第八話 わたしとセニング、恋人同士の場合
「……あんた、何しに来たの? イノシシ退治の自慢か」
「ナナ……怖いって。機嫌直してくれよ。悪かったって」
コーム君が帰ってしまった後、私とセニングはしばらく無言で立ち尽くした。
いや、正確には、私が何か喋るまでセニングが黙っていただけみたいだけど。
「わたしは良いから、今度コーム君に会ったら、きちんと謝ってよ」
「えぇ? だってアイツから突っかかってきた……」
「違う。元はと言えば、あんたが砂だらけで店に来て、コーム君が一生懸命掃除した床を汚したからでしょう。そこんとこ分かってんの?」
「うっ、はい。分かりました」
しょぼくれた顔で後頭を掻くセニング。彼なりに反省はしているようだ。
「で、なに? 夕ご飯に誘いにきたの?」
「あぁ、それもあるけど髪切って貰いたくてさ。最近、鉄兜を買ったんだけど蒸れるんだよ」
そう言ってセニングは、額にかかる前髪を掻き上げた。
「切っちゃうの? わたし、セニングは髪長いのが似合うと思うんだけど」
「ふん。女の好みで髪型を選ぶほど、俺は落ちぶれてはおらぬわ」
すっかり自分のペースを取り戻したセニングは、おどけた表情を浮かべて笑った。ずるいなぁ、もう。
手を伸ばして、セニングの髪に触れる。そのサラサラしたハリのある直毛は私の憧れ……って、なにこれ? 超ゴワゴワなんですけど。
「ちょっと、頭の中まで砂だらけだよ。イノシシと一緒に砂浴びでもしたの?」
「そうなんだよ! もう、最後はさ、砂ん中で大猪相手にこう、えいっ! ってやって、おらぁ! って、こうして……」
「はいはい。シャンプー台へどうぞ」
身振り手振りでイノシシとの格闘を表現するセニングを無視して、私はシャンプー台へ向かった。
***
母が若い頃は、ボイラーの燃料には薪や石炭を使っていたと聞く。
髪結い店だけじゃない。食べ物屋さんに宿屋さん、どんな職種でもお湯は使う。今はちょっとした店舗ならどこでも錬金術を応用した「錬金ボイラー」を使っている。
私の店の規模ならシャベル一杯分の木質固形燃料で三日間はボイラーを炊き続けられる。木材をぎゅうぎゅうに圧し潰した粒粒の燃料は、一度火が付くと、ずっと燃え続けるから、とっても経済的。燃料費なんてあってないようなもの。
錬金ボイラーもペレットも、どちらも魔導院が作っている。「この街は魔導院が錬金術でもって発展させているんだ」って中学の先生が言ってたな。
「はい、椅子を倒しますね」
セニングをシャンプー椅子に座らせて背もたれを倒しただけで、髪から砂がシャンプーボールの中に落ちてきた。
私の店のシャワーはそんなに出力が無いから、これは水の勢いで洗い流すというよりも、お湯を溜めて濯ぐのが良さそうだ。
砂でギシギシするセニングの髪をお湯に潜らせると、あっと言う間に湯が茶色っぽく変色する。
「きったない! 何なのこれ!? あんた子供か!?」
「ふははっ、面目無い」
「これは何回か濯がないと駄目ね……」
オニオンスープのような色のお湯を捨て、もう一度お湯を溜める。そうして濯ぎ直すと、今度はチキンスープくらいの色になった。こりゃ駄目だ、もう一回濯がないと。
「なんか、久しぶりだな」
「何が?」
「ナナに頭洗ってもらうの。ここ最近、ずっとコームが洗ってくれてたからな」
「だって、コーム君のが洗うの上手いし」
「確かにな」
ようやく透明になったお湯で十分に髪を湿らせてから、ボトルからシャンプー剤を手に取った。
私の店の男性向けシャンプーは、ミントエキス配合でスースーするんだけど、実は私の愛用シャンプーでもある。女性向けのローズエキス配合のシャンプーは良い香りがするんだけど、どうも爽快感が足りなくて洗った気がしないのだ。
そんな事ばっかり言ったりやったりしてるから、なかなか女子らしくなれないのかな……。
「痛かったら言って下さいね」
彼氏を相手に敬語も変だけど、どうもこの「痛かったら」とか「痒かったら」は、なんか髪結いの決まり文句みたいなもので、言わねばならぬ文言みたいだ。
男性の場合は頭の皮脂のせいで、一度目のシャンプーは十分に泡が出ない事が多い。シャンプー剤をほどほどに馴染ませて、もう一回洗おう。
「……コームの奴、ナナの事が好きだったのかな」
シャンプー椅子に横になったままの姿勢でセニングが呟くように言った。
「そういうのと違うと思う。コーム君、大切な幼馴染の女の子がいるって言ってたし」
「そっか……」
この大陸には沢山の亜人族がいるのだけど、その中でも、「エルフ族」「ドワーフ族」「ノーム族」「ホビレイル族」「獣人族」それから「竜人族」の六種族が人間族と友好的で、生活を共にしている。
エルフ族とホビレイル族の仲が悪かったり、ノーム族とドワーフ族が気が合ったりと、各種族には相性みたいな物はあるのだけど、個人個人としては友だちになったり恋人同士になったりもする。
でも、異種族間では子供を作ることは出来ないし、本当の意味で分かり合えることは無いんじゃないかな?
