第六話 ノーム族の場合
平日の髪結い店は、比較的にヒマである。
お客様の波が途切れたので、私たちは遅めのお昼休憩を取る事にした。
「コーム君、お昼にしよっか?」
床に落ちた髪の毛を、箒で掃いていたコーム君に声を掛ける。
「今日は何食べます?」
彼は嬉しそうな顔で返事をした。
私の髪結い店は住居を兼ねた店舗になっているので、当然、炊事が出来る作りになっているのだけど、営業中に調理をするのは控えている。
だってお店の中にカレーの匂いが充満していたら、お洒落をしにきたお客様に失礼じゃない? 気にしない方もいるとは思うけど、百人に一人でも匂いを気にするお客様がいるのなら、私はその方の気持ちを大切にしたい。
「わたし、紅茶淹れておくから、お隣でベーグルサンド買ってきてくれるかな?」
「はーい。エルさん、なにベーグルにしますか?」
「うーん、どうしよっかな? 悩む」
お隣のドーナツ屋さんは、おやつにぴったりなドーナツの他にも、軽食に最適なベーグルも作っている。新鮮野菜にハムや魚介類を挟んだベーグルサンドは、一個でも確かな満足!
「チーズいっぱいのが良いな。辛いのは無しで」
「了解!」
シュッ、と右手を掲げて敬礼したコーム君は、床の毛をパッパと片付けて、いってきまーす! と出て行った。さて、私もお湯沸かそっと。
ところが、買い出しに出たばかりのコーム君はすぐに戻ってきた。
「材料屋さんの馬車が、すぐそこまで来てますよ」
「あ、そっか。今日は材料来る日だ。コーム君。悪いけどドーナツも買っといてくれるかな」
はーい、と返事をして、改めてコーム君は出て行った。すると、入れ違う様にして木箱を抱えた男性が店にやってきた。材料屋さんのアリモニさんだ。
上半身が隠れるほどの大きな木箱に対して、アリモニさんの体格はコーム君と同じくらいに小柄だ。
「お疲れ様です。手伝います」
そう言って手を出すと、「これは申し訳ない。けっこう重たいですよ」と、アリモニさんは恐縮した声色で木箱を差し出してきた。
「大丈夫。わたし、重たいの得意です」
「ははっ、頼もしい。もう一箱ありますので、取ってきます」
私に木箱を渡してアリモニさんは、踵を返して店の外に出て行った。
「うぬうっ、重いっ」
受け取った箱は、確かにズッシリと重たいうえに、カチャカチャとガラス瓶のぶつかり合う音が聞こえたので慎重に床に下ろす事にした。
「ただいま戻りましたーっ! って、あれ? アリモニさんは?」
ドーナツ屋さんの紙袋を両手に抱えてコーム君が帰ってきた。
「なんか、もう一箱あるって取りに行ったよ」
そうコーム君に返事をすると、「いやいや、失礼しました」と、材料屋さんのアリモニさんが、これまた重そうな木箱を抱えて戻ってきた。
「いやぁ、暑い暑い。耳の中が蒸れて蒸れて」
床に木箱を置いたアリモニさんは、タルっと垂れた長い両方の耳を、両手で摘まんで持ち上げた。
「こんにちは、アリモニさん。エルフ族の耳は通気が良さそうですけど、ノーム族の耳は湿気が籠りそうですね」
そう言うコーム君の耳の先も、ほんの少し尖っている。
エルフ族・長耳・ピンと尖っている。
ホビレイル族・普通耳・ちょっと尖っている。
ノーム族・長耳・タルっと垂れている。
私の認識ではそんな感じ。ちなみに私は人間族。耳の形は普通。当たり前か。
ノーム族は、ぱっと見はホビレイル族と似ているのだけれど、長くて垂れた大きな耳が特徴的。医学や薬学に秀でた種族と聞いた事がある。
母の店も含め、ウチが契約している材料屋のアリモニさんは魔導院薬学科を卒業したあと、パーマ液や染毛料を研究開発し、それを自分で売り歩いている研究者兼、営業兼、経営者さんだ。
「エルちゃん、これ納品書。確認お願いしますね」
アリモニさんが差し出した紙片を受け取り、個数と金額を確認する。
「良かった。やっとパーマ液が補充できた」
「ええ、ようやく素材が入荷しましたから。最近は市場に出回る前に材料を魔導院が押さえてしまうんですよ」
「ふーん。魔導院もパーマ液を作っているんですか?」
「はははっ、違いますよ。パーマ液の材料で色々な薬剤が作れるんです」
む、笑われた。でも、気にしない。だって私、頭悪いもん。
「色々な薬剤も作れるって、パーマ液の他に何がつくれるんですか?」
「そうですね。例えば錆び取りの中和剤とか、強力な汚れ落としとかですね」
「へえ、全然パーマ液と関係無い物が作れるんですね。いったい何で出来ているんですか?」
クライン君は「お姉さんは馬鹿じゃない」って言ってくれた。そう、「馬鹿」と「頭が悪い」は似ているけど違う。私は頭が悪いなりに好奇心は旺盛なのだ。
「エルちゃん、聞いちゃいます? パーマ液の材料」
「うん、知りたい。髪結いとして知らなくちゃいけない気がする」
私とアリモニさんが話し合っていると、「休憩中の看板出しときますよ」とコーム君が声を掛けてきたので、お願いするのと同時に紅茶も頼んでおいた。
