第十話 ポニーテールの場合
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「でさぁ、もー、ロクな男子がいないワケよ。かといって、女子にもカワイイ子、ぜーんぜんいないし」
私はそう毒づいて、乾きかけてパサついたパンを口にした。
ママは「ふぅん」と言いながら、これまた乾いて萎びかけたサラダにフォークを突き刺す。フォークを持たない方の手には、数字がいっぱいに書き込まれた書類の束。
ママはこれから夜中まで経営会議だ。でも、どんなに忙しくても夕ご飯だけは一緒に食べる。それが私とママの約束ごと。
今日の我が家の夕飯は毎度おなじみ、幼馴染のセニングん家のお弁当。
「担任はまだマシな方。あ、そうだ! その先生、ウチに髪切りに来てくれてるみたいだよ」
「そう。その方、なんてお名前なの?」
書類を眺めながら、ママは私に訊いてきた。
「担任の名前? ……なまえ? 何だったっけ?」
「一度会った人の顔と名前はきちんと覚えなさい、って、いつも言っているでしょう。髪結いには大切な事よ」
「……ふぁーい」
怒られてしまった。でも、ママの言ってる事はいつだって正しい。ママは、私が髪結いとして、早く一人前になれるように言ってくれているんだ。
「それでね、何か幽霊みたいな、顔色が悪いオバケみたいなメガネ女がさぁ、じーっと見てくんのよ、わたしの事。なんか呪われそう」
ママはフォークを置いて、大きなマグカップを手に取った。
「幽霊とオバケは同じじゃないの? で、その子の名前は何て言うの?」
マグカップの中身をこくり、と飲みながらママが訊いてきた。しまったぁ、あのメガネ、名前、何だっけ?
「えーっ、と、ルルル……ルルルル? ナコルル……? いや、違う」
「ほら、クラスメイトの事を幽霊になんて例える前に、他人の名前くらいちゃんと覚えなさい」
「はぁーい」
「それにね、ナナエル。あなたの持った印象と、その人が持っている魅力は別の物よ。あなたが幽霊みたいと思ったその女の子を、どうしたら魅力的に可愛くしてあげられるか、それを考えなさい」
そう言ってママは書類越しに真剣な目を向けてきた。
「はいっ、分かりました!」
さすがママ。やっぱりママは考えている事が違う。でも、あんな陰気なヤツを可愛くなんて出来るのかなぁ? いくらママでも難しいんじゃないかな。
私は唐揚げにフォークを突き刺して口に運んだ。うん、やっぱり冷めていても、セニングのお父さんが作る唐揚げは美味しいな。
「よぅし! もう一仕事、片付けてくるか! ナナ、夜更かししないで早く寝るのよ」
ママはマグカップの中身を一気に飲み干して、「うしっ! 母は行って来るぜ!」と気合を入れた。中味は確かビールだったはず。
いえーい! とハイタッチを交わしてから、ママはその真っ直ぐな髪をオールバックに纏め、高めの位置でグッと縛り上げる。
真っ白なシャツに真っ黒な長い髪。揺れる大きなイヤリング。シュッと痩せててシュッと背の高い、カッコいいママ。私の自慢のママは、なんて素敵なママなんだろう!
なりたい。私は、こんな大人の女性になりたい。
中学生の頃の夢、憧れ。
それは私の母、その人だった。
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「ねえ、ナナエルさん。これ……見て」
登校した矢先、鞄から教科書を取り出している最中にリコが声を掛けてきた。
「ん? なに?」
見て、と言われても、何を見れば良いのやら?
リコは自分の頭を指さして「ほら、これ」と言う。
私ほどでは無いが癖のあるウェービーヘアは、そんな中途半端な長さよりも、もっと長く伸ばした方が彼女には似合いそう。
「なに、頭? あたま、どうかした?」
「あのね、リコね、ナナエルさんの真似……してみたの」
私の真似? えぇえっ!? その「ちょんちょこりん」が?
