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第二十五話 交わした約束の場合

 ***






 私は甘かった。今更ながらコーム君がいてくれた事のありがたさ、いや、その偉大さを思い知らされた。

 お願い。帰ってきて、コーム君。給料倍にするから。


 なんて思ってしまうほど、一人の仕事はしんどかった。

 コーム君が担当していた仕事は主にシャンプーだけど、アシスタントの業務はそれだけじゃない。

 床に散った髪の毛を掃き取るのは当然として、鏡拭きに洗濯、弁当や備品の買い出し、お菓子の準備にお茶出しと、例に挙げたらきりがない。

 そして、嬉しくもあり寂しくもあったのが、コーム君がいなくなった事に対するお客様の反応だ。


「残念ねえ。あの話の続きが訊きたかったのに」

「ぼく、ドングリ独楽(こま)の作り方、まだ教えて貰ってないよ!」

「え? コーム君、辞めちゃったの!? ナナちゃんがいじめたんでしょう?」


 年配の方から子供までがコーム君の退職を惜しんだ。人気者だったんだね、コーム君。

 「求められる髪結いになれ」と、母はよく言っていた。

 私も頑張ろう。コーム君に負けないように。


 セニングの安否が何よりも心配だったが、例の鉱山まで片道で二日は掛ると聞いた。しかも、場合によっては戦場を渡らなくてはならないとなると、セニングが帰ってくるまで一週間はかかるだろうか。私は仕事に集中して、嫌な想像を頭から追い出すことにした。

 そして、一人で仕事をするようになってから三日目の夕方、意外な人物が私の店に訪れた。


「ナナ、元気してる?」

 

 箒で床を掃いていた手が止まる。

 店のドアを開け、遠慮を微塵も感じさせない態度で入ってきた長身の女性が、隣りのドーナツ屋さんの紙袋を掲げた。「ドーナツ、一緒に食べよ」


「おぉ、おっ、お母さん!? 仕事はどうしたの!?」

「んーっ、突然、娘とドーナツが食べたくなったのだ」


 勝手知ったる母は待合のソファに座り、テーブルの上でバリバリと紙袋を破って、そこにドーナツを並べ始めた。


「ほれ、茶くらい出せ」

「~~~~っ」


 相変わらず突拍子の無い女性(ひと)。月に一度は、こんな風に抜き打ちでやってくる。

 紅茶を淹れて待合に持っていくと、テーブルの上には、ずらりと並んだドーナツ各種。


「……人数とドーナツの数が合っていませんが」

「ナナ、何個食べる? 私、五個はいけるから」

「胃もたれしても知らないよ。コーム君いないんだから、こんなにいらないよ」

 

 毒づいた私に向かって、母はペロっと舌を出した。「あっ、そうか。忘れてた」

 嘘だ。母はコーム君がいなくなったのをオルデンさんから訊いて、訪ねてきたのだろう。


「突っ立ってないで座んなよ」

「あのね、お母さん。この店、今はわたしンなの。やめてくんない? そーゆー態度」

「あはははは、言うねぇ」


 憮然とする私を前に、太腿をパンパン叩いては爆笑している母は、もう四十を過ぎたはずだけど、未だ三十代前半に見られる事もしばしばだ。私と並んで歩くと、姉妹に思われる事だってある。


「で、どう? コームがいなくなって大変?」

「うん……思った以上に」

「アシスタントのありがたみが分かっただけでも収穫だ。私、コームは遅かれ早かれパンクすると思ってたよ」

「え? なに見てそう思ったの?」

 

 一番近くで見ていた私が気が付かなかったのに、どうして母はそう思ったのだろう。


「真面目過ぎで頑張り過ぎ。コームがホビレイル族じゃなかったとしても、あれじゃあ疲れちゃうよ。でもね、そこに気が付かなかったお前の責任でもある」


 母はプレーンドーナツを頬張りながら、一番痛い所を容赦無く突いてきた。


他人(ひと)様を使う難しさが分かったか? この未熟者めが」


 言葉はキツイが、母の目は優しかった。


「でも、大事には至らなくて良かったじゃない。あの鋏は欠けちゃったそうだけど」

「オルデンさんに訊いたんだね」

「そう。セニング君の事もね」


 母はティーカップを手に取り、一口含んだ。「薄っ! ちょっと、あんた舐めてんの?」


「う。久々に自分で淹れたから、コツを忘れてて」

「あんた、ホントに一人で大丈夫?」

 

