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第二十一話 全てを失う日の場合

 背に当たる柔らかな感触、包み込まれているような安心感。

 座り込んだら立ち上がる気力を失ってしまった。さすがは当店自慢の高級カット椅子。

 遠くにサイレンの音が聞こえる。どれくらいの時間、この椅子に座り込んでいたのだろう。私は椅子の手摺を掴み、のろのろと腰を浮かした。

 暗くなる前にランプに火を入れなきゃ。いつもはコーム君がやってくれてたんだもんな。明かりを灯すタイミングも忘れちゃうよ。

 またも悲しい気持ちと後悔に圧し潰されて、柔らかで優しい椅子に再び沈み込みそうになる。


「駄目だ駄目だ駄目だ! しっかりしろ! ナナエル!」


 私は勢いを付けて立ち上がって両手でぱんぱんと頬を叩き、鏡に映り込む情けない顔をした女を怒鳴りつけた。

 こんな気持ちになるのは分かり切っていたはず。これが私とコーム君にとって一番良い選択だ、って自分で決めたんでしょ? セニングだって、私の決断を信じて応援してくれるって……。

 

「そうだ。セニングのヤツ、どこで油売ってやがる……」

 

 胸を締め付けるような気持ちを、すぐに戻ると言っておきながら、未だに戻って来ない彼氏に対する怒りへとシフトすることにした。


 だいたいあいつは金儲けに目が眩んで、私の店のオープン記念にも顔を出さなかったくらいだ。

 でもそれは、オープン記念のプレゼントを買う為の資金調達の為だったと後日知った。


 私とのデートをすっぽかして、南の森に探索に出かけちゃった事もあった。

 でもそれは、風邪で寝込んでいた私の母の為に薬草を採りに行っていたのだと後日知った。


 私の誕生日の数日前から、行先も告げずにどこかに行ってしまった事もある。

 でも、日付が変わってしまうギリギリに帰ってきて、海王都でしか売っていない有名作家のペンダントをプレゼントしてくれた。「間に合って良かったよ」なんて、格好つけすぎだよ。

 

 早く戻ってきてよ。早く私を笑わせてよ。早くこの()し掛かってくるような後悔から私を助けてよ!!


 カチャリ、と音がして、入口の扉のドアノブが回る。ゆっくりと扉が開いた。


「セニング!?」


 私はセニングが戻って来たと思い、店の入り口に駆け寄った。


「ナナ、話は聞いたぞ。コームが大変だったそうだな」

「オルデンさん……来てくれたんだ」


 扉の向こうに立っていたのはオルデンさんだった。セニングから話を聞いて、わざわざ足を運んでくれたのだろう。


「あんなに良く働くホビレイル族は珍しいと、儂も気にはしていたのだが、な」

「ううん、一番悪いのは、すぐそばにいたのに気が付かなかった私だから……」

「ナナ、お前は昔から自分を責める悪い癖がある。どんなに小さな不運でも、一人だけが悪いなんて事は、この世には一つだって無いんだ」

「ありがとう。オルデンさんって、本当にお父さんみたいだね」


 オルデンさんは、いつもみたいに「ふぉふぉふぉ」と、髭を震わせて笑った。


「さて、鋏を見せて貰おうかな」

「うん。ちょっと待ってて」


 仕舞ったままだった鋏を鞄の中から取り出している間に、セニングについて聞いてみた。


「ねえ、セニングが帰ってこないんだけど、あいつ、どこかに寄るとか言ってなかった?」

「いや、長剣を研ぎ直してやった後は、そのまま帰って行ったが」

「そう……」

 

 鋏を手渡すと、オルデンさんは鋏の刃を、じいっと眺めて「ふむ。これは、いかんな」と唸り、髭に手をやった。私は目の前が暗くなる様な気がした。


「もう、直らない、って事?」

「いや、そんな事は無い。直せる事は直せる。だが、やはり砥石が必要……」


 言いかけたオルデンさんが髭をしごく手を止めた。「いや、まさかな……」


「え? 何? どうかしたの?」

「あの優男から鋏の話を聞いた時にだな、ミスリル銀に使う砥石が手元に無いから、すぐには直せるかどうか分からん、と答えたんだ」

 

 嫌な予感がした。まさか、あの人……。


「儂が長剣を研いでる間、彼奴(きゃつ)は砥石になる鉱石の特徴や、それが採れる鉱山の場所を聞いて来た」

「それじゃあ、セニングは……」

「あやつ、冒険者ギルドに行ったのではなかろうか? 鉱石を採ってきてくれるよう依頼を出してあるから、詳しい話はギルドで聞け、と言っておいたからな」


 後悔とはまた違った「不安」という形のない重さが、私の心を圧し潰し始める。

 

