第五話 子供の場合
答えの出ないモヤモヤを心の底に残しながらも、先を歩くコーム君に追い付き、隣りに並んだ。
「怒ってるの? コーム君?」
「別に怒ってないですよ。呆れただけです」
「呆れちゃったか……」
じっとりとした湿っぽいコーム君の目。痛い、その視線、痛いよ。
ええ、そうよ。私の一族は先祖代々、男を見る目が無いの。父も祖父も賭け事にのめり込み、大借金を残して逃げてしまったらしい。男って、ホントにしょーもない生き物。
でも、そんなしょーもない男を好きになっちゃうのが、母系から遺伝する性なのかも知れない。私を女手一つで育て上げてくれた母だって、祖母が一人で育てのだと聞いている。
「エルさん、あれじゃないですか? 東洋料理のレストランって」
突然、大きな声を上げてピョンピョンとジャンプし始めるコーム君。目の前を横切る人並みの向こうを覗きたいようだけど、彼のやや低めの身長ではそれは敵わないようだ。
私は自分の無駄に高い身長を活かしてコーム君の視線の先を追った。すると、そこには灰色の煉瓦作りの建物が多い学院都市には似つかわない、東洋風に設えた店が建っていた。
煉瓦作りの建物を、無理矢理に木材で建てた様に見せかけたレストランの入り口の上には、妙にリアルで巨大な魚の模型が備え付けられていた。良く見ると、尾びれがピクピク、口はパクパクと動いている。どんな仕掛けか知らないけれど、ちょっと、いや、かなり不気味。
「うはぁ……でっかい魚。あれ、看板?」
「やっぱり生の魚を食べさせてくれるんでしょうか? でも、見て下さいよ、凄い行列ですよ」
コーム君の指差した先には、店の前に列をなす人・人・人……。
「***ここから一時間待ち***」と書かれた手持ち看板を掲げた女性が「最後尾はこちらでーす」と大声を張り上げて、行列をコントロールしていた。
「一時間待ちだって。どうする?」
「僕、酸っぱい物と行列が苦手です」
「うん。わたしは辛い物と行列が苦手」
生の魚に大豆ソースの料理は、行列を作り一時間も待っても良いほどに美味しいのだろうか。学院都市に住む人は、新し物好きで飽きっぽい。ちなみに私も新し飽きっぽい。
でも、私は料理に思いを巡らすよりも、女性が着ている風変わりな衣装とコンパクトに結った髪に目を奪われた。あれは、東洋の「キモノ」と呼ばれる民族衣装だ。なるほど、あのカラフルな服には清楚なアップスタイルが似合う。華やかな衣装にシンプルな髪型の素敵なバランスに、心がウキウキ浮き立った。
「ちょっとちょっと、エルさん」
肘でチョンチョンと、私の脇腹を小突いてくるコーム君。彼の指差した方向に首を巡らすと、そこには薄汚れた革鎧の男性が一人。
「よう、ナナ。コームも一緒か」
「え? あ? セニング!?」
女性の華やかな衣装とその髪型に心奪われて、声を掛けられるまで彼氏、セニングに気が付かなかった。
セニングは、その端正な顔に和かな微笑みを浮かべていたが、ひょろりとした全身には土だか砂だかがこびり付き、防具で守られていない肌には痣や擦り傷が浮いていた。
「今日もお仕事お疲れさん。二人でこれからメシかい?」
「そっ、そうだけど、だっ、大丈夫なの?」
「うん? 大丈夫って、何が?」
私を見下ろす切れ長の目に見つめられ、モヤモヤした気持ちも、美しい衣装にウキウキした気持ちも、どちらも一度に吹き飛んでしまった。
私は馬鹿だ。結局は彼の事が好きという事実が、どんな事よりも勝ってしまう。
「全身傷だらけじゃない! 怪我してない?」
ポケットからハンカチを取り出し、ちょっと背伸びをしてセニングの顔を拭く。瞬く間に真っ白だったハンカチは、赤と茶色が混じった汚い灰色になってしまった。
「ちょっと、ナナ。母ちゃんじゃないんだから止めてくれ。恥ずかしい」
「駄目よ。傷が化膿したら痕が残っちゃうんだから。ちゃんと水で良く流して消毒しないと」
私が夢中になってセニングの顔を拭っていると、「……あのぅ」と背後から低く抑えた声。
「僕、帰りますね。ドーナツありがとうございました」
「え? あ、ちょっと、コーム君?」
「どうぞお二人で夕ご飯、ゆっくりと楽しんで下さい。お疲れ様でした」
「ちょっ……待っ……」
引き留めようと声を掛けたが、コーム君はスタスタと小走りで人混みの中に紛れてしまった。
やっぱり私は馬鹿だ。馬鹿なうえに嫌な女。自分の気持ちばっかり優先してる。
「……怒ってなかったか? コームの奴。俺、嫌われる様な事、したかな?」
革手袋を嵌めた手で顎を擦りながらセニングが呟いた。
「そんなこと無いよ。わたしが悪いんだと思う」
「ナナ、ケンカはいけないぞ。コームは大事なスタッフだろ? 仲間は大切にしないと」
「……分かってる。コーム君とはケンカしている訳じゃないから心配しないで」
「なら良いんだけどさ。でも、残念だな。せっかく懸賞金が入ったから、コームにも奢ってやろうと思ったのにな」
そう言ってセニングは、腰のベルトに吊り下げた巾着袋をポンポンと叩いた。多分、財布なのだろう。
「ケンショーキン? 懸賞金って、お金?」
「金じゃなかったら、懸賞金って言わないんじゃないか?」
「そういう意味じゃなくて、懸賞金なんてどうしたの?」
