第二話 ドワーフ族の場合
「また学院都市に来たときには寄らせていただくわ」
エルフ族のお客様は、満足そうに微笑んで店を後にした。
その一言をいただいただけで、胸がいっぱいになる。嬉しい、素直にそう思う。
――――上手くなるのを目的にしては駄目よ。また来るね、と言ってもらえる髪結いを目指しなさい。
今なら良く分かるよ、お母さん。
感慨に浸っていると、「うぉほぉん」と待合から咳払いが聞こえた。いけない、いけない。お客様をお待たせしてたんだ。
私はすぐに、雑誌を読んでいたドワーフ族の男性に「お待たせしました」と言って、頭を下げた。
男性は雑誌を閉じて顔を上げ、鋭い目つきで私を見上げた。
「ナナ、カットに時間が掛かり過ぎだ。お前の母ちゃんならもっと手早く……」
「はーい、お客さまー。こちらへどーぞ」
母の代からお世話になっているドワーフ族のオルデンさんを、店の奥まったところにある席に案内した。
案内すると言っても、私の歩幅で十歩足らず。こじんまりとした店なのだ。でも、窓が大きくて天井が高いので狭苦しさは感じない。漆喰塗の白い壁には明り取りの窓がいっぱいなので、店内は明るい。
「どうぞおかけ下さい」
私が椅子を勧めると、オルデンさんはそこに腰を下ろし、ゴキゴキと首を回し始めた。
三つある椅子は、それぞれが身長別に分けてある。一番奥は小柄な人向けに調整した席だ。女性の髪結いにしては背が高すぎる私は、椅子の高さを工夫しないと仕事がやりにくくて仕方が無い。
「ねえ、わたしとお母さんを比べないで、って前から言ってるよね」
私は小声で愚痴りながら、コーム君と同じくらいの背丈ながらも逞しいオルデンさんの身体に刈布を掛けた。
オルデンさんは「ふぉっふぉっふぉ」と、妙な声で笑い、ゴワゴワした虎髭を震わせた。
母子家庭で育った私は幼い頃、鋏の調整に来る研ぎ師のオルデンさんをお父さんだと思い込んでいた事がある。優しくて逞しいオルデンさんがお父さんだったら良かったな、と今でも本気で思ってる。デカい娘で申し訳ないけど。
「お前なんぞ、まだまだ尻の青い小娘だ。ヒヨっこだ、ヒヨっこ」
「知ってますー。わかってますー。でも、ナナって呼ばないで。わたし、もう子供じゃないんだから」
子供の頃は「ナナ」って名前が気に入っていた。可愛いし。でも、いつの頃からか、「ナナ」と呼ばれるのが嫌になった。
――――ナナちゃんの髪、ふわっふわで大スキ。
あの子の声が耳から離れない。内気でいつでも俯いていた、あの子の声が。
「今日は横と襟足を短く、前髪は少し長めで頼む。もみあげと髭はグラデーションで馴染ませてくれよ」
「はーい。かしこまりましたー」
ほら、ナナって呼ばれると調子が狂う。
私はエル。髪結いのエル。嫉妬深くて意地悪なナナは、もういないんだ。
「鋏の調子はどうだ?」
「うん、絶好調。最後に研いでもらったのが何時だったのか忘れちゃうくらい」
私は手を止めて、鋏を目線に掲げてみた。店内のランプと明り取り窓からの光を受けて、ミスリル銀で出来た鋏は青白い輝きを放っている。
「ふむ、ミスリル銀は長切れするからな。ただし気を付けろよ。絶対に……」
「落とすなよ。動刃と静刃がぶつかり合って、刃が欠けるぞ。でしょ」
「ふん、分かっているならそれで良い」
幼い頃、この美しい美術品のような鋏に魅せられて、母に内緒で触った事がある。
バレた時には死ぬほど怒られたが、普段はクールで優しい母があんな顔をして怒ったのは、あの時以来、後にも先にも覚えが無い。
もしも万が一、コーム君がこの鋏を床に落としたら、私はどうする、いや、どうなってしまうのだろう。やっぱり母みたいにブチ切れるのかも。
「だがな、近頃、ミスリル銀に使う砥石が手に入り難い。どこかが掻き集めているようだ」
「ふうん。何で?」
エルフ族の柔らかい髪を切った後に、ドワーフ族の固い髪を切るとどうも感覚が鈍る。
