第四話 彼氏の場合
やっぱり切ったばかりのコーム君の髪はあんまり切るところが無く、カットは、あっという間に終わってしまった。練習にはなったような、ならなかったような。
「はい、お疲れ様でした」
刈布を外して、くっ付いた髪を払っていると、コーム君は鏡に映った自分のおでこを、じいっと眺めていた。
「エルさぁん、これちょっと前髪短すぎませんか?」
コーム君は、前髪を一房つまんで私に振り返った。
「そう? でもコーム君は目元がぱっちりしてて可愛いから、前髪で隠れちゃうと損だよ」
「あの、可愛いとか求めてませんから。僕は大人っぽくなりたいんです」
大人っぽいホビレイル族……駄目だ、想像がつかない。ガリガリ貧弱なドワーフ族とか、ぽっちゃりしたエルフ族くらいにイメージが湧かない。
「ま、いいですけど。ありがとうございました。で、何食べに行きます?」
コーム君は床に散った細かい髪の毛を箒で掃きながら「さっかなかなー、にくっもいーなー」と妙な歌を歌い始めた。大人はそんな歌は歌わないぞ、コーム君。
「とりあえず、お隣のドーナツ買って、それから考えようよ。奢る約束だから、好きなの何個でも選んで良いよ」
「本当ですか!? やったあ! じゃあ、まだ挑戦してないシナモンパウダーのにしよっかな? でもレモンピールが入ってるのもチャレンジしてないしなー。そうだ! 新製品のビターチョコの……」
大人はドーナツくらいでは、そんなにテンション上がらないんだぞ、コーム君。
***
お隣のドーナツ屋さんも、私の店同様に閉店寸前だった。ドーナツ、まだ残ってるかな? って心配だったけど、お目当てのドーナツが残っていたのでコーム君は大変ご満悦な様子だった。
「コーム君。レモンピールって、レモンの皮なんでしょ? それって美味しいの?」
「レモンのハチミツ漬けってあるじゃないですか」
「うん、あれは好き。私もたまに作るよ」
「あんな感じの味です。レモンの風味に苦味が加わって、大人味なんですよ」
あまり売れ線では無いドーナツが入った紙袋を、小脇に抱えてコーム君は嬉しそうだ。
「ねえ、そんなにいっぱい、家帰ってから全部食べるの?」
「いえ、余った分は明日の朝ごはんにします」
「わたしゃ、朝ごはん分まで奢らされたのかい」
「意外に細かいですよね。エルさんって」
「そりゃそーよ。わたし、経営者だもん。そのドーナツだって従業員の福利厚生扱いよ」
「福利厚生なんて難しい言葉、良く知ってましたね」
「仕事に関わることなら覚えられるんだよね、わたし。不思議よねー」
コーム君とお喋りするのは楽しい。何と言っても気を遣わなくて良いし、彼はとっても物知りで頭が良い。
私は自分で言うのも何だけど、頭を使うよりも手を動かすのが得意。だから、私は頭の良い人が好き。色んな事を教えて貰えるし、何て言うのかなぁ、一緒にいると安心する? みたいな。上手く言えないな。
「ねえねえ、夕ご飯、何にしよっか?」
「そうですねぇ……そうだ! 東洋の料理を出すレストランが近くに出来たって、お客さんから聞きましたよ」
「えーっ、東洋の料理って、焼いてない生のお魚とかでしょう?」
「僕、それ食べた事あります。美味しいんですよ。大豆を絞って作ったソースに、ちょんちょんって付けて食べるんです」
「大豆ソースって美味しいの? それも大人味?」
大豆を絞って出来上がるのは豆乳だと思うけど、大豆のソースとは、いったいどんな味がするのだろう。
東洋の文化は私の想像を超える物ばかり。ビックリする事も多いけど、感心することもいっぱいある。私はあんまり頭良く無いから、沢山の物を見たり聞いたりしなくちゃな、って思う。そうして御客様とお話をするネタを集めるのも仕事の一つ。
ふと、空を見上げると、真っ赤な夕焼け空を青黒い夜空が押し潰していくのが見えた。
道の脇に立つ街灯に、ポッ、ポッ、とオレンジ色の灯りが灯る。魔導院の錬金術科が開発した、この火を使わない街灯のお陰で学院都市は深夜でも真っ暗にならない。凄いなあ、錬金術。
そういえば魔導院に行ったあの子、すっごい頭良かったから、今ごろ立派な研究者になっているんだろうな。
昔の事を思い出して少し気落ちしてしまったけど、店の近所の入り組んだ細い路地から広い大通りに出た途端、解放感に心が浮き立った。髪結いの仕事は店の中で一日中カンヅメにならなくちゃいけないから、私は広い所が好き。
馬車が五台は並んで走れるほどの広いメインストリートは、これから夜遊びに出るのだろうか着飾った人や、一日の仕事を終えた人、宿を求める旅行者らしき人々で溢れ返っていた。
沢山の靴が石畳を踏み鳴らす音。
ゲラゲラと笑いあう男の人たちの姿。
きゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げる女の子たち。
