第十一話 ルルルとナナナの場合
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男子すら差し置いてクラスで一番背の高い私の席は、教室の最後列が固定位置。そこは小学生の頃から変わらない私の指定席だ。そして、その最後列の席からはクラスの全体が見渡せる。
「……どいつもこいつも馬鹿ばっか」
机の上に頬杖を突き、誰にも聞こえないように小声で呟いた。
私の前方に広がっているのはポニテポニテポニテポニテポニ……何だこれ?
この一週間で私のクラスのポニテ率は、クラスの女子の過半数を超えた。それどころか、隣のクラスにまでポニテ病は伝染し始めたようだ。
こうなってくると、ポニーテールにしている事自体が恥ずかしくなってくる。しかも私の愛用のヘアピンやヘアゴム、シュシュにまで魔の手(主にリコの)が伸びて来る始末。
「あ~これカワイイ~。リコも真似しても良い?」
いやですぅ~。やめてくださ~い。って、言いたいのは山々だけど、ポニーテールは別に私が考案した髪型でも無いし、ヘアアクセだって専売特許な訳でも無い。勝手に真似すれば良い。
そうだ! こんな事なら、いっそのこと超短くベリーショートにでも切っちゃおっか? いや、たぶん次の流行がベリショになるだけな気がする。
両肘突いての頬杖から片肘だけの頬杖に組み替えると、自然と溜め息が出た。
こうしてクラスメイトの後頭を眺めていると、逆にポニーテールにしていない子に親近感が湧く。
眉上パッツン、我が道をいく個性派ヘアの子。
ドングリみたいなメッティ―ヘアなスポ魂女子。
そして、全くオシャレに興味が無さそうな子。
大勢力のポニテ軍団に比べたら、どの子の髪型も少数派だけど、人真似しか出来ない連中より幾らかマシだと思う。
それから、あの顔色の悪いツインテメガネだ。彼女はどのグループにも属さない様でいて、さりげ無くどこかに混ざっている不思議な子だった。
目立たず騒がず主張せず、見てる、聞いてる、でも、何も言わない。たまに咳き込む。
何だろな、筆箱の中の赤青鉛筆の青の方みたいな。あっても無くてもどーでも良いけど邪魔にもならない。空気みたい子だった。
ルルルメガネの席は最前列。視力が弱い子は前の方の席になるのは当然のことだろう。
あ……あのメガネっ子、隣の男子と話してる。
あ……笑った。あの子、笑うとえくぼが出来るんだ。
あ……涙ぼくろがあるんだ。えくぼと相まって可愛――――
なっ、何考えてんだ!? わたしゃ、恋する乙女か!? いや、これは好きな女子を盗み見る男子の心境かっ!?
「おい、ナナ。授業中だぞ。何つっ立ってんだ」
担任が呆れたような笑みを浮かべて私を見ていた。
「へ? あ? あれ? あはは、すいませんでした」
自分でも驚く事に、私はいつの間にか立ち上がってしまっていた。
「立ち上がるほどに感動的な授業だった?」
肩を竦めておどける担任の姿に、数名の女子が笑った。
私のクラスの担任は、大学を出たばかりで私たちとは十と離れていない。
最新のファッションや流行に詳しくて、それでいて大人の雰囲気も持っている彼は、クラスの女子から人気がある。正直、私もそんなに嫌いじゃない。むしろ、ちょっと良いな、とも思ってるくらい。
へへへ、と頬を掻いて席に座り直した私に、「ねえ、どうしたのぉ?」と、隣の席のリコが声を掛けてきた。
「ん? ああ、ちょっとお尻が痒くてね」って、適当に返すと、リコは「やだぁ」と口に手を当ててコロコロと笑った。
あ……あんたも笑うとえくぼが出来るんだ。でも、可愛く無いね。
なんて意地悪な事を頭に思い浮かべながら、私は改めてメガネっ子の後姿に目をやった。
ツインテールの左右の高さがチグハグ。しかも分け目が右に寄り過ぎているせいで、テールの太さが違ってしまっている。それに酷い猫背だし、その制服、何だかサイズが大き過ぎじゃない?
