急
※
キリの顔を見たくない。
動揺していた。
あんなにいろいろ言っておきながら、背中を向けた自分が恥ずかしかった。
だって、嘘だろ?
俺と同じ男なんだよ。
あり得ねえだろ。
俺を騙すつもりだったのか? 俺をバカにしてたのかよ。
地獄にまできて、嘘つかれて騙されて。
だから、地獄なんだな。
本当にそうか?
俺はうずくまっていた膝の間から顔を上げた。
後ろを見るのが怖い。
でも、悪いのは俺じゃない。
あいつだ!
そう思って振り向いた。
あれ? なんかおかしい。
空間には何もなくっていた。
キリがいない。
あの少年がいないのだ。
必死で探したけど何もない。
あったはずの大きな木も。
若い切り株も。声だけの女も。
灰色の空。冷たい風。
見渡す限り空間が広がる。
何もない。
「キリーっ」
嘘つきは俺だ!
衝撃だった。
男を見た瞬間、いいようのない気持ちに駆られた。
男が嫌だったんじゃない。そうじゃないんだ。違うんだ。
俺は頭を抱えた。
真剣に。
俺が衝撃を受けたのは、男が好きな自分自身だった。
俺は同性愛者だったのだ。
それを認めることができなかった。
本当は女なんて好きじゃない。
でも、そこにたどり着くまで俺は生きることができなかった。
キリを見た時、涙が出そうだった。
けれど、認めなかった。認めるわけにいかなかった。
結婚する? 男と? 出来るのか? バカな。
気持ち悪いだろ? 出来るわけがない。
けれど気になる。
どんなに抵抗しても、キリが気になる。
見ちゃいけない。
ダメだ。虜になったら終わりだ。けど失望させたくない。
自分に嘘をついている間に、キリが消えた。
俺の答えも聞かず。
なぜだ?
どこに消えた。
「なあっ、おいっ。誰か答えてくれっ」
俺は叫んだ。
何度も叫ぶうちに声が枯れてきた。
でも俺は叫んだ。
絶対に聞こえているはずなんだ。
ここには何かいる。
――ねえ…。
女の声がした。
「お前っ、若だなっ。キリはどこに行った」
――知らない。出て行った。
「俺の事は何か言っていなかったか?」
――あなたの事は何も言わなかった。ここにいちゃいけないって出て行った。あなたも行って。
「キリに会えるのか?」
答えはなかった。
俺は走った。
どこだか知らないけど、キリがいないのにここにいても意味はない。
窓が見えた。空間にぽっかりと。
間違いなく窓だ。
窓は引き戸になっていて、それを開けると青空が広がっていた。下は何も見えない。高層ビルの何倍もの高さがありそうだ。
「飛べってことか? いいぜ、俺はもう死んでるんだからな!」
俺は窓枠に足をかけた。
思い切り飛び込む。
「キリーっ」
叫びながら、少年の顔を思い描いた。
優しい目元、薄い唇。細い手足。
だんだん意識が遠のいていく。
「キリ…」
俺は呟いた。
会いたい。
今度はもっと素直に生きる。
一人は嫌だ。
地獄に一人ぼっちだったキリ。
俺は自分の事ばかり話していた。キリの話を聞いてあげればよかった。
人の話を聞けるような人間になればよかった。
キリ、もう会えないかもしれない。
会えないかもしれない。
キリ。
キリ…。
男は薄れる意識の中、名前を呼び続けた。
キリ…。
☆☆☆
物語には続きがあって…。