大勢の人たちの立てる音や、賑やかな話し声に混じる飲食店の店員の呼び込みの大きな声。うるさいくらいだけど、心地良い。だって、ここが私の育った街だから。
「うわわ、何だかいつもより人が多く無いですか?」
人混みを前に呆れたような顔のコーム君。彼は大通りに出ると、いつも似たような事を言う。故郷の森はきっと静かな所なんだろう。
「大通りなんて、いつもこんな感じじゃない?」
なんて返事をしながらも、確かにいつもより人が多い様な? 何気に道行く人を観察してみると、剣を腰に下げた人、この暑いのに鎧兜に身を固めた人、大きな斧を背中に括りつけた人などなど、いわゆる冒険者風の若い男性が多い様な気がする。
「なんだかセニングさんみたいな人がいっぱい歩いてますね……」
コーム君も私と同じ事を考えていたようだ。
「本当、なんだろうね? 冒険者向けの催しでもあるのかな?」
「たぶん、魔導院目当てじゃないですか? 最近、錬金術で使う鉱石とかを高く買い取ってくれているそうですし」
苛立たしい口調のコーム君は、あんまり冒険者の事を良く思っていない。そんな彼に、東洋料理のレストランを探して歩く道すがらに聞いてみた。
「ねえ、前から気になっていたんだけど、どうして冒険者が嫌いなの?」
「言いませんでしたっけ? 昔、住んでいた家を壊された事があるんです」
「いっ、家を? コーム君の家って、街の外のツリーハウスだよね? 壊されたって初耳だよ、それ」
「僕が魚釣りから戻ってみると、若い男の人たちが勝手に僕の家の戸棚とかタンスとか壺の中を調べていたんです。『ふざけんなー!』って、文句を言ったら『俺たちは冒険をしてるんだ!』とか訳の分からない事を言いだして」
「それは酷い」
子供の頃に流行った「勇者ごっこ」の延長だ。廃屋に忍び込んで古いコインとか探すのが面白かった覚えがある。大人になってもやってる連中がいるのには驚きだ。
「ツリーハウスは大勢が入れる作りでは無いんです。バタバタしているうちに家が傾いちゃって……」
「うわぁ、怪我はしなかった?」
「僕は大丈夫でした。だけど、冒険者の人たちは全員大怪我ですよ」
「それでどうしたの? その人たち」
「放っておく訳にもいかないですから、手当して馬車まで呼びましたよ。なのに『ありがとう』の一言も無い。だから嫌いなんです、冒険者って人たち」
「そう……でも、セニングはそんなんじゃないよ」
私は一応、彼氏のフォローをしておくことにした。だけど、隣りを歩くコーム君は険しい視線を返してきた。
「逆に聞きますけど、どうしてセニングさんなんかとお付き合いしているんですか?」
「うっ、何かトゲのある言い方だね」
「僕、正直言ってセニングさんの事、あんまり好きじゃありません。何だか言うこと成すことが軽くて薄っぺらで。悪い人では無いと思いますけど、エルさんには似合っていないと思います」
「軽くて薄っぺらって……ライトでフランクって意味?」
「びっくりするくらい好意的に受け取りましたね。じゃあ、セニングさんのどんな所に魅力を感じているんですか?」
魅力? セニングの魅力?
優しいところ。いや、あれは優柔不断なだけ。
有言実行なところ。いや、今のところ有言不実行だ。
大きな夢を持っているところ。いや、そろそろ現実を見て欲しい。
料理がとっても上手い。そりゃあ、弁当屋さんの息子だもんね。
「うーん……やっぱり顔かなあ」
「うわあ、聞かなきゃ良かったです」
小さい頃から目鼻立ちがハッキリしていて、スポーツが得意で明るい性格だったセニングは、小学生の時も中学生の頃も、常に皆から一目置かれる存在だった。そんな彼に憧れる女の子はいっぱいいたけど、ずうっと身近にいた彼を、私はイマイチ恋愛対象には見れなかった。一っこ上のお兄ちゃん、って感じだったかな。
セニングと付き合いだしたのは、私がアシスタントの修業を終え、母から一人前と認めて貰う為の厳しい試験を受けていた時期だ。母から何度もダメ出しされて、しょっちゅう店の裏で泣いていた私を、セニングが慰めてくれていたのだ。
その頃の彼は、毎月行われる魔導院の入学試験に幾度も挑戦しては落ちまくっていたから、落ち込む私に共感してくれていたんだと思う。そして、気がついたら付き合っていた、そんな感じ。
「まあ、セニングさんがカッコイイのは認めますよ。でも、それだけですか?」
「後はねえ……わたしより背が高い」
「外見の事ばっかりじゃないですか」
「えーっ、だってさあ、わたしより背が高いってだけでも、探すの大変……」
コーム君は私の返事を最後まで聞かないで、つかつかと歩いて行ってしまった。でも、歩幅の大きい私は、ちょっと小走りになるだけですぐに追いついてしまう。
じゃあ、セニングが私より背が低かったら? って聞かれていたら、私は何て答えていたのだろう。




