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第十八話 ホビレイル族の場合

 ***


 身仕度を整えて店の外に出ると、ある意味では健康的で、ある意味では暴力的な夏の日差しにクラクラきた。重さを感じるほどの熱気。その圧し掛かってくるような暑さに天を仰いだ。


「うは……太陽が近い」

「お、意外に詩人だね」


 バンダナのようにしてタオルを頭に巻いたセニングが愉快そうに笑った。

 私はコーム君が心配でならなかったが、セニングが「大丈夫、疲れが出たんだってよ」と何度も念を押すので、彼の言葉を信じることにした。

 入り組んだ狭い路地から大通りに出ると、照りつける陽射しを遮るものが無くなった。サンダル履きの足裏から、ジワジワとした温度を感じる。

 熱を孕んだ石畳に目をやると、自分の影が足元で一塊になっていた。


「ナナぁ、腹減らないか?」

「そう? わたし、こんな時間にお昼食べないから……」


 お腹を押さえて空腹を訴えるセニング。そうか、いま正午に近いんだ。

 髪結いは決まった時間にお昼を食べられることは少ない。忙しい日なんてビスケット数枚で乗り切ることもあるくらいだ。しかも今日は朝から、いや、正確には昨夜から考える事が多すぎて、正直あんまり食欲が湧いてこない。


「なんか食ってからコームん家、行こうか」

「あのさぁ、わたしは早くコーム君のお見舞いに行きたいんだけど」

「いやぁ、たぶん、今頃あいつも病院のメシ喰ってるって」


 私はいち早く病院に行ってコーム君の無事を確認したかったけど「喰ってる間に医者から聞いた話をするよ」と、セニングに押し切られて二人で昼食を取ることにした。私の常連さんが経営しているお店に行くのも考えたけど、今は知っている人には会いたくない気分。


「あそこなんて、どうかな?」

「わたしは飲み物だけで良いから、どこでも良いよ」


 セニングが選んだのは、大通りから一本入った所にある小さな喫茶店だった。中に入ると、昼時ということもあって混み合ってはいたけれど、まったく座れないというほどでも無かった。

 天井が低くて薄暗い店内は、私の髪結い店とはまた違った(おもむき)だったけど、何故だか不思議と落ち着いた気持ちになった。今の私の乱れた心には、これくらいの狭さと暗さがかえって良いみたい。


「真っ昼間っからナナと喫茶店なんて、何年振りだろうな」

「言われてみれば、そうだね。夕ご飯は、しょっちゅう一緒に食べてるのにね」

「メシと言えばさ、こないだ俺、商隊(キャラバン)の護衛で海王都に行ってきたんだ。やっぱ海が近いと魚が美味いね、あそこは」

「海王都、子供の頃に行ったっきりだな……」


 海王都。ここ学院都市の北西に位置する大きな街。経営意欲が旺盛な母はいま、その海王都に支店を出す為に行ったり来たりを繰り返している。


「なあ、今度、二人で旅行に行かないか? 海の方にでもさ」

「りょこう……旅行かぁ」


 馬車に乗って流れる風景を楽しみ、新鮮で美味しい魚料理に舌鼓を打ち、海に沈んでいく美しい夕日を手を繋いで二人で眺める……だ、駄目だ。まったく想像が付かないや。


「わたし、もっともっと仕事頑張らないと。御褒美はまだまだ先だよ」

「そうか? 俺からみたら頑張ってると思うんだけどな、お前」

「嬉しいよ。そんな風に誘ってくれるなんて」


 残念そうに目を伏せるセニングにフォローしといた。もちろん、これは本心だ。でも、最近のセニングは何だか優しいな。何だろう? 遅れてきた成長期か?


「はーい、お待たせしました。こちら林檎のフレーバーティーとランチの定食になります」


 エプロンを身につけた小柄なウェイトレスが、私が頼んだお茶とセニングが注文した定食をトレイに乗せてやってきた。彼女は手際良くテーブルの上にティーセットとランチプレートを並べて「ご注文のお品は以上です」と言い、くるりと回れ右して戻って行った。


「ノーム族の子だったね。今のウェイトレス」


 さっそく厚切りの肉にフォークを突き立てたセニングが、ウェイトレスの後姿をチラリと振り返って言った。


「あら、最近はあ~ゆ~のがお好み?」


 私はランチプレートの上からテーブルナイフを素早く奪い取って、セニングの無防備な喉元に突きつけた。


「うおうっ、さすがに刃物の扱いが上手いな」


 セニングはフォークを握ったまま両手を上げ、「俺は昔っから気が強くて背の高い女が好みなんだけどね」と言って、フォークに刺した肉を口に運んだ。私はそんな彼を軽く睨み付けてからナイフをプレートに戻した。