どんな髪にも見事に対応できるミスリルの鋏に、私はまだ相応しくないのかも知れない。
「戦争が始まるかも知れんな」
「えっ? せんそうって、戦争?」
「それ以外に何がある。ナナ、新聞は読んでいるか?」
「うっ……うん。一応。でもわたし、中学校しか出てないから良く分かんない」
自慢じゃないけど私は文化芸能ネタには強い。でも、政治経済時事ネタには極めて弱い。
母には「髪結いは事情通であるべし」と、新聞を読むように強く勧められている。
朝刊には必ず目は通すようにしているのだけれど、難しい話はどうしても飛ばし読みしてしまう。お客様が難しい話を振ってきたときには、物知りなコーム君が引き受けてくれている。
「人間族同士の領地の奪い合いが激しくなってきているのは知っているな」
「でも学院都市は大丈夫でしょう? 魔導院は中立だから戦争には巻き込まれないって中学校で習ったよ」
山王都と海王都という、人間族の二大国に挟まれている学院都市は「学術研究都市」の立場を貫いているので、どちらの国も手を出さない約束があるとか無いとか。
「そうだな。ここは戦場にはならんだろうが、それでも血の気の多い奴が増えるだろうな。あぁ、そうだ、彼奴はどうした? お前の彼氏の優男。あの冒険者気取りの」
「冒険者気取り……一応、本人は冒険者のつもりでやってるよ。今日は南の森に生えてるナントカ草っていう薬草を取りに行っているはずだけど」
私の一歳年長の彼氏、セニングとは幼馴染同士。
彼の実家はお弁当屋さんで、私とコーム君のお昼ごはんは、そこのお弁当であることが多い。でもセニングは、昔からお弁当屋さんを継ぐのは嫌だったみたいだ。
彼は高校卒業した後に、魔導院の入学試験を受けたけど通らなくて、今では冒険者と名乗っては、剣を片手に学院都市の周りで薬草を摘んできたり、依頼で野犬とかの害獣を狩って日銭を稼いでいる。
「ナナ、言っちゃあ悪いがあの優男、戦士にはまるで向いて無いぞ。大怪我する前に止めさせておけ」
「まるで向いて無いって……でも、本人やる気だよ」
「やる気があるのと向いているのは違う。お前に頼まれて、儂が彼奴の長剣を研いだのを覚えているか?」
「うん、凄く喜んでたよ。すぐに刃が潰れちゃうから、早く良い剣が欲しいって言ってた」
「ナナ、それは違うぞ」
オルデンさんは、刈布の隙間から手を抜き出して鼻の頭を擦りながら言った。
「切り方が分かっていない無い者が刃物を扱うと、刃が痛むのが早い。お前なら分かるだろう」
「で、でも、やる気は……」
私は中学校を出てから、すぐに母の元で髪結い修業を始めた。
学院都市で一番の腕利きの母の店には、母に髪を切ってもらう為だけに芸能人を始め有名人が列を作る。そんな母の元には、弟子になりたい髪結いのタマゴが毎日のように履歴書を手にやってくる。
私もそんな、やる気に満ち溢れたタマゴの中に混じって何年も修業をした。
そこで私が知ったのは「センス」という名前の絶対的な能力。それは努力では埋めきれない才能。
センスは何にだって存在するんだ。髪結いのセンスだけじゃない。絵を描くセンス、料理のセンス、それこそ勉強にも、運動にだってセンスは存在している。ちなみに私には勉強のセンスは無い。断言する。
「あの優男が大怪我をする前に、何とかしてやらんとな」
オルデンさんは研ぎ師として、私たちの業界ではとっても有名な人だ。本来は剣や斧などの武器を専門に扱う研ぎ師なんだけど、業物と呼ばれるような一流の刃物ならば包丁や鋏でも研いでくれる。そんなオルデンさんが言うのだから、セニングには戦士としてのセンスが欠けているのかも知れない。
でも、やる気のある人に「センス無いから止めろ」なんて、どうして言えるだろう。
私にだって「髪結いのセンスがある」って、いったい誰が証明してくれるのだろう。
私は自分を信じてる。だから彼を、セニングを信じてあげたい。




