スマホと雨雫の雑貨
──そういうわけなら美咲を他のものと同等に扱うとしよう、と沖常が言った。
ちくりと美咲の胸が痛んだが、まあしょうがないよねと自分に言い訳する。
自分に言い訳することに忙しくて、つまりは"同等の神扱いされてしまう"ことに気づくのは、なんと宴の当日なのであった。
真里がなにやら紙袋を沖常に突きつける。
「スマホです! 美咲はなかなか連絡取れないって言っていたから、何かと思えば通信機器を持たないタイプなんですね? 店主さん用のスマホを用意してきましたから、貰ってください」
「これは連絡道具なのか」
「マジか」
「マジなの!?」
「本気なんだよ。すまないね、世間に疎くて」
これまでは風の便りをアテにしていたから──。そんなことを口走りそうな気配を感じたので(実際に神様にはすごく有益な連絡手段なのだが)美咲が会話に割って入った。
「真里たち、そんなことまでしてくれてたの……!?」
「かかか勘違いしないで。あたしたちの不安を減らすためなのよ、いざという時に美咲の制限付きスマホで私たちにも連絡取れなかったら困るじゃない! 手段は多いほどいいのよ。私のためよ!」
「ごらんの通り、真里が心配しきってるから持ってってもらっていいですか?」
「あいわかった」
「なんてこと言うのよ!」
「おや、返事が気に食わなかったか?」
「いいえ!? ほのかのからかいの問題なんだわ!」
「真里、真里、店主さんもわかって言ってるからね。ほら見てあの生ぬるい微笑み。いひゃいわあーー」
「くうーーーーーー!」
「はっはっは」
真里がほのかの頬をのびーーんとつねっていて、沖常は近代の女子高生の戯れを愉快そうに眺めている。
この一連の流れが美咲にもしかけられる可能性があるので、美咲はそっと頬を押さえて防御した。
それにしても内緒で用意されたものがスマホとは、驚いた。
沖常にこそっと耳打ちする。
「おきつねさん、スマホって大変高価です……!」
「そうだろうな。美咲たちと連絡が取りやすくなるのだから、価値があるなあ」
「あっそういう基準……」
「金銭もかかるのだろう? それはわかっているよ。いくらになる?」
沖常が真里を手招きしたが、野良猫のようにシャーーっと威嚇されてしまった。
「いいえ! 私名義で契約をしているものですから金銭的には必要ありませんわ。そして仰った通りに美咲と連絡が取れる大変良いものですから、この店の絵画道具と交換してくださる!?」
「絶好調じゃん」
「ただもらうだけだと関係って破綻していくものですし! 交換の機会をあげます!」
「ふむ」
沖常が棚を指差した。
まるで、今こそ注目されるべきとばかりに雑貨が存在感をもつのは魔法みたいだった。
「さあ、棚を見てごらんなさい。雨雫のように繊細な色のインクがある」
「みっ」
みっ?……たったそれだけ言って固まってしまった真里を、美咲と沖常は不思議そうに見た。
ほのかが翻訳する。
「“見たわ。なんてこと。とてもいい!”だって」
「そりゃあ、そうさ」
子鹿のようにぷるぷるしながら真里が棚に近づいて、インク瓶を手に取ると丁寧に見ていく。
瓶は手のひらに収まってしまうくらい小ぶりで、中に半分ほど雨雫が入っている。
傾けると淡い水色、銀色、青色、紫色へと代わる代わる色が変わって、一瞬たりとも同じ色をしていない。水のようにあっさりと滑るので、さらりとした書き心地のようだ。
隣にはガラスペン。砂つぶと苔が透明ガラスに閉じ込められていて、身近な自然を感じさせてくれる。ランダムなねじれもこの店にふさわしく「ふぞろいな自然の美しさ」だ。
「六月の水たまり、という商品さ」
「素材説明書はありますか?」
「六月の水たまり、と言ったことが全てさ」
神様事情を語ると、
六月の空から落ちてくる最中に周りの景色の色を映した雨雫を収集して、初夏の陽光でそうっと煮詰めて色を濃くしたものがインク。
神の中庭にできていた水たまりから柄杓一杯の自然を掬い、苔も土もそのままでペンの形に練り固めたものがガラスペン。
この説明を風のささやきで聞くことができるのは、従業員である美咲だけの特権だ。
緑の香りがする。
「試し書きをしてみるといい」
沖常は市販のメモ用紙を一枚ちぎって、真里に渡した。
ここの特別な紙ではなく普通のものにも使えるのか? が重要だろうと、お客のことを考えてのことだ。
長年神様しか相手にしてこなかった沖常が、普通の人間のことをあらためて意識するようになってきたのは、間違いなく、美咲を毎日見るようになったから。人間のことがなおさら好きになったのだ。
「……ッ」
「“なんてこと。書き心地が良すぎるわッ”だって」
「ほのか、通訳がすごすぎるよ」
「分かりやすいじゃん? 真里って」
「無表情なんだけど……」
「無表情の真里は、神経全集中しちゃうくらい魅力的なものに出会ってるんだよ。真里の法則を知ればカンタンだから」
「仲良しだねえ」
軽口を言いながらも、美咲たちは真里の手先に見惚れていた。
細いガラスペンの線が、すう──とメモ用紙に何度も引かれていく。
細く、繊細に、それは雨が落ちてゆく奇蹟のようだ。
「……!」
「全部ちょうだいって」
「いいとも。大変楽しんでくれたようだし、対価はもう”いいもの”をもらっているから」
沖常は紙袋にインクとガラスペンを全種類入れて、真里に渡してあげた。
たいそうな大盤振る舞いだ。
真里は後生大事にその袋を抱え込んだ。無表情のままで。
「……」
「“お礼はするわ。この紙袋のデザインをあたしが施すってどうかしら?”だって」
「また感激したんだね。おきつねさん、どうされますか?」
「それはなくてもいいかな。もうたくさんもらっているから」
沖常がスマホを振る。
よっぽど気に入ったのだろう。
美咲と連絡が取りやすい最新道具を。ちなみに設定は住んでいて、美咲たちの番号のみ登録されている。
「紙袋の柄、か……ふーむ」
「店主サン、これまではそういうのどうしてたんですか?」
「俺が“でざいん”していたよ」
そういえば沖常は、デザイナーでクリエイターなのだ。そのようなスタイリッシュな定義こそしていなかっただけで。
自然に色と形を与えている、彩りの神。
「"負けないわ"ですって。真里が」
「おや。つまりやってみたくなったのか?……紙袋は美咲が発案してくれたばかりだから、まだ何も施していない。せっかくだから美咲が運んでくれた縁を反映させてみようか?」
「い、いいんですか?」
「いいとも」
沖常がいいと言ったら、その言葉に裏はないのだ。
裏を察しないと怒られる、という事がない。そういうところが、安心する。
美咲は素直に嬉しくなった。
二人が帰っていった。
読んでくださってありがとうございました!
久しぶりに雑貨のことを書けて楽しかったです♪
物語としての展開は入れなくてはと思いますが、
基本の「テーマ」を忘れずにつくってまいりますね!