「その鉱山って危ない場所なの? 魔物が出たり、とか?」

「平時ならば、人夫が出入りする鉱山だ。危険は無いと思うのだが、今は……」

「もしかして、戦争?」

「ああ。鉱山の位置は、ちょうど軍隊が睨み合っている中間地点だ。近寄るだけでも危険だ」

「わっ、わたし、ギルドに行ってくる!」


 せり上がってくるような焦りに胸が痛くなる。駆け出そうとした私をオルデンさんが制した。


「待て。ギルドには儂が行こう。その方が話が通り易い。お前は彼奴の家か、立ち寄りそうな所に行って確認してこい」


 私とオルデンさんは、後でオルデンさんの工房で落ち合う事にして店を出た。


 ***


 サンダルの鼻緒が指の間に食い込んで痛い。朝から紅茶しか口にしていない身体が悲鳴を上げている。私はセニングの実家に向かって走っていた。

 お願いだから、危ない事はしないで。その気持ちだけが私の脚を前に進ませた。薬草採りやイノシシ狩りとは訳が違う。戦場の真っただ中に行くなんて……そんな危ない場所に行かないで!

 入り組んだ路地の角を曲がった瞬間、突然、右足の踏ん張りが利かなくなり、私は派手に転倒した。


「いっ……(いた)ぁい」


 じんじんする額に手を当てると、血が滲んでいるのが分かった。それでも私は手指に怪我が無い事の方に安心した。

 石畳に腰を付けたまま足下を見ると、右足に履いていたはずのサンダルが無くなっていた。薄暗くなりかけた路地を見渡すと、すっぽ抜けたのだろう、私のサンダルが裏向きになって道端に転がっていた。

 通りすがりの人たちが、座り込む私をチラリチラリと眺めている。気恥ずかしさも手伝って、私はすぐに立ち上がった。


「痛ててて……挫いちゃったか」


 右の足首に熱っぽい痛みを感じる。でも、こんな痛さなんて、どうって事も無い。早く会いたい。どうせあの人、家で唐揚げでも食べてんだ。「あ、ごめん。忘れてた」とか言うんだ。

 私はサンダルを拾い、じんじん痛む右足を引き摺って歩き出した。


 セニングの実家のお弁当屋さんは、お弁当だけじゃなくて惣菜も豊富に揃えている。私が訪ねた夕暮れの時間帯は、ちょうど夕食の買い物客で賑わっている頃だった。

 忙しそうに客を捌いているセニングのお父さんとお母さん。私は早くセニングの安否を確認したい気持ちと、仕事の邪魔をしてはいけないと思う気持ちに板挟みになって立ち尽くしてしまった。


「あら、ちょっと!? そこにいるの、ナナちゃんじゃないの?」

「あ……おばさん、こんばんは」


 忙しいはずなのに、ぼんやり立ち尽くす私に気が付いてくれたセニングのお母さんは、店の前に並ぶお客さんを掻き分けるようにしてカウンターの裏から出てきてくれた。


「あらあら嫌だ。おでこ切れてるじゃないの!」


 エプロンで手を拭ったおばさんは、私の腕を掴んで「ほら、いらっしゃい。手当しなきゃ」と、半ば強引にお弁当屋さんの中に連れ込んだ。


「忙しいのに、すいません」

 

 恐縮して身を小さくした私に、頭にタオルを巻いたセニングのお父さんが、「おう、久しぶり」とだけ言って、お客さんの応対に戻った。


「ここ、座りなさい」


 おばさんに言われるままに、『豚肉(大)』と書かれた木箱の上に腰を下ろす。


「かわいそうに。どうしたの? こんな怪我して」


 セニングは幼い頃からお母さん似だ。優しく微笑みながら、私の額を濡れたガーゼで拭うおばさんの目には涙が浮かんでいた。


「おい、ナナちゃん。嫁入り前の女の子が、顔に怪我なんてしちゃいかんぞ」


 おじさんの声は、セニングの声色とそっくりだ。まるでセニングがそこにいて喋っているみたいに聞こえる。


「まっ、ウチん息子ン嫁に来てくれりゃあ、顔なんての首の上に乗っかってるってだけで上等ってもんさ」

「あんた! 馬鹿なこと言ってんじゃないよ! 下らないこと言って無いで仕事しな!」


 ごめんね。親子揃って馬鹿なのよ、と苦笑いを浮かべたおばさんは、赤みを帯びてきた私の右首に目をやった。


「足、挫いてるね。冷やさなきゃ」


 おばさんは、捻挫の具合を確かめるように私の足首に触れた。

 その途端、くるるるる、と何も入っていない私のお腹から変な音が鳴った。


「お腹まで空かせちゃって……あら、どうしたの? 足、痛かった?」

「わたし、あ、あし、いたいし……お、おなかもへって、ごめんなさい……」


 堪え切れなくなって、私は子供の頃に戻ったようにわんわん泣いた。

 おばさんは、泣き続ける私の足を、なにも聞かずにずっと(さす)り続けてくれた。


 *


「ちょうどナナちゃんと入れ違いだったねぇ」


 右足を水を張ったボウルに突っ込み、残り物のお惣菜に手をつける息子の彼女わたしの隣りに座ったおばさんは、溜め息混じりに話し始めた。


「またいつもみたいに剣なんてぶら下げて飛び出して行ったわよ。どこ行くとも言わないで」

「そうですか……他には何か言っていませんでしたか?」

「忙しい時間だったからねぇ。ちょっと、あんたぁ!」

 