 残念な子を見る、母のその目付き。やめろ、そんな目で私を見るな。


「これから慣れるから大丈夫! いいか、死ぬほど美味い紅茶を飲ましてやるから今に見てろよ」

「喫茶店でも始めるつもり? そんな事よりもほら、これ見てよ」


 母はハンドバッグの中から、折り畳まれた一枚の紙を取り出して、テーブルの上に広げた。


「あ! これって!」

「ふふん、いま建築中の海王都支店の見取り図なのだ」


 私は大きく広げられた紙面を見て、思わず唸った。それはもう、夢のように素敵な一枚の紙だ。


「すっごい! ネイルのフロアもある! あ、これってエステルーム!?」

 

 うわぁ、想像しただけでも心が躍る! ここにオシャレな女の子たちが毎日のように訪れて、飛びっきりに可愛くなるんだ。

 見取り図一枚に夢中になっていると、母が意外な事を言い出した。「ナナ、海王都に行かない?」


「は? かいおーと、って海王都?」

「それ以外に海王都ってあるの? いきなり店長は無理だけど、副店長になって睨みを利かせて欲しいんだよね。私としては」

「わたしが海王都支店の副店長……」


 凄いチャンスだ。また一歩、大陸一の髪結いになる夢に近づくチャンス。大勢の腕利きに囲まれ、沢山のアシスタントを率いて腕を(ふる)う。考えただけでも胸が高鳴る。でも……。


「わたしなんかに務まるかな……」

「コームを失って、アシスタントの大切さを思い知ったからこそ、ナナに任せてみようと思ってるんだ。実力の無い者に、私が仕事を任せるとは思っていないだろ?」


 私はこくり、と(うなず)いた。海王都……新しい店……副店長……。


「すぐに返事をしろ、とは言わないさ。セニング君が帰ってきてから二人で相談しなさい。何なら、さっさと結婚しちゃいなよ」

「け、けっこ、けっこっん!?」


 ニワトリみたいな私を無視して、母は立ち上がって伸びをした。


「じゃ、母は仕事に戻る」

「やっぱり仕事の途中だったんだね」

「ふふん、薄い紅茶ごちそうさま。それ、あげるから眺めてニヤニヤしなさい」


 母は、私が両手で握ったままの見取り図を指さして笑った。


 *


 母が帰って行った後、私は見取り図を天井に(かざ)したり、カウンターの上に置いたりして楽しんだ。ニヤニヤと。

 壁の色は何色だろう? うわぁ、天井高いなぁ。床の素材は錬金製大理石かぁ。えぇ!? 魔陽灯が五十個も!? ……あぁん、素敵ぃ。


「あのう、空いてます?」


 図面に夢中になり過ぎて、入口のドアを開けて中を覗き込んでいたお客様に気が付かなかった。


「あっ、失礼しました! すぐに……」


 心臓が止まる。いや、心の動きが止まった。

 聡明に輝く切れ長の目。ムーンストーンのような瞳を縁取る長い(まつげ)。線で引いたように真っ直ぐな鼻筋。完璧な造形を誇る薄い唇。


「あの? 予約しないと、駄目でした?」


 今まで見てきた中で、間違いなく最も美しい女性の顔に釘付けになる。


「ああ……いや……どうぞ、中へ」


 どうしよう。心が、身体がちゃんと動かない。次にどうしたら良いんだっけ?

 きょろきょろと楽しげに店内を見渡す女性の見事なプロポーションに目を奪われる。

 怜悧(れいり)な美貌とはミスマッチなグラマラスな肢体が、黒いタイトなワンピースによって強調されている。

 だが、それでいて嫌らしく感じさせない、神秘的とも言える雰囲気を彼女は纏っていた。


「あの……」

「ええっと……」

 

 ほぼ同時に言ってしまった。どうぞどうぞ、と、お互いが譲り合う変な空気。


「あのっ、お客様からっ、どうぞっ」

「では……あの、眼鏡を壊してしまって。いま、そこの眼鏡屋さんで修理してもらっているんです」


 そうか、それで何となく、ぼーっとしているんだ、この子。


「その待ち時間に前髪を切ってもらおうと思って。このお店は、寮長のリサデルから聞いて来ました」

「あ、リサデルさんの紹介したい寮生って……」

「はい。私、ルルティアと言います」


 この子、私の事が分かって、いや、見えてないのか?


