黄泉の川渡り
千代は亡霊なのだという。
平安の世で罪人として私刑に遭った。
そして生前繋がりのあった沖常がその魂を彩って、望む形の亡霊にしてあげたそうだ。地獄でのわずかな刑期を終えてからは、風鈴にさそわれて夏にやってくる。盆には子孫の様子を見に行くそうだ。
そんなことをつらつらと。
ゆったりした声で語る。
千代は不思議な心をしている。
つかみどころはなく、けれど霊が障子をすり抜けるように他の人の心にも入ってくるようだ。
『たのもう〜! いっけね、おじゃましま〜せん! うそ、します!』とか笑いを誘いながら。
背中を向けて船を漕いでいる千代。
この黄泉の川ではまるで実体となったように物に触れるのだ。
体温は涼しく、ひんやりとしているそう。
(千代さん、おしゃべりすぎて、いろんな情報を節操なく取得しちゃった)
苦笑しながらも、美咲の気も紛れてきた。
背中を向けているので、ジッと姿を眺めやすい。
艶やかな黒髪を頭の上でひとまとめにしていて、平安風の服の裾がひらりと川風に舞う。
全体的にやけに彼岸丸に似たシルエットなのだが、その印象はまるで正反対。ふと振り返ってくると、タレ目の優しそうな女顔。魔性の微笑みとも言えるほどだ。
『楽しかった? じゃあ今度はあなたがあなたのことを話す番としよう〜』
「え、ええっ?」
『なーんでもよいのだよ〜』
今は、そんな気分ではないのだけど。
隣の沖常が、盾になってくれた。
「千代は、いつのまにかたくさんあげていて、さらに貰いすぎるだろう。生前もその立ち振る舞いのせいで、泥棒だと難癖をつけられて罪人にされたのではなかったか?」
『心が貧しい者なのでね〜』
「貧しい人間が、あのような素晴らしい句を詠むものか。俺がつくった雑貨の対価に、きちんとふさわしいほどだったよ」
『そんな風に言ってくれるのってお狐様だけっていうかー。いと光栄〜』
「いつの世も、評価が没後になるともったいないなぁ」
『まーそれも縁でしょう』
「……人間の発想の斬新さはとても好きなのだが、こう……お前は時としてとても雑なのだよなあ。それゆえに気分が高まったときに現れる表現が素晴らしいのだろうか?」
『いいところは“それはそれとして”って別で評価してくれるところ、素晴らしいよね。現代の人間でもなかなかできない』
「と、このおしゃべりに付き合っていると時間が溶ける」
「……ふふっ」
『そうなんだよねー。ちなみにあなたは私と正反対だよね』
どきり、と美咲が肩を跳ねさせた。
振り返った千代は髪を揺らして、するとリリリンと風鈴の音がすずやかに響いた。
『とてもまじめで健気で一生懸命だものね。これからの【四季堂】はまたがらりと変わるのだろう!』
「わ、悪いようには変えません。【四季堂】のいいところを現代の人に伝えていけたらと……」
『伝わっていたよね』
きっと千代はあの不思議な風鈴とともに、美咲とお客のやりとりを眺めていたから。
ただ肯定してくれただけ。だからこそ、努力を素直に認められたのだと感じられた。
コクリと美咲が俯いた
「──……っはい……!」
真っ暗な中、底の見えない川を、船に乗ってゆく。
水は透明なのだという。
けれど底の色を透かすため、どうしても黒く濁って見えてしまうそうだ。
『思いって、重いから。もう大丈夫、って昇華された想いは上に行けるけれど、重いままの思いはこうやって沈んでいくんだよ。人間なら欲望って考えたらいい。その上を渡っていけるのは、もう亡くなってしまった人間だけなのさ』
「……私は?」
『やあ神様』
「うーん」
『隣のお狐様があなたの存在を引っ張り上げてくれているからね。今は巫女姫に勝り神様に近いってところかな』
安心おしよ、と亡霊は唄った。
あなたたちは渡り切れるから、私は乗っからせてもらうね、と図々しく居場所をもらってみせた。
鬼が始業前の趣味仕事をしてくるあいだに、ここの役割を変わりなさいと言われているので。
(ご自身でやりたかったでしょうにね)
「わ!」
蚕蛾がざあああああっと群れになって通り過ぎていく。
絹乙女たちがつるりと美咲のことを撫でてゆき、いつのまにか、この日のためにあつらえた着物に着替えさせられていた。
この川を遡ってくるものがある。
水面から尖った三角形が突き出していて、あれは、まさか──
「サメ!?」
「うそお!?」
この川には怨霊や怪異が出ることも珍しくない。
沖常がいるからには大丈夫かと
「サメの丸です、どうも」
「彼岸丸さぁん!?」
ざばあああ! と上がってきたのは彼岸丸だ。船のへりに手をかけて、肩から上だけ飛び出していて、長い髪が水面に広がっている様はジャパニーズホラーであった。
「なぜ!?」
どのように伝えようか?
彼岸丸は鬼らしく"みすてりあすな雰囲気"で乗り切ろうとしている。
読んでくださってありがとうございました!
千代はお手伝いさんでしたね。
彼岸丸が全部持ってった。つよい!
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