私は思わず自分のポニーテールに手をやった。大丈夫、私のは「ちょんちょこりん」では断じて無い。
「ああ……これの真似か」
動揺して言葉が詰まった私の態度を、何か勘違いしたのか、「ごめん、嫌だった?」とリコは媚びたような、窺うような目をして訊いてきた。その目つき、私、好きじゃない。
「あ、いや、別に……嫌とかじゃないよ。良いんじゃないかな?」
なんて答えながら、「あんた、エラ張ってるから顔面が剥き出しになる髪型は止めた方が良いよ」とは、さすがに言えなかった。
……そうだ。ママが言ってたじゃない。どうしたら、このエラハリコを魅力的に可愛く出来るか? それを考えなくちゃ。まずはそのエラをどうやって隠すか、それが一番の問題だ。
だけど、リコが次に発した台詞は、私の想像とは全く違う一言だった。
「やったぁ! ナナエルさんがリコの事、褒めてくれた!」
はい? あ、ちょっと、そういう意味じゃなくて……と言いかけたが、例の喜び方で跳ね回るリコに、続々と教室に入ってきたクラスメイトたちが「なに? どうしたの?」と声を掛けるのが先だった。
「ねえ、聞いて! ナナエルさんがね、リコの髪型をね、良いね、って褒めてくれたの!」
おいおいおいーっ! 褒めてないっ、褒めてないよー!! やめてーっ! 私のセンスが疑われるっ!!
慌てて否定しようにも、ぴょんぴょん飛び跳ね回るリコに付き合うのは、朝っぱらから面倒くさい。まぁ、どうでもいいや。
だが、周りの反応はこれまた私の想像とは大きく違っていた。
「いいなぁ、私もナナちゃんみたいにポニーテールにしようかな?」
「あっ、ずるーい。あたしもやりたいっ!」
「えーっ、私、長さが足りなーい」
きゃいきゃい言いながら、グイグイと後ろ手で髪を括り上げる女の子たち。
何だ、これ? 私はクラスの女子たちの意外な反応にビックリして、思わず皆の顔を見渡した。
ざっと見て、ポニーテールが似合いそうな子は二人だけ。あとの子たちは全員止めた方が良いと思う。
あの子は丸顔すぎて、ポニーテールになんかにしたら東洋の人形みたいになりそう。
あの子は顎が長すぎて、ポニーテールにしたら顔が余計に細長く見えてしまいそう。
あの子は毛量が多過ぎで、ポニーじゃなくて何か違う生物の尻尾になっちゃいそう。
あんたら、全員やめーっ! と、叫びたかったけど、興奮したリコの一言に私は言葉を飲み込んだ。
「リコね、ナナエルさんみたいになりたいの!」
私みたいになりたい?
そう……私はママみたいになりたい。
確かに私は、思い切りよく高めに縛り上げたママの黒髪に憧れたんだ。
だけどそれは、言うこと聞かないボワンボワンのクセっ毛を何とかする為に、苦心の末に辿り着いたヘアスタイルなんだ。
でも、何だ? あんたたちは似合わなくても、真似が出来ればそれで良いの? 個性は? オリジナリティは? 自分らしく在りたくないのか!!
私は苦々しい気持ちで席に腰を下ろした。
ねえねえ、私、ポニテしたらどうかな? と燥いだ調子で訊いてくるクラスメイトを適当にあしらいながら教科書を机に仕舞まっていると、また、あの視線を感じた。メガネっ子、私を見てる。
睨み付けるような気持ちでルルルル? に視線を返すと、彼女は気まずそうに目を逸らし、ついでにコンコン咳き込んだ。
何だよ。そんな態度取るんだったら、こっち見んなよ。
なんて思いながらも、何故だろう? メガネっ子の中途半端で不格好なツインテールから目が離せなくなった。
あの子、項のラインが凄く綺麗だ。耳の形も良いし、首が細長くて、何より頭が小っちゃい。それに……なんて白い肌。あの子ならポニーテール、すっごく似合いそう。
あれ? どうしたんだ、私?
なんでそんな事を考えてんだ、私?




