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第七話 あなたの、そして、わたしの夢の場合

 窓から差し込む優しい西日が、漆喰で塗られた店内の壁を淡い橙色に染め上げる。

 壁に掛けた時計に目をやると、閉店時間が間近に迫って来ていた。


「コーム君。わたし、ちょっと外の空気吸ってくるね」


 そう声を掛けると、一心不乱に床を磨いていたコーム君は、こちらを振り返りもしないで「ごゆっくり」と呟くように返事した。どうやらコーム君は洗ったり磨いたりといった、何かをキレイにする作業が好きらしい。

 彼は集中力が無いと言われているホビレイル族出身だけど、好きな事に夢中になっている時って、集中力なんて関係無いんだよね。それってとっても良く分かる。

 私も髪を切っている最中は、お腹空いたのも頭痛いのも、なんもかんもキレイさっぱりなーんも忘れる。そして、切り終わった後に虫歯が痛かったのを思い出す、みたいな?


 扉を空けて外に出ると、東の空は深い藍色、西の空は鮮やかな茜色。そして、その中間には青と赤が溶け合う灰色の空。

 私は子供の頃から、この夕方の空が好き。この空気が好き。この時間が好き。

 友だちとバイバイ。街中に漂う夕飯の匂い。ただいま、お帰りの声。一日の終わり。そして、ほんのちょっとだけの寂しさ。

 ……寂しさと言えば、今日は売上が寂しかったな。客足がイマイチだったな。もう一仕事したかったなぁ。

 空を見上げて、むぅーん、と背伸びをしてから流行のダイエット体操を真似して腰をグルグル回していると、背後から「今日はもう、おしまい?」と声を掛けられ、ビックリして思わず振り返った。そこにいたのは……。


「うはぁ、リサデルさん!? 変なとこ見られちゃいましたぁ……恥ずかしっ」

「恥ずかしくなんてないよ。髪結いさんは一日中立ち仕事でしょう? ストレッチは大切よ」

「あはは……ストレッチなんて大層な物じゃないですよ……。で、今日はどうしたんですか? お仕事帰りですか?」


 今日のリサデルさんは長い髪をシニヨンに纏め上げ、胸に魔導院の紋章の入った裾の長いワンピースを着ていた。

 彼女は寮母、いやいやいや、女子寮の寮長さんだと聞いているけど、魔導院の生徒でもある。

 ただ、リサデルさんの着ている制服は、街中で見かける魔導院の生徒たちの制服と似通っている部分はあるけど、初めて目にするデザインだった。院生の制服なのかも知れない。


「今日は外部の仕事をしてきたの。その帰りにね、ちょっとエルちゃんの顔が見たくなっちゃって」

「うわ、嬉しいです。今日一日で一番嬉しいかも」


 嘘じゃない。イマイチな売上で落ち込み気味な私にとって、何よりも嬉しい一言だ。


「でね、これ、差し入れ。コーム君と一緒に食べて」


 リサデルさんが差し出してきた細長い缶を受け取った。クリーム色の缶の表面には緑のクローバー模様。意外に軽い。中身は何だろう? お菓子かな?


「私の故郷のお菓子、ジンジャークッキーなの。好きなジャムを塗ってみて。美味しいよ」

「うはあっ、嬉しいです。遠慮なくいただいちゃいます!」

「ふふっ、そんなに喜んで貰って私も嬉しいわ。じゃあ、護衛の人を待たせているから、これで」


 そう言ってリサデルさんは顔を大通りの方へ向けた。その視線の先には、制服姿の屈強な男性三人がこちらの様子を窺っていた。


「あ、はい。また気軽に寄って下さいね」

「ええ、次に来るのは来月末かな。あっ、そうそう。近々、寮の子が髪を切りに行くかも知れない。紹介したい子がいるの」

「ありがとうございます。全力で可愛くさせていただきます!」


 「じゃあ、またね」と背を向けて、護衛の男性たちを引き連れてリサデルさんは立ち去った。

 ごっついお兄さんたちに囲まれた小柄なリサデルさんは、いつもよりも余計に小さく見えたけど、颯爽と歩くその後ろ姿は、まるで従者を従えた清らかな巫女のようにも見えた。


***

 