例えば私が所属する人間族(何か変な言い方だね)は、他の種族に比べると半分以下の寿命しか無い。だから、長命なエルフ族の人からすると人間族は凄くせっかちに見えるらしい。
食べるの飲むのが大好きなドワーフ族の人たちは、食事にとんでもなく長い時間(下手すると一日中飲んでる)をかけるし、ノーム族の人の睡眠時間の長さ(下手すると一日中寝ている)は異常だ。
そう言えば、ホビレイル族のコーム君は、呑気を通り越してビックリするほど気が長く、何でもかんでも明日に回そうとする癖がある。私には真面目な彼が問題を先延ばしにするのが不思議だったのだけど、そう、私と彼とでは流れる時間の早さが違うのだろう。
生きる時間の長さは、言い代えれば人生の長さ。
寿命の短い人間族と、長い時間を生きる亜人族では人生観が違いすぎる。友だちとして分かり合えても、愛情を育み合うには人間族の一生は短すぎるんじゃないかと私は思う。
暫く無言で手を動かしていると、セニングがぼそり、と呟いた。
「ナナのシャンプーの練習台になって、全身ビシャビシャにされた事あったよな」
「む、まだそれを言うか」
「忘れられるかよ。ナナの母さんが大爆笑するとこなんて、なかなか見れないぞ」
あれは中学生の時、初めてシャンプーの練習をした時のことだ。首から下がビショ濡れ泡まみれになったセニングを見て、母が涙を流して爆笑したのを昨日の事の様に覚えている。あの時はもう、私は髪結いには向いていないんじゃないかって悩んだんだ。
「本気で凹んだんだからね」
「ああ、分かってるよ。あの時さ、店の裏でピーピー泣いてるお前を慰めたのは、この俺だ」
「何それ? 恩着せがましい」
「何だよ、今日は無駄にトゲトゲしいな」
「あんたが悪いんでしょ」
「もう許してくれって。で、あん時さ、『お前は髪結いになるんだろ? 俺は騎士になる』って、俺が言ったの覚えてる?」
「あー、聞いたような、聞かなかったようなー」
「酷いな。俺が本気で『騎士になりたい』って思った切っ掛けだったのにな」
「そうなんだ……」
セニングが私に真面目な話をするのは久しぶりだ。見かけによらず恥ずかしがり屋な彼は、なかなか本心で話をしてくれない。
「さっき、コームに『何で冒険者になりたいんだ』って聞かれて、俺、何て答えて良いか分からなかった」
セニングは仰向けになりながら、私ではなく天井に向かって話しかけているように見えた。
「俺さ、子供の頃、モテモテだったじゃん」
「今度はなに? 過去の栄光自慢?」
「違うって。そんなモテモテ少年だった俺は、弁当屋を継ぐ、ってのが格好悪くて言えなかったんだよ。だからさ、『実家の弁当屋を継ぐのが嫌なのか』ってコームに言われて、頭に来たのも図星だったからなんだよな」
「セニング……」
「今はさ、弁当屋継ぐの、そんなに嫌じゃないんだ。そりゃ子供の頃は、弁当屋なんて朝は早いし油臭いしメシは三食とも店の残り物だし、親父も母ちゃんも小麦粉まみれでカッコ悪いし。とにかく家が弁当屋ってのが嫌で嫌で仕方なかったんだ」
私は家が髪結い店なのが何よりの自慢だった。母が有名な髪結いなのが最高に嬉しかった。
私は、セニングの心の奥底に仕舞ってあるものに、全然気が付いていなかった。
「俺、頑張ったんだけど騎士になるのは無理みたいだ。だから魔導院の戦士科を目指してたんだけど、それも俺の能力じゃ無理っぽい」
「そんなこと無いよ。イノシシ狩り、凄いじゃない」
「ははっ……イノシシ狩りなら猟師の方が上手いよ。こんな怪我もしないし、砂だらけにもならないよ」
自嘲するように笑うセニングを見ていたら、涙が浮かんできた。やめてよ。そんな事言わないで。
「でもさ、あの時『騎士になる』ってナナに宣言した手前、あっさり諦めて弁当屋継ぐのもな。それに、騎士になれなかったから仕方なく弁当屋継ぐなんて、そんなの弁当屋に失礼だ」
私はもう、何も言えなくなって手を動かすしかなかった。
「親父の作る唐揚げ目当てに毎日たくさん人が来るんだ。それこそ魔導院の騎士科の生徒も来る。あいつら、唐揚げ売り切れだと露骨にがっかりして帰って行くんだぜ。笑っちゃうよな、たかが唐揚げ一つで」
私は相槌を打つ代わりに「流しますね」と決まり文句を言った。
「俺みたいな半端な野郎が、半端な気持ちでそんな唐揚げが作れると思うか? 俺はお前らが羨ましいよ。夢に向かって迷わないで進めるって、良いよな」
どうしよう。涙が止まらない。
私は、セニングの何を見ていたんだろう。
彼女として、一体何をしていたんだろう。