「ああ、イノシシ退治だよ。今年は大猪の当たり年みたいで、作物の被害が大きいんだってさ。だから、三匹以上狩ると農業組合から懸賞金出るんだ」
「それでそんな怪我を……」
いくら懸賞金が出ると言っても、凶暴な猪を相手に立ち回って大怪我でもしたらどうするつもりなんだろう。剣が振れなくなったら、それこそ元も子も無いだろうに。
「こーんなでっかいボス猪もいるらしいんだ。そいつを狩って名を上げれば、俺だって……」
両手を広げて熱く、嬉しそうに夢を語るセニング。
でもね、私たちはもう、優しい夢から覚めないといけないところまで来ちゃったんだよ。
だけど、私は貴方が好き。そんな、子供みたいな貴方が。
*****
本日、最初の御客様は眼鏡の少年。彼は椅子に座りながら、紙面に穴が空くんじゃないかと思うほどの集中力で本を読んでいた。分厚い眼鏡に掛る前髪が、いかにも邪魔っぽい。
「ちょっとクライン。髪を切ってもらうんだから眼鏡を取りなさい。本を読むのを止めなさい」
クラインと呼ばれた少年は、母親の注意が全く耳に入っていないように活字を目で追いページを捲る。
「良いんですよ。耳周りを切る時だけ眼鏡を外していただければ問題ありませんから」
フォローするように少年の母親に声を掛けると、「すいません」と申し訳なさそうな声が返ってきた。
襟足の毛の生え方が難しいな、そう思いながら鋏を動かしていると、店の外から少女の喧ましい笑い声が聞こえてきた。眼鏡少年の妹とコーム君が外で遊んでいるのだ。
腰を浮かしかけた母親に、私は「大丈夫ですよ」と声を掛けた。
「わたしも小さい頃は、そこの路地で大声出して走り回っていましたから。この辺りの人たちは子供の声で怒る人なんていませんよ」
「もう……本当にごめんなさい。この子たち、双子なのにお兄ちゃんが本ばっかり読んで、妹があんな感じで飛び回っているんです」
ふうっ、と溜め息を吐いた母親は、二人も子供を産み育てているようには見えないくらいに若々しくてスタイルの良い綺麗なママさんだ。
「本当、逆だったら良かったのに……」
「いやいや、大きくなったら逆転しているかも知れないですよ」
「夫は娘に格闘技なんか仕込み始めて大変なんです。学校で男の子たちを泣かしているみたいで」
その時、私と母親の会話を聞いていたのか、本から少しも顔を上げずに少年が声を上げた。
「クラリスは悪く無い。あいつらが馬鹿なだけだ」
「妹を庇うなんて、お兄ちゃん素敵!」
あんまりにもクールな眼鏡少年の言葉と態度についつい本音が出てしまった。そんな少年は、ちらりと鏡越しに私の顔を見て、また本に視線を戻す。良いなぁ、これくらいの頃の男の子って可愛い。
「でもね、クライン君。馬鹿とか言っちゃ駄目だぞ」
「でも、馬鹿は馬鹿だ。僕は馬鹿は嫌いだ」
「えーっ、じゃあ、お姉さんも嫌われちゃうな。だって、お姉さん、馬鹿だもん」
少年は、ふっ、と笑って本を閉じた。
「お姉さんは馬鹿じゃないよ。馬鹿は自分のことを馬鹿だと気付いていない。だから馬鹿なんだ」
眼鏡を通して私を見つめる灰色かかった瞳。深い知性を感じさせる強い輝きに「あの子」を思い出す。
「ちょっと、クライン。失礼でしょう。エルさんに謝りなさい」
「生意気言ってすいませんでした」
母親に窘められたクライン少年は、再び本を開いてその世界に没入していった。
そんな息子の姿を見て母親は、本日何回目かの溜息を吐いた。
「もう……いったい誰に似たのかしら」
「旦那さん、とか?」
「それは無いわ。夫は脳の芯まで筋肉で出来ているから」
あはは、と快活に笑う母親は、夢中で本を読む息子を眺め、それから店の外で遊ぶ妹の姿に視線を移す。慈しむようなその表情は、教会の女神像のそれと良く似ていた。
良いな。私もいつかは子供を産んで、そんな顔で自分の子供をずっと眺めてみたい。
それが、セニングとの子供だったら、本当に幸せだろうな。なんてね。
次の御客様は近所の中学に通う女の子。彼女はいつも前髪だけを切りに来る。一度、自分で切って失敗して以来、懲りて切りに来るようになったのだ。
「眉毛がギリギリ隠れるくらいでお願いします」
彼女の注文は、いつも眉下ギリギリ。それより伸びると眼鏡のフレームに当たって嫌なのだと言う。その拘り、私は良いと思う。
「目も眉の形もキレイだし、ギリギリ眉上でも似合うと思うんだけど、どうかな?」
私は鏡の中の少女に話しかけるようにして、彼女の前髪に櫛を入れる。
意思の強そうな印象の少女の顔立ちには、眉上パッツンが似合いそうだと思うのだけど、今日も彼女は首を横に振った。
「そんな勇気、ありません」
「そう……残念。似合うと思うんだけどなぁ。いつか気が変わったら挑戦して」
困ったように微笑む少女。絶対に良いと思うんだけどな。
好きなんだよね。眼鏡に眉上パッツン。私のクセっ毛じゃ挑戦できないから。
私は眼鏡を掛けている人が好き。
特に眼鏡を掛けている女の子が好き。
あの子を思い出すから。
私の事を大スキと言ってくれたあの子を。
私から「友だちになろうね」って誘ったあの子を。
そして、私から裏切ってしまったあの子を。
ルルちゃん。ごめんね。
私、いまでも馬鹿な女の子のままだよ。