「コームくーん、そろそろ閉めよっか」


 店に戻るなり声を掛けると、鋏や櫛の乗った作業用ワゴンを片付けていたコーム君は、「もうそんな時間ですか?」と振り返って言った。


「うん、もう日が落ちそうだよ」

「あれ? 手に持ってるの、それなんですか?」


 コーム君は、私が手に持った菓子缶にさっそく目を付けた。

 私は両手でクローバーの缶を掲げて、コーム君に見せ付けるようにして振ってみせると、カタカタとした手応えと乾いた音がした。


「すぐそこでね、リサデルさんに会ったんだ。それでね、差し入れに貰っちゃったんだ! これはねえ……」

「ジンジャークッキーですね」


 コーム君は缶を見るなり、開けもしないで中味を当てた。


「なっ、なんで見ただけで分かるの!? ホビレイル族って透視とか出来るの!?」

「……本気で言ってるんですか? そんな事が出来たら、今頃大変な事になってますよ。そのクローバーの缶ですけど結構有名なんです。知らないエルさんがどうかしているんです」

「くっ、悔しいが言い返せない」

「ジンジャークッキーはそのまま食べても美味しいんですけど、ジャムを乗せると相乗効果で()められなくて止まらなくなります」

「うはぁ……美味しそう。ねっ、いま開けちゃう? いま食べちゃう? 休憩室にイチゴジャムあったよ」

「先に言っておきますけど、そのジャムは僕のです。勝手に食べないで下さい。しかも、夕飯前の今からですか? 明日のおやつにしましょうよ」

「うぅ、大人だなぁ、コーム君」


 私はクローバーの缶に名残惜しさをたっぷり乗せて、休憩室の棚に菓子缶を仕舞った。あぁ、今夜はクッキーに手を出してしまう誘惑に耐えなくちゃいけない。

 ちょっと中だけ確認してみよう。あっ! クッキーにクローバー模様が型押ししてある。カワイイ! 美味しそう! 食べたーいっ!

 私が休憩室でクセっ毛をワシワシ掻き回しているその間にも、コーム君はテキパキと閉店後の片付けを終えていく。


「どうしたんですか? 頭ボサボサですよ」


 休憩室から出てきた私の姿を見て、箒を持ったコーム君が半笑いで言った。


「あ、うん。何でも無い。ところで今日はヒマだったね」

「そうですね。まあ、そんな日もありますよ。明日、また頑張りましょう」

「うんうん、コーム君は前向きだ」


 何とか材料費の分くらいは今日の売り上げでペイしておきたかったけど残念無念。コーム君の言うとおり、明日、頑張ろう。

 私の店は日没が閉店の合図みたいなもの。オイルランプの灯りの元でも仕事は出来なくも無いのだけれど、髪を切ったり染めたりするには、ちょっとばっかり暗すぎる。

 魔導院の開発した「魔陽灯」という、火も油も使わない便利な照明器具もあるのだけど、その魔陽灯でもすらランプよりは多少はマシなくらいで、細かい作業をするには明るさが足りない。


 ……でも、それは言い訳。


 一番の問題点は、魔陽灯はとっても高い! 店舗用の小型の魔陽灯でも、ウチの売り上げの半月分くらいはする。だから私は、自分が生活に使う家庭用の小さいのしか持っていないのだ。


「あーあ、魔陽灯……欲しいなあ」


 思わず独り言が出た。愚痴と言っても間違いでは無いかも知れない。

 母が自ら店に立ち、切り盛りしている大型髪結い店は、天井に沢山の魔陽灯が埋め込まれているので、日が落ちたって店内はまるで昼間の様な明るさだ。あれなら夜遅くまで仕事が出来る。良いな、欲しいな、魔陽灯。