 しばらく互いに無言で過ごした。セニングは黙々とランチプレートを平らげ、私は紅茶に口を付けず、ただただ洒落たティーセットを眺め続けた。


「最近増えたよな。学院都市で働く亜人族(デミヒューマン)の人」


 最初に口を開いたのはセニングだった。


「そうだね。それだけ色んな種族の人たちがお互い仲良くなってきた、って事じゃない? わたしの店にもエルフ族の人とか獣人族(セリアンスロープ)の人とかいっぱい来てくれてるよ」

「オルデンさんは腕の良い研ぎ師だよな」

「そこで何でオルデンさん?」


 セニングは水滴の浮いたグラスを手に持って額に当てた。次に真面目な、それでいて少し難しい顔をして私を見た。


「俺、オルデンさんに『男の幸せ』って何だと思いますか? って聞いた事があるんだ」

「また、凄いテーマね。そんなのお父さんに聞けばいいじゃない」

「いやいやいや、親父にゃ聞けないよ、そんな事。恥ずかしくて」

「はぁ、そんなもん? 男って馬鹿だね」

「何とでも言えよ。まぁ、親父の事だって尊敬してるさ。でもな、身内じゃない大人の男性に訊いてみたい事ってのが、我々、青年男子には色々あるのよ」

「ふぅうん」


 私だったら悩み事でも心配事でも、何でも母に訊いてみるけどな。やっぱり男と女は違うのかな。


「で、オルデンさんは何て答えたの?」

「そんなもんは知らん。だが、美味い酒が飲めて、良い鉄に触れられれば、儂は幸せだ」


 オルデンさんの声色と顔真似をするセニングに思わず吹き出してしまった。


「似てなーい! 全然似てない!」

「おう、やっと笑ったな。今日、初めてのナナの笑顔を見たぞ」


 ……やめてよ。うっかり泣きそうになるじゃない。どうせここで私が泣いたら、あんたは余計に馬鹿なことをして、無理やり私を笑わすんでしょう?

 私は冷たくなったティーカップに口を付けた。(ほの)かに香る林檎の香り。でも、味は紅茶そのもので、林檎の味はしなかった。

 冷えた紅茶を一口啜ってから、「すごくオルデンさんらしい一言ね」と言って、ティーカップをテーブルに戻した。


「ああ、格言だな。これぞ職人、正にドワーフ族だ、って思ったよ」

「ドワーフ族……そうだね。わたし、小さい頃からオルデンさんが身近過ぎて、オルデンさんがドワーフ族だって忘れてる時がある」

「ドワーフ族っのは職人肌で、一つの事に集中するのが得意な種族なんだって。だからオルデンさんは、ドワーフ族として幸せな人なんだろうな」

「幸せ……」

「ノーム族の人たちは、波風立たない平穏な日常に幸せを感じるんだって。でも、好奇心が強いから旅行に行ったり、人と関わるような事が好きなんだって」

「……じゃあ、ホビレイル族は?」


 セニングはすぐには答えず、半分残ったグラスの水を一気に飲み干してから軽く息を吐いた。


「医者が言うには、ホビレイル族は飽きっぽいのでも集中力が弱いのでも無くて、常に変化する環境に自分を置いていないとストレスにやられて弱っちまうんだって。だからホビレイル族は一か所に定住しないし、定職にも就かない」

「常に変化する環境……」


 華やかに見える髪結いの仕事は、実のところは毎日同じ事の地味な繰り返しだ。その積み重ねの先に技術が、御客様の笑顔が、髪結いとしての幸せがあると私は母に教わった。そして、私もそう信じている。


「だから、コームを診た医者が驚いてたんだよ。ホビレイル族が髪結いの手伝いを一年以上もやってるって事に」


 コーム君は、髪結いの仕事をどう思っていたのだろう。私はコーム君があまりにも身近過ぎて、彼がホビレイル族だと忘れていたんじゃないだろうか。


「セニング……わたし、どうしたら良いんだろう」


 私の言葉にセニングはすぐには答えず、前髪を掻き上げてから、目を(つぶ)って首の後ろを何度か揉んだ。思い悩んだ時のセニングの癖だ。


「悪い。それは俺には答えられないし、アドバイスも出来ない。自分で考えて、自分で決めるんだ」

「セニング……」

「だけど、俺はナナが決めた事なら、どんな事でも正しいと思って応援するよ」


 迂闊(うかつ)にも、涙が零れてしまった。私は手元にあった紙ナプキンを目に当てて鼻を啜りあげた。


「惚れた女の支えになるってのも、男の幸せなんだぜ……って、俺、いまカッコ良いこと言ったよね」


 ほら、やっぱり馬鹿なこと言った。

 あんまり面白くはなかったけれど、私はせめてもの礼儀で、泣き笑いを優しい恋人に返してあげた。

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