金の合鍵
空はあっさりとしたオレンジ色の夕焼け。
美咲は、雨雫シリーズの”お買い上げ”で空になった棚を埋めたり、敷き布を取り替えたりする。
新たに置いたのは雨の軌跡をイメージした細長いガラスが連なったウインドチャイム。西洋風の風鈴である。
「これも置いてくれるか?」
「はい? わあ、夕焼けですね」
「そうさ。今の夕焼けが綺麗だったから、色を拝借して、ちょっと濃くして、この瓶につめてみた」
とても小さな瓶に夕焼けが収められている。
さらりとした清水に見事な彩り。
「どんな名称ですか?」
「そうだなあ……”夕の湯”」
「お風呂に入れるとか……? 入浴剤?」
「夕焼け空に浸かっているような心地になれるだろうな。湯から出ると体が夜風に吹かれたように涼しくもなるので、これからの夏の季節にもいい」
「それは嬉しいですね!」
美咲は、瓶に夜色の細い組紐をむすんで、揃えて並べた。
山折りにした和紙を置く。
お客様に向けたメッセージ。
”夕の湯”と……ペン字のように読みやすい筆記で書いた。
「美咲の字の書き方、届けようとする丁寧さがあってとてもいいな」
「ありがとうございます。おきつねさんたちの、流れるような文字も素敵です」
沖常は気を良くしたらしく、別の日に作ってあった”夕染めのインク”を使って、スケジュール帳に文字を書く。
【四季堂】の日誌にしているのだ。
(どんなことが書いてあるんだろう)
……とは思うけれど、神様の予定がズラリと並んでいるだろうし、自分が任されているわけでもない日誌を覗き込まないように美咲は気をつけた。
エプロンを置きに脇をすり抜けた時に、沖常の狐耳がごきげんに揺れていて、なんだか自然に微笑んでしまった。
「それでは、これにて失礼しますね」
「これを」
渡されたのは、和紙に梅模様が金色で描かれた上質な封筒。
流れるような書体で「美咲様」と書かれている。
ひえッ、と美咲は息を呑んでから、意を決して封筒を受け取った。
沖常はけらけら笑っている。
ビビってこそいるけど、美咲がこのお出かけを楽しみにしていると知っているからだ。
「内容は知っているから先に伝えておこうかな。一人でこの手紙を見てからだと、受け止めきれないかもしれないから。
まず、梅姫からの招待状であること。美咲には“梅舞い”の席に同伴して来てほしいんだ。求められる役割は、緑神の話し相手になること、彩りの神を褒めること」
「褒めること……?」
緑神のことはまあおいといて。
「まあ、俺が舞いをするので美咲が感想をくれたなら、より梅の彩りが豊かになるだろうと。神々がからかってくるんだよ」
認知が広すぎる。
いったいどれくらいの神々が美咲のことを知っているのだろうと、遠い目をしてしまった。
招待された場所に座って舞いを眺めていたらそれでいい、と沖常が言ってくれたのが唯一の救いだ。美咲はたくさんの人がいる場所や、不特定多数と話をすることが得意ではない。
そして舞台への行き方について、沖常が切り出した。
「もともと想定していたのは、上位神だけが使える特別な門をくぐらせて連れて行くつもりだったのだが」
「それっておかしいと思われちゃいます……!」
「そうだな。先ほどの少女たちの主張を聞いて、やめておくことにした。もっとも安全な道ではあったが、門を出た途端に上位神々に囲まれるのはおそらく望ましくないのだろう?」
「心臓が持たないかと……!」
「なので、別の道から行ってみようか。人間の巫女たちが使う道がある。今年は下位の大地から、だんだん登ってみよう。その間は俺がそばにいて守ったらちょうどよさそうだ」
「いろいろ考えて下さって、ありがとうございます。たった一個人のために……」
「たった一個人相手だからここまでするんだよ」
それはとても特別扱いだ。
たくさんの相手と同等に扱わないといけないのは、宴の時だけ。
沖常は実にただしく、自然に理解している。
美咲はもぞもぞとローファーの中の足先を動かした。顔に熱が集まってくるのを自覚してしまう。
「い、いつもと違う道をおきつねさんが行くことを、他の神様は気にするでしょうか……?」
「気にはかけるだろうが、嫌がられたりすることはないさ。むしろ歓迎するだろう。千年ほど様式が変わっていないのだから、みんな飽きているんだ」
「飽きて……ですか」
(まさかの)と、美咲は目を見開く。
「重要で大事で好きなことだからやるけれど、飽きはくる。──感性はすり減っていくんだよ。それを補ってくれるのは、いつだって人間たちなんだ」
沖常が美咲を見る目は、まるで、真里が芸術を語るときのように眩しい。
そこまでくるといっそ、浮世離れしすぎていて照れは引いた。顔の熱が下がっていくのが分かり、美咲はホッとした。落ちついた声で、ありがとうございます、ということができた。
「……あ。それならば早出になるか。ふむ。……朝、起きられる自信がないんだが……」
沖常は目覚まし時計というものが嫌で、朝は自然な目覚めとともに始めるのが常だそうだ。沖常の分身である炎子たちも同様である。
がっくりと肩を落としている。
あまりに素直に自信がないとバラすので、美咲はプッと噴き出した。
「もしよければ、起こしに来ましょうか?」
「ぜひそうしてくれるか」
打てば響くような好意だ。
(あの家に居る時間が短くなるのも嬉しいし……)
というのが建前。
(おきつねさんたちに早く会えるってことだし)
こちらが本音。
美咲は自分の甘酸っぱい気持ちに、とても上手に理由をつけることができたのだ。
「では、これを渡しておこう」
「鍵? ヒッ……金!? 重い。まさか本物ですか!?」
「そうだよ」
普通に言われてしまったが、美咲は手のひらに乗ったものがおそろしくて足まで震えそうだ。
金。高価な代物。
かつて黄金の国ジパングと呼ばれていたのは知っているものの、その昔話をここで証明しないでほしかった。
「うちに持って帰れませんよぉ! 見つかったら叱られるどころじゃないですもん……」
「ではこちらにするか」
取り替えられた鍵は、艶々とした飴色で、鼈甲でできているそう。合鍵はいくつかあって、一番色味が地味なものを美咲に渡してくれた。
これなら大丈夫か? と確認してくる沖常の狐耳はへちょりとしており、美咲の胸が痛む。
(いつか、こんなことあなたに気にさせないようになりますから……)
ひょんなことから決意がついた。
思いもよらないタイミングである。
──卒業したら自由の身になりたいという美咲の目標が。
それは辛いからだ、というネガティブな理由しかなかった未来が。
沖常に気兼ねなく接してほしい、と欲しがった。
(なぜ今? っていうのは、"縁"なのが正解かな……)
いつか、と美咲は願い、瞳が明るくきらめいた。
だから沖常も、懸念しながらも、しばらくはまだ見守ることにしたのだ。
美咲の爪に、うっすらとした夕焼け色のインクで模様を描いてあげた。つむじ風を呼んで、美咲を家まで送らせる。それから先は少女の健気な奮闘になるのだ。
帰ってこられるように沖常は言の葉を贈る。
「行ってらっしゃい」
「はい……!」
駆ける美咲のポニーテールがぴょんと弾んだ。
読んでくださってありがとうございました!
昨日は完全に寝落ちしてしまいました……しまったですー!(。>ㅅ<。)汗