「そうよ。でもありえないのよ! 10分に1文字だけ送られてくるメール」
神の世との時差が深刻である。
「心霊現象かっつーの。しかもね内容が“た・の・し・ん・で・る”……知らんわ!」
「問題ないってことはわかったけどね。写真とか欲しかったな」
まさしく心霊写真にでもなりそうだ。
それとも写真全体が光り輝くとか。
なにかしらの異常が現れるだろう。
「どんな風にすごしていたの? 美咲」
「ええと大体踊ってた」
「一週間も!?」
「あとは宴会したり」
「宴会週間!?」
これは前提認知が違うので、なにを言おうと「めちゃくちゃやった」と大きく誤解されてしまうだろう。美咲は説明を諦めて、話題を変えることにした。
「学校では特に変わったことはなかった?」
「昨日転校生がきたくらいかな。平安美人って感じの」
「ゲホッゴホッ」
「大丈夫?」
たしかどこぞの故・従業員は、さらりと四季堂に馴染むくらいにどこにでも入っていくような輩だったのではないだろうか。初夏のホラーがさっそくやってきたような悪寒がする。
「その人の実家に美咲が遊びにくることがよくあるって言ってた……」
逆である。
美咲の住み家にはその人の魂が一度だけ訪れたことがある。地獄行きの切符とともに。
もしくは実家という物言いをするからには、四季堂のことを指しているのだろうか。
「仲良いの?」
むずかしいところだ。
少なくとも女子高生の幽霊にはあったことがないので。
美咲はあいまいに笑ってごまかした。
「名前は千代さん?」
「そう」
確定した。
あの、元四季堂の従業員で、夏の間だけ現れる風鈴憑きの幽霊で、平安時代の男。
「でも美咲がさん付けで呼ぶってことはあたしたちの方が仲良い感じする」
「よっしゃ!」
そんな風に言ってもらえたのが嬉しくて、美咲は笑い声をこぼした。ころころと。
明るく響いた音を、スマホ越しに聞いた真里とほのかは、目を見合わせた。
「「美咲が元気!」」
「もしかして最近心配かけてた?」
「うん。ふとした時にわりと暗い顔していたし、雨の憂鬱?って思ってた」
「あとさあこの一週間のうちに担任が自宅訪問したらしいけど、そっちの叔母さんが妙に無表情で対応してたんだってー。風邪で調子悪いとか言っちゃってさ」
それはちょっと心配だな……と美咲は固まる。
けれどもう、叩かれたって立ち向かう、と思いながら頬を撫でた。
机にスマホを置いてスピーカーモードにしながら、話しているうちに制服の着替えを終えた。
(そういえばこの制服って家に置いてあったはずだけど……)
まさか叔母が持ってきたはずもないだろう。
いろいろと疑問に思うことはある。
電話が終わったら沖常に尋ねたらいい、と自然に考えることができた。
障子の向こう側の影が増えて、沖常の足元の方に、炎子たちが四人、わらわらと走っていたり沖常の着物の袖を引っ張ったりしている。それぞれの動きかたが違って、すべてが沖常の感情の一部だ。
上位の世では特別なものをみた。
すべてを備えた白銀狐。
すべてが揃うということはけして「鉄壁の完璧」などではなくて、感性豊かでよく笑いきちんと怒りともに泣き憐れむことだと知った。憐れむというのは、愛でることも含んでいる。
「今日はこのまま学校に向かうね」
「「また後で!」」
ピ、と通話が切れた。
美咲はかばんの中の教科書を確かめる。
さっき聞いた明日の時間割のとおりの教科書がきちんと入っている。そんなことがあるだろうか?
「おきつねさん」
「美咲。ここが気に入っているか?」
「え? それはもう、もちろんですとも」
「それなら進めてしまおうかな」
それはなにを、どのように、と聞くはずだったのだけれど。
目覚まし時計がジリリリリリリリとけたたましく鳴る。
神の中庭の紫陽花の木陰に、紫陽花姫と、小さく膝を折った影の神がいて、美咲たちの様子をウォッチングしていたようだ。
「あ……」
「しまったネ。学校に遅れるからいってらっしゃい」
「あわわわ本当だ、もうそんな時間!」
「美咲、紫陽花姫がくれた花膳があるからお昼ご飯に持っていきなさい」
「ありがとうございます! とっても楽しみ……!」
「靴揃えておいたぞー」
「温めておいたぞー」
「「おれたちにご褒美は?」」
「帰ってきてから何かおやつ作るね!」
「楽しみにしていますね」
「おもむろに彼岸丸さん!? 夕方までいらっしゃるんですね、了解しました」
「美咲、鍵はちゃんと持った?」
「え?……これですね、おきつねさんが渡してくれた四季堂の鍵。……え、うん?」
無言でにこにこと見送りをして手を振ってくれる、玄関先の面々をぽかんとしながら眺めて、ほとんど反射的にふらふらと手を振り返した美咲は、ちょっと照れながら口にした。
「行ってきます、ね……!」
ひとまず、今はとってもいい気分だから浸ってしまえ。祭りには乗っかるのだ。上位の舞台に参加したのだから、もう大丈夫。
外はからりと晴れていて、太陽の光がさんさんと肌をあたためる。
小道の向こうから女子生徒が一人、やってくる。
「美咲ちゃーーーン! 一緒に登校しましょ♡」
「……千代さぁん!?」
表現するならば「名門女学院の千代お姉様」と言いたくなる雰囲気であった。
まっすぐな長い黒髪、背が高くてセーラー服が似合っていて、肌が透けるように白い。……というかちょっと透けてる。
「カーディガンとか羽織ってもらっていいですか!?」
「いとおかし。夏だよ?」
「幽霊が出るには日が高いですよ!」
「そこなんだ。あっ確かに透けてる」
「無自覚」
「えいやっ」
「気合いでなんとか肌を保ったりできるんですね……!」
「この体は神々から施していただいた特別製だからねえ」
なんらかの事情があるのは明らかだ。というか男なのか女なのか。
だんだんと聞いていかなきゃいけないけど後でいい、と美咲は頭を切り替えた。
(この通学路の景色、すごく綺麗だから……!)
ぐんと濃く染まった葉の緑、さらりと塗られたような空の青、もくもく立体感のある入道雲の白。太陽の光で景色全体がちょっと黄色味を帯びてみえる。雨のなごりなのか、影のあるところにぽたりと残った雫には、周りの景色のすべてが映って虹色をしていた。
それからいい香りが鼻をくすぐって、これはセーラー服に残った四季堂の残りのようだった。
美咲の頬はほんわかと夏色に染まった。
読んでくださってありがとうございました!
来週続きます〜〜!