何か、もっさり。そう、彼女は全体的にもっさりしているんだ。
なのに私は一瞬とはいえ、何故にあの、もっさりメガネを可愛いと思ってしまったのだろうか。
***
「ふはははは~! いっちゃ~く!」
両手を振り上げガッツポーズのまま、私は後続に大差を付けてゴールインした。
ふふん、小学生の頃から男子ですら負かしてきたこの私が、同世代の女子に徒競走で負けはせぬわ。
「きゃ~! ナナちゃ~ん、かっこい~!」
なんてキャーキャー騒いでいる女の子たちに向けて手を振ってやると、声援は一際大きくなった。
「しっかし暑くなってきたな」
入学式からはや二ヶ月。気の早い蝉がジージーと鳴き始めていた。
夏の到来を感じさせる太陽を見上げ、ハンドタオルで汗を拭う。息を整え日陰を探して歩きながらも、私の視線はついついメガネっ子を探してしまっていた。
コンコンと咳き込んでばかりいる彼女は、リコに聞いた話では喘息持ちらしい。そういう子は、基本的に体育の時間は見学なのは、小学生の時と同じだ。
クールダウンを兼ねてふらふら歩いていと、校庭の外れ、あんまり整備のされていない草ぼうぼうな木陰の下に座るメガネっ子を見つけた。
制服のスカートごと膝を抱えて、ぼんやりと空を眺めてる。なに見てんだろう? と思って、その視線の先を追ってみたけど、私にはスコーンと抜けた青い空と、そこに浮かぶ千切れた白い雲しか見えなかった。
何もないじゃん、って思って、木陰に視線を戻すと、あれ? いなくなってる!?
私は、思わず木陰に向かって駆け出しそうになった自分にブレーキをかけた。
まったく、何なんだ。あの陰気なもっさりメガネが、気になって気になって仕方が無い。心を奪われる、ってこういう事?
でも、私には「女の子が好き」なんて、そんな趣味は無い。そりゃあ、私だって綺麗な女の子に見惚れる事はある。でも、何でよりによってあんなパッとしない子に……。
その時、すぐ傍の草むらがガサガサっと動いた!
なっ、なに? なんかいるっ!? 思わず身構えて、草が揺れた辺りに目を凝らすと、膝丈くらいの高さがある雑草の中からのそのそと這い出てきたのは、姿が見えなくなっていたメガネっ子だった。
「あ……ナナエルさん」
遠慮がちに私の名前を呼びながら立ち上がった彼女は、膝をパンパン叩いてスカートにくっ付いた雑草を払い落とした。
突然、草むらの中から這い出て来たのも驚いたが、思い浮かべていた人物が急に現れた事にビックリしてしまい、「あんた、そんなトコで何してたの?」と、思わず話しかけてしまった。
「うん……ちょっとね」
そう言って彼女は、サンドウィッチを入れるに具合の良さそうな大きさのバスケットを後ろ手に隠した。もしや、見学中に早弁してたのか? そんな豪快なキャラには思えないけど。
「ナナエルさん、すごく足速いね」
「あ、見てたんだ。へへっ、わたし、子供の頃から足には自信があるんだ」
彼女との初めての会話は、意外にすんなりと始まった。
「小学ンときのマラソン大会なんかでさぁ、男子もまとめてブッちぎって――――」
初めて会話する気まずさも手伝って、変な勢いのついた私の話を、彼女は遮ったり割り込んだりすること無く聞いてくれた。
押さえた口調と、ちょうど良いタイミングの相槌は、お喋りな私には話やすくて気持ちが良い。
「――――ってな訳よ。でさぁ……えっと、ルル、ルルル、ルルルル? ごめん、名前覚えきれて無くて」
「ルルティア」
「ルルル……ルルちゃんって呼んで良い? わたしの事もナナって呼んで良いからさ」
「ナナナ……ナナちゃん」
「……あんた、面白いね」
私がそう言うと、ルルちゃんは恥ずかしそうに身体を小さくして微笑んだ。
あぁ、なんだろう、この気持ち。ぎゅうぅ~っ、てしてやりたいと思った私は変態なのか!?
妙な感情に襲われてウズウズしていると、「はい! しゅーごー! 集合しろーっ!」と、体育教師のガナリ声が聞こえてきた。
「やべやべ、戻んなきゃ」
もっと話をしていたかったが、こんなんで怒られたら彼女まで巻き込んでしまう。
「ルルちゃん、また後でね。ところでそれ、何入ってんの?」
私は、ルルちゃんが手に持つ、籐で編んだバスケットを指さした。だが、彼女の返答は、私の想像を遥かに超える答えだった。
「セミ」
「セミ?」
「抜け殻」
「抜け殻?……って事は、セミって蝉のこと?」
「それ以外に抜け殻を残すセミを、私はまだ知らない」
――――ヤバい。こいつ、なんか変だ。
「おらーっ! そこーっ! 集合だって聞こえんのかーっ! 全速でこーい!」
一瞬、唖然として固まってしまったが、体育教師の怒鳴り声で私は我に返った。
「……と、とりあえず、また後でね」
にこやかに手を振るルルちゃんを背に、私は集合場所へとダッシュした。
蝉の抜け殻なんて、いったい何に使うつもりなんだろう? まさか、あのバスケットの中いっぱいに蝉の抜け殻が入ってんのか? あの子、もしかして「不思議ちゃん」か?
自分を面白可愛く見せる為に「不思議ちゃん」を気取っている女子を数人知っているけど、さすがに「体育の見学中に草むらに踏み込んで蝉の抜け殻を探す女」を私はまだ知らない。
これは色んな意味で目が離せないぞ。あのメガネっ子め。