 今日の売上日報を書いていると、カチャカチャと出入り口のドアノブが動いた。あれ? 「***本日は閉店しました***」看板は出しておいたはず。


「やあやあ、お疲れ!」


 妙に明るい声で店に入ってきたのは、いつもの革鎧に長剣を腰に下げたセニングだった。一体、どこで何をしてきたのか知らないけど、全身隈なく砂まみれだ。

 彼が歩くたびにブーツや革鎧の隙間から乾いた黄色っぽい砂が、掃除したばかりの床に落ちる。


「セニング! そんな恰好で店に来ないでって、いつもいつもいっつも言ってるでしょう! コーム君が掃除したばっかりなんだよ!」


 さすがに頭に来て、ついつい大声が出た。さすがにこればっかりは見過ごせない。


「うぉっ、母ちゃんみたいだな。そんな事よりもさ、これ見て驚けっ!」


 そう言ってセニングは腰に下げた巾着袋の中から一枚の銀貨を取り出す。それは、ちょうどジンジャークッキーと同じくらいの大きさだった。


「ちょっ、ちょっと! そんな大金どうしたの!?」

「ふふふ。砂浴びに夢中になってる大猪(ワイルド・ボア)の団体さんを見つけてさ、仲間と一緒に奇襲を掛けたんだよ! それでな……」


 両手をいっぱいに広げ、頬を赤くして手柄話を披露するセニングを見ていたら、だんだん怒りが薄れていった。

 彼は冒険者という夢を追っているんだ。それは私だって同じ。

 夢に向かって一歩前進した時の喜びは、他の何にも代えられない快感だよね。嬉しいよね。とても良く分かるよ。


「でさ、俺が一番の大物を仕留めたんだ! 組合の偉い人も褒めてくれてさ。でも、結構危なかったんだよ。こう、剣をイノシシの首にさ、でね……」

「そう……怪我しなくて良かったね」


 床に落ちた砂を片付けようと箒を取りに行こうとすると、気を利かせたコーム君が箒とチリ取りを持ってきた。

 

「なあ、コームも聞いてくれよ!」

「掃除の邪魔ですから、どいて下さい」


 そう言ってコーム君は無表情に床を掃き始める。まずいなぁ。コーム君が無表情のときは、怒っているときだ。

 でも、セニングは、そんなコーム君の様子には全く気が付いていないように話を続ける。


「なあ、コームも一緒に夕飯行かないか? 好きなモン、何でも奢るからさ」

「セニングさん、一つ訊いても良いですか」


 箒を右手、チリ取りを左手に持ったコーム君は、セニングの顔を真っ直ぐに見上げる。私よりも身長の高いセニングは、コーム君よりも頭二つ分以上も背が高い。

 ぐっ、と首を上げて睨み付けるコーム君の強い眼差しに、さすがにセニングもたじろいだ。


「な、何だよ? 訊きたい事って?」

「セニングさんは、どうして冒険者になりたいんですか?」

「どうしてって……何だよ、急に」

「理由も無いのに剣を振り回しているんですか」

「んな理由って、いきなり言われても……なぁ」


 困ったような顔で私を見るセニング。いや、私に振られても。あんたが答えなさいよ。


「答えられないんですか。お弁当屋さんを継ぎたくないのが理由じゃないんですか」


 セニングの顔が、サッと赤くなる。いけない、実家を継ぐ話は禁句なんだ。


「コーム……ケンカ売ってんのか?」

「ここは髪結い店ですから、そんな物は売ってませんよ。どうしたんですか。答えて下さい」


 食い下がるコーム君。

 舌打ちをするセニング。

 にらみ合う二人。


 こいつら……っざけんなよぅ……。

 私の怒りが大爆発した!


「手前ェらケンカすんじゃねえ! ここはわたしン店だ! このクソバカったれどもがぁっ!」


 私の怒声に二人とも一歩、いや、二、三歩引いた。そして、コーム君とセニングは、バツが悪そうに互いの顔を見合わせた。


「すいませんでした。でも、セニングさん。ここは髪結い店です。キレイになりに来るところなんです。せめて砂は払ってから来て下さい」


 それだけ言ってコーム君は、私とセニングに背を向けて出入り口に歩いて行った。


「なあ、コーム。逆に訊いても良いか」


 セニングの問いかけに、コーム君は振り返りも返事もしない代わりに足を止めた。


「ホビレイル族のお前が、どうして髪結いやってんだ?」


 いつに無く真剣な顔のセニング。

 一呼吸置いてから答えるコーム君。


「僕は髪結いに憧れたんじゃありません」

「じゃあ、お前はどうして髪結いやってんだよ」

「僕は……エルさんに憧れたんです。僕は夢を追う人に憧れたんです」


 突然のコーム君の告白に、怒りも何も吹っ飛んでしまった。


「僕はエルさんの夢の手伝いをしたいんです。同じ夢を見てみたいんです。だから……だから、どうかエルさんの夢の邪魔だけはしないで下さい」


 セニングは答えない。

 コーム君は、「じゃあ、また明日」と言って、扉を開けて出て行った。

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