「す、すいません。御挨拶が遅れました。わたし、店長のエルと申しまう」

「もうしまう、って? あははっ、噛んだ。自己紹介で噛んだ」


 手を叩いて一頻(ひとしき)り笑ってから、ルルティアは人差し指で眉間を押し上げるような仕草をした。


「おっとっと、眼鏡無いんだった。あの、ごめんなさい。突然失礼しました」

「あ、いえ……どうぞ、こちらにお掛け下さい」


 椅子を勧めると、ルルティアはワンピースの裾を整えて足を閉じ、上品な仕草で椅子に収まった。

 な、なんだ、この子? 私の記憶の中のルルちゃんと全く違う。

 しおらしくって慎ましい、野の花のような少女だったはずなのに、いま、私の前に座るルルティアは、(あで)やかに咲き誇るの大輪の花のような美女だ。


「普段は眼鏡を掛けていらっしゃるのですね」


 ルルティアの顔を直視することが出来ない。私は鏡に映る彼女に向かって話しかけた。


「ええ、普段はアンダーリムかリムレスの眼鏡を掛けているんです。私、目付きが悪いのが悩みで」


 ルルティアは両手の人差し指で両目の目尻を押し上げた。


「なに言ってるんですか。そこが良いんです! そこがチャームポイントなんです! ル――」


 危ない、「ルルちゃん」と呼び掛けそうになってしまった。

 どうしよう、後悔と罪悪感を感じていなくちゃいけないはずなのに、こうしてルルちゃんと話をしているだけで、嬉しさと幸せで胸がはち切れそうだ。


「あ、ありがとう。そんなに力説してくれると自信付きます」

「自信どころか自慢して回っても良いくらいに綺麗ですよ。ル、お客様」


 私はルルティアの身体に刈布(カットクロス)を掛けた。あ、首にタオル巻くの忘れた。

 甘くて苦い思い出が胸を満たす。あの日から私たち、擦れ違っちゃったんだよね。


「前髪の長さは眉毛ギリギリでお願いします。リムに当たるのが嫌なんです」

「無難に眉下に合わせますか? それとも、ちょっと挑戦して眉上?」


 うーん、と柳眉を寄せたルルティアは、決心したように目を閉じた。


「店長さんにお任せします。良いと思った前髪でお願いします」


 その時、左の人差し指にピリっとした痛みが走った。目をやると、手が震えていた。口の中には……血の味。

 私は震える手で鋏を握った。重くて冷たい鉄の鋏を。


 信じろ。自分の腕を。

 信じろ。積み上げた鍛錬を。

 信じるんだ。今までの自分を。


 震えは止まった。

 迷いなんて、無い。

 わたしはもう、これっぽっちの後悔も残したくはない。


「――――いかがでしょうか?」


 刈布を外し、自信を持って私は言った。

 眉上ギリギリ、揃え過ぎないよう前髪を整えた。彼女の切れ長の目を際立たせるには、これ以外に考えられない。これが今の私に出せる全てだ。

 ルルティアは、目を細めることも、鏡を確認することもなく微笑んだ。


「ありがとう。やっと切ってくれたね、ナナちゃん」


 私はゆっくりと顔を伏せて、溢れてくる物を留める為に両手を目元に当てた。

 歯を食いしばって嗚咽を(こら)える私を、いつの間にか立ち上がったルルちゃんが抱きしめてくれた。


 泣いて良いのはルルちゃんのはずなのに。

 私には、泣くことなんて許されていないのに。

 ごめんね、ルルちゃん。


「ルルちゃん。また、来てくれる?」

 

 鼻声の私の問いに、ルルちゃんは頷いた。


「昔、私と交わした約束を果たしてくれるなら」

「約束……ごめん、なんだっけ?」


 ルルティアは華やかな笑みを浮かべて言った。


「ナナちゃん。私、まだ魚釣りに連れて行ってもらってないよ」

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