「……それで、材料って何ですか?」
「青いスライム。一般的にいうブルースライムの体液です」
「すらいむって、あのスライムですか?」
「ええ。たまに床や天井に貼り付いていたりする、べったりしたアレです。主に暗くて湿った場所に生息し……」
ぞわりっ、と鳥肌が立った。
スライムはカビだか菌だかの仲間で、古い建物の地下室や下水道なんかで繁殖? 増殖? 何だか分からないけど、とにかく増えちゃったりするらしい。
中学の授業で瓶詰めにされたスライムを見た事があるけど、なんか、あれは、本能的に、ムリ。
ぬらっとしてべたっとしてぬめっとしてどろっとしてピクっとかビクっとか動いたりして……。
「……との理由でレッドスライムの体液は強酸性であるのに対し、ブルースライムの体液はアルカリ性を示すのです。って、エルさん聞いていましたか?」
「すいません、アルカリさん。聞いていませんでした」
「私の名前はアルカリじゃなくてアリモニですよ。まあ、とにかく、ブルースライムの体液は強いアルカリ性ですので、それを利用してパーマ液を作っているのです」
コーム君がドーナツと紅茶を運んで来たので、待合のテーブルに置いて貰う。「じゃあ、僕、裏で先に食べてますね」と言って、コーム君は休憩室に戻っていった。
「パーマ液の主成分がアルカリ剤だと聞いていましたが、まさかスライムから搾り取っていたなんて……」
「搾り取るわけじゃないのですが、手っ取り早く抽出できるのでスライムは便利なんですよ。しかもスライムは、魔導院の地下にある『地下訓練施設』に生息しているので手に入れやすいのです」
「地下訓練施設……」
セニングから聞いた話では、魔導院の地下には深くて広い迷宮が広がっていて、そこには昔話に出てくるドラゴンとか、神話に聞く悪魔が潜んでいるらしい。魔導院の生徒は、そんなのを相手に腕をみがいているんだって。当然、大怪我をする人や、生きて地上に戻って来れない人もいると言う。
そんなんで再起不能にでもなったら元も子もないじゃない? そうまでして、いったい何が目的なの? ってセニングに聞いたら、
「そこにはロマン……そう、男のロマンがあるのさ」
とか何とか言いだして、小一時間、熱く語られた覚えがある。まったく持って興味の無い話だったけど、最後まで聞いちゃったのは「惚れた弱み」というものだろうか。
「あの、話は変わりますが、わたしの彼氏が魔導院に入りたくて何度も試験を受けているんですけど、やっぱり狭き門なんですか?」
「へえ、エルちゃんの彼氏さんは、何科を志望しているのですか? 魔術科? 神聖術科? それとも錬金術? もしかして、薬学ですか?」
「いえ、騎士科とか戦士科だったと思います」
「ああ、総合戦闘科ですね。では、彼氏さんが入りたいのは魔導院じゃなくて、正しくは魔導院に併設されている戦闘訓練所のことですよ」
「え? それは魔導院と違うのですか?」
「ええ。魔導院は魔術科、神聖術科、錬金術科の三大科の他に、薬学科や鑑定科などを含む、学術を研究する機関ですから」
「じゃあ、その戦闘訓練所と言うのは何ですか?」
「魔導院の研究者を護衛する、戦闘員の養成所です。そうだな、大学に併設された専門学校みたいな物ですね」
「専門学校ですか……」
私の彼氏は専門学校にすら受からないのか……。ちなみに髪結いになるのも、髪結いの専門学校に二年間も通わなくてはならない。私の場合は働きながらの通信教育だったので、卒業までに三年もかかったけどね。
「とは言っても、専門学校呼ばわりしましたが、魔導院の訓練所に入るということは『一流の素質あり』と、認められなくてはならないので、難関といえば難関なんですよ」
一流の素質あり、か。セニングには一流の素質はあるのだろうか。
私のモヤモヤした気持ちには気づかないように、アリモニさんは話を続ける。
「ああ、そうだ。訓練所と言えば、錆び取り剤を大量に発注しているのは戦闘訓練所なんですよ。武具の手入れに使うんでしょうけど、今までに無いくらい大量に仕入れているようで……気になりますね」
「剣とか斧が一気に錆びちゃったんでしょうか?」
「そんなはずは無いと思いますが……。もしかして、本当に戦争が近いのかも知れませんね。もしも、の時には、学院の生徒は学院都市を護るため、最前線に徴用されることになっていますから」
「そうなんですか? だって、学院の生徒って、わたしと同い年くらいの人、多いですよね」
「年齢は関係無いんですよ。魔導院には十三歳から入れますから、場合によっては少年少女でも戦争に参加させられるんです」
「そんな……」
もしも、セニングが訓練所の試験に受かったとしたら、彼は戦争に参加する事になるのだろうか。
もしも、まだルルちゃんが魔導院にいるのだったら、彼女も戦争に参加する事になるのだろうか。
嫌だ。私は、そんなの絶対に嫌だ。




