鬼と時刻と初夏の台風
サメの丸、もとい彼岸丸が川底から現れた。そのまま船に捕まってブイサイン。
「なぜ!?」
「ちょいと泥仕事を」
「お、お疲れ様です……?」
美咲が勘付いた様子もないので、仕事の詳しい説明はしないことにした。
(自分のことで精一杯になっているなら、そのまま六月の空気に呑まれて自分を見つめてやるといいですね)
「水泳により疲労は少々。しかし業務の遂行に問題はございません。鬼の活力といえば常に枯渇しており、それが通常なのでただただ問題がないのです」
「枯渇って……無気力ってことですか?」
「まさか。鬼はカラカラに渇いた心に火を灯して燃え上がるように働くのですよ」
すーい、すーい、と確かにものすごくしっかりと泳いでいる。
「ずぶ濡れですね……」
「心はばーにんぐです」
「おきつねさんが理解できるように言ってあげてくれますか?」
「分かるよ。ばーにんぐ。燃え盛っていることだろう?」
「理解をなさって……!?」
「常に彼岸丸と一緒にいる、伍〜玖を戻しているからな。これでは鬼のからかいも通じないというわけさ」
ふかふかとした九尾が、座る美咲の膝をこしょりとくすぐった。
ちょっとした役得を味わった美咲であった。
モフモフに癒されるタイプなので。
キュンと震えている。
「お狐様、おいたわしい……」
「俺が常にからかいを楽しんでいるかのような物言いをするな」
ただのツッコミで言葉の綾だったのだが、彼岸丸はピタリと口を閉じた。
またすぐに話せるようにはなったが、それくらい現在の沖常は「上位神白銀狐」なのである。
「報告を。こちらの業務は完了しました、しばらく深い眠りの中にいるでしょう。生命に支障はありません。そして私の仕事を任せた亡霊がちゃんとこなしているのか見に来ました」
『いと恐ろし……。ほらこのように』
「もっと漕いでください」
『大人二人が乗っていて、彼岸丸様がしがみついていますからね?』
千代と彼岸丸が話していると、いっそう騒がしい。
美咲と沖常はしっとりと黙ったままでも、なんだか快適な雰囲気で船旅が進んでいった。
漆黒の世に星が光り始めた。
「おや」
「綺麗……!」
「ここは冥界と地獄と下位の世の分かれ道なんだ。星が船乗りのための矢印になる……。……」
天のきらめきはいくつかが隠れて、残った星々が電飾のように形をつくる。
「星の並びがおかしいのってそういう……?」
「いやあれはおかしい」
ズバリ「玖:零零」
朝9時と、時刻を教えてくれているのであった。
そして太陽のようなマーク。天気は晴れているので宴が開催できるという知らせ。
月と星で、太陽をつくるなど破天荒を通り越してトンチンカンだ。彼岸丸の周りの水面が揺れている、笑いをこらえて肩が震えているらしい。
「影の神がいるのだろうな」
「影クンさんなら星を隠してマークを作ることもできそうですね……あ、うそ、ニコニコの顔マーク!」
そんなこともできるなんて。
思わずみんなが笑った。
「この暗闇では姿を視認されないからな。それにしてもなんて無茶を。あとで月神に叱られてしまうのかもしれないな。
俺にしても、あやつにしても、彼岸丸にしても……今年は随分と無茶を楽しんでいる。ふふ……」
ころころと沖常が喉を鳴らした。
イラストのキツネのように、やんわりと目が細くなる。
(あ。いつもよりちょっとつり目気味……? 九尾になった影響なのかな。裾で口元を隠して笑うような仕草、優美だぁ……)
「負けていられないような気になる」
(宴に向かう道を変えたし十分負けていない無茶をされてると思いますけど? 舞いも踊ってくれるっていうし)
「いいことを思いついた!」
(そのイタズラっぽい微笑みはなんですか!?)
美咲がくるくる変わる沖常の様子に打ちのめされている間に、千代と彼岸丸は話し合いを終えていた。
『開催時刻に迫ってきておるとはねー。しまったなー。とっても頑張って漕いでるんだけどなー。困ったなー。あ、この漕ぐ棒のこと「櫂」っていうの知ってた?』
「そんな風に無駄話をしているから時間が押してきているのでは……!?」
『影に映されて素直になっちゃってるよ〜。無駄は大事だよね? あなたがそう言ってたもんね? ねー』
「ええと、時と場合によるんです。大事は大事なんですけど、優先順位というものがありますっ」
『追い詰められた時ってさ、ごちゃごちゃ考える余裕もなくって本能的な正解がそのまま出ていいなあって思っているんだ』
「わざと語らせてましたか、ずるいですよ……!」
『ずるいって言えたのなかなかないんじゃない? あなたも人間くさくなってきた。お狐様がなおさら惚れちゃうなあ。──げっっっ』
沖常が千代の襟元をひっつかみ、美咲のことは俵担ぎをして、水上を走り出した。
「行ってらっしゃいませ」
彼岸丸が船を掴み、川の奥底に沈めてしまった。さて、帰路は消えた。
これからは上へ上へと登るだけ。
黄泉の川の水を纏うようにして、一丸の塊となった彩りの神が駆けてゆく。
それはまるで初夏の台風のよう。
荒々しくもさわやかに。そしてどこまでも彩り豊かに。
下位の世に躍り出た。
しぶきがはじけて周りの色々を映す。
土色草色くすんだ空色に、影の色。さびれた神社の鳥居の臙脂色、狛犬に生えた苔の鮮やかな緑色。全部飛沫に含めてまきちらした。
小さく弱い神々が転げさせられながら、ケラケラと笑っている。
上位神様がこんな風に駆けていくのなんて見たことがない!
例年なら、梅舞いの日といえばはるか上方を見上げるだけだった。けれど今年はなんだか愉快なことに巻き込まれた。
夏祭りのように騒ぎ出した。
その中を沖常がなつかしく駆けてゆく。
読んで下さってありがとうございました!
美咲さんをちょっと笑わせられたら、みんな肩の力が抜けたみたいで、白銀狐がはじけられましたっ!