現世と神様
店に戻った沖常は早々と奥の部屋に入り、どたっと畳に寝転んだ。
「ううう……疲れた。囲まれて少女の歓声を聞き続けたせいで耳がキンキンするな。どうしてあんなに甲高い声が出せるのやら……ひと昔前の人々は、俺を無意識に敬って、そっと眺めるだけだったというのに」
沖常の横に、子どもがころりと寝転ぶ。
二人の頭上で三体の狐火がふよふよ揺れた。
「だって、沖常様。現代の者たちは勘が悪い。生物の本能をもってしても、沖常様がとてもえらい神様だと気付けないのだろう」
「賛成」「同意」「意見一致」
狐火たちが声を揃えて騒ぐが、まだこちらの方が静かだ、と感じるくらい沖常は疲れていた。
「難儀な世の中になったなぁ……」
「神様信仰が無くなったわけではないんだけどなー」
「みんな忙しすぎるんだ」
「自然に目を向けなくなったように、神様のことを考える余裕もないんだろう」
狐火たちが言い、沖常と子どもはしょんぼり狐耳を伏せる。
狐火は炎の先端をチラチラ震えさせた。
悲しんでいるようだ。
「美咲に四季の彩りを褒めてもらいたくなった」
「いいね!」
子どもがバンザイすると、ポンと狐火に戻る。
狐火が姿を変えていたのだ。
沖常が美咲にお弁当を届けるよりも、子どもが渡した方がスムーズに受けとってもらえるだろうと相談していたのだ。
結局、我慢できずに沖常も顔を出してしまったが。
「狐耳が見えている美咲なら、きっとお前たちが【四季堂】の関係者だと勘付くと思ったよ」
「そうだなー」
「よかった」
でも沖常様も来ちゃったじゃん、という言葉はそっと飲み込んでおく。
「美咲は……沖常様の本来の姿が見えていても、神様の威光には気付いていない気がする」
「うーん。変なの」
狐火がこぼした疑問に、全員で悩んだ。
「つげ櫛の神光にも気付いていなかったもんなー」
「そうだったな。それを見極めるためにも美咲にあの特別な櫛を贈ったのだが……」
「たまたまだろーに」
狐火がぺちんぺちんと沖常の背中にタックルして抗議する。
ダメージはないので、沖常は無視した。
「神社の巫女などは狐耳が見えるものもいるが、俺にあのように親しげに話してくることはない。本能的に畏れるからな。ましてや、気軽に名前を告げるなどしない」
「美咲は、よほど純粋か、大うつけか、ってことになるなぁ」
狐火たちが、首を傾げるかわりにくるりと回った。
「……まあいいや」
「はい、いつもの沖常様!」
沖常がうーんと伸びをしてあくびをすると、狐火が呆れたように言う。
「美咲と良い関係が築けているのだから、理由などそれほど考え込むことでもないさ。悪い娘でもないのだし。
彼女が俺たちの姿を受け入れているのだから、それでいいだろう?
夕方にまた会えるのが楽しみだ」
沖常はよっこらせと立ち上がり、お茶を淹れる。
障子を全開にして、中庭を眺めて春の空気を吸い込んだ。
花姫が置いていったお重を開ける。
鮮やかなちらし寿司。
「素晴らしいな。花膳は月に一度の楽しみだ」
「わぁい! いただきまーす!」
狐火たちとともに、沖常は春を味わう。
「……美咲も同じものを食べているから、会った時にはこのちらし寿司の話をするのもいいな。そうだ、それがいい。話が弾むだろう。
はるばる学校まで足を伸ばした甲斐があったというものだ。
一日に三度も会えるなんて、とても良い日だな」
食事を終えた沖常たちは、うららかな陽気の中でひと眠りしようと横になった。
「あっ。沖常様。弁当箱を取りに来る用が無くなったのだから、美咲は夕方には来ないのでは?」
「……………………なに!?」
沖常はふて寝した。