 おばさんは、洗い物をしているセニングのお父さんに問いかけた。「バカ息子、なんか言ってなかった?」

 私たちに背を向けて、シンクで洗い物をしているおじさんは「うーん」と、これもまたセニングと良く似た調子で返事をした。


「ああ、そういやぁアイツ、さっき変なこと言ってたな。『いつか弁当屋継いでやっから潰すなよ』とか何とか。親ァ舐めんなよ、ってなぁ。まったく」


 おじさんは振り返りもしないで背中越しに言った。

 首を傾げたおばさんは、「我が息子ながら謎な子よね」と、短くため息を吐いた。


「弁当屋なんて継がないぜ、なんて言って剣振り回しているかと思ったら、継いでやる、なんてねぇ。ナナちゃん、悪い事言わないから、あんなのと付き合うの止めなさい」

「あはは……でも、わたし、セニングの事が好きですから」

「あらもぅ、おばさん嬉しい!」

 

 私の頭を何度も撫でて、おばさんはニコニコと笑った。


「あの……わたし、約束がありますから、そろそろ行きます」

「あら、もう行ちゃうの? じゃあ、足首を固定しなくちゃね」

「いえ、帰ったら自分でやりますから……」

「おばさんね、こういうの得意だから任せて。すぐに終わるから」


 おばさんは、立ち上がりかけた私を押し留めて、持って来た救急箱から包帯を取り出した。


「あのバカ息子、しょっちゅう怪我して帰ってくるから、包帯巻くの上手くなっちゃたわ」


 独り言のように言ったおばさんは、熱を持った私の足首にひんやりとした軟膏を塗り、その上から包帯を当てて、器用な手つきでスイスイと患部を固定していく。


「親だけじゃなくて、こんなに可愛い彼女にまで心配かけるなんてねぇ。本当に馬鹿な子だよ」

「おばさん……」

「でもね、ナナちゃんみたいな地に足の着いた娘さんがセニングの傍にいてくれて、おばさん本当に嬉しいの」

「わたし、そんな風に思って貰えるほど立派じゃないです」

「ナナちゃん、覚えておいて。男っていうのはね、どんなに馬鹿で阿呆でフラフラしてても、女がどっしり構えて待っていれば、必ず戻ってくるから。あんな馬鹿息子だけど、信じてあげて」


 にいっ、と笑ったおばさんの顔は、セニングが照れて気取った時の顔にそっくりだった。


「はい。わたしは彼を、セニングを信じています」


 *

 

 セニングの両親は店の外に出て、私が路地を曲がるまで見送ってくれた。

 お弁当の買い出しは、このところコーム君に任せっきりだったから、会って話をするのは久しぶりだった。あのお父さんとお母さんだからこそ、セニングは不器用だけどあんなに優しく育ったんだと思う。

 セニング、無事でいて。お父さんを、お母さんを……私を悲しませないで。

 

 オルデンさんの工房は、母の経営する髪結い店のすぐ近くにある。

 セニングの実家からだと大通りに回るのが近道なのだけど、顔を怪我して足を引き摺る惨めな姿を道行く大勢の前に晒すのは辛い。多少遠回りにはなるけど、私は路地裏を歩くことを選んだ。


 夏の日は長いとはいえ、もう夕暮れ時を通り越した。空を見上げるとジンジャークッキーみたいな丸い月が浮かんでいた。

 大通りとは違い、路地には街灯が少ない。でも、家々に灯るささやかな明かりは、不安と後悔を抱えた私にはちょうど良かった。きっと、魔陽灯では明るすぎる。

 私はいま、大切な物を失いかけている。大切な恋人、大切な友だち。いや、言葉なんかには出来ない、大切な存在を失いかけている。でも、私には信じることしか出来ない。


 ――――大キライなの。


 ルルちゃんの声が聞こえたような気がして、私は思わず足を止めて辺りを見渡した。

 ここは母の髪結い店の裏だ。中学生の頃、まだシャンプーすら出来ない私は、ここでタオルやガーゼなどの汚れ物の洗濯を任されていた。

 そして、ここはルルちゃんと最後に会った場所。ルルちゃんと最後に話をした場所。

 あの時の私は、ルルちゃんを最後まで信じてあげられなかった。


 そうだ。私はここで、彼女の全てを失ったんだ。

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