不明
カキキル。
「朝か……」
ベッドから半身だけ体を起こしたボクは小さな欠伸をした。
窓から差し込んでくる光が眩しく、咄嗟につむったまぶたを手の甲で擦る。
……眠い。
反射的にもう一回横になろうとする体を無理やり動かしてベッドから降りた。おぼつかない足元のままたんすの前まで行くと、質素な布のシャツとスカートをとりだしてそそくさと着替える。
時計を見て……朝食までに半刻ほどある。今から行ってもまだ食堂が空いてないだろうしなぁ。
なにかすることはないかしらと部屋の中を見渡していたら、備え付けの鏡の中に髪がボサボサで少しむくんでいる自分の顔が映っていた。
「……顔を洗ってこよ」
ボクは朝食までに顔を洗ってくることにした。
~☆~
このオルレアン魔術院は広大な土地をもつ、古くからの歴史の上に成り立つ有名な魔術専門学校ではあり、その門は誰に対しても寛容である。
基本的に校法(学校内での法律。基本的に学校は町ほどの大きさで教師、学生以外にも一般人が住んでいる)を守るという誓いと、選定教官との面接を行うことで入学できるのだが…………校法といってもデタラメで学校側が有利になる法律という訳ではなく、ちゃんと誰もが快適に暮らせるように作った正しい法律だし、教官との面接なんて、趣味と特技、年齢程度を聞かれるだけでよほど精神が異常な者以外なら誰でも入れるような施設なのだ。
そんな学校だと大したことは教えてくれないんじゃないかと思うかもしれないが、古くからの歴史の上に成り立つというだけあって国有数の博士や魔導士(魔法関係の職業に就いている人)がたくさんいたり、歴史的価値のある本などがたくさんあったりするのだ。……ボクもたくさんってことは知ってるけど具体的な数は分からないけど。
そして、この学校の特色といったらやはり大きさである。
「学校内に湖があるんだもんねぇ……」
今向かっているのは、さっきボクが出てきた寮から西側にある程度歩いたところにあるこの国最大の湖、オルレア湖。
……この学校、ではなくこの国最大である。非常にでかい。
なんてことを考えているうちに湖のほとりまで来た。
周りを花畑で囲まれた湖。その中をのぞきこむと水の透明度が高いためかなり深いところまで見ることができる。
水辺までたったか走っていき水面に顔を近づける。……水はかなり綺麗なのだが、水面に映ったボクの顔はきたなかった。というか、むくんでいた。
顔を洗おう。そう思って水をすくってみる。
「……冷たい」
はたして水はいつもどうりの冷たさを保っていた。引き締まってちょうどいいや、と思いそのままじゃぶじゃぶ顔を洗っていく。顔の中心から外側にかけて柔らかく伸ばすといい感じ。
……実は寮にも水を自由に使える場所が幾つかあるのだが、ボクが寝ぼけているときは目を覚ますがてらこちらに来て顔を洗っている。お気に入りの場所だからってのもあるんだけどね。
水が顔に染み込んでくる感じを味わいながら、だんだんと頭が眠りモードから活動モードへとシフトし始めていく。そこで、ふと…………昨日のことを思い返していた。
あの場所で寝てたらいきなり声を掛けられて、告白された。で、断ったら殺されかけた。そしてあの人ーーリートさんに助けられた。
……我ながら簡素にまとめすぎかな。
でも、なんでボクを殺そうとした人は彼女の名前を聞いただけで青くなって逃げ出してしまったんだろう?
ーーり…………リート家の……!!?
一瞬体が強ばったかと思うと、そのときまであった威圧的な態度がなくなって後退り、そのままどこかへ消えてしまった。
あの人が居なかったら、ボクは今頃ここには居なかっただろう。……それなのに。
「お礼どころか感謝の気持ちも伝えられなかった……はぁ」
ボクはなんてダメな奴なんだ。機会はいくらでもあったはずなのに。
ボクが助けられたあと、ノブリス君とその取り巻き2人に謝罪された。
ーー謝ってすむ事だとは思えないが、すまなかった……。彼は後日必ず処罰する。そしてこの詫びをさせて欲しいのだが……。
そう言いつつ、何かを含んだ目でリートさんを見た。
何も言わなかったが。
当然ボクは'詫び'を断った。人から請求するのは得意じゃないし、何より'貴族'から個人的に何かーー例えそれが庶民に広く浸透している品物であろうとーーを頂くという行為そのものが危険だからだ。
本来なら貴族からの贈り物を断るほうが失礼なのだが、さっきの人ならともかく彼らなら断ってもいきなり斬られたりしないだろう、といういささか楽観的な考えと、もう早く自分の部屋に帰って日常に戻って今日の事を忘れてしまいたいという欲求から、その時は行動したのだが。
色々と腑に落ちないという顔をしつつも、ノブリス君は最後に、本当にすまなかったと言って帰っていった。……ついに、そこにいたリートさんとは一言とも言葉を交わなかった。
だけど今思い出してみれば、ノブリス君たちが彼女に向けた視線は…………恐怖をはらんでいるように、見えた。
ノブリス君が帰った後はボクとリートさん。二人だけ残った。ボクがあの場所に行ったのは昼過ぎだったのだが、そのときにはもう陽が沈みかけていた。……夕日に照らされたリートさんの顔がどこか幻想的でボクは目を奪われたのは置いておこう。
ボクはそこで感謝の言葉を言おうとしたのだが
「あ、あの」
「はは、女の子が1人でこんなあまり人が居ないような場所にいちゃいけないよ」
見事にこの人にも女の子と勘違いされてしまっていた。……そのまえに、それを言うならあなたも女の子じゃないですか。
だけどそれは所詮心の声で、実際には言えなかった。
「1人で帰るのは危険だから私が送っていくよ」
…………。
そしてそのまま送ってもらって礼を言う前にどこかへ消えてしまった。
今思い返してみても自分の馬鹿さ加減に呆れてしまう。
……はぁ。
「リートさんかぁ、かっこよかったな」
無意識に口にする。
颯爽と現れて、命を救って、その後の配慮も忘れない。さながら、王子様みたいな女の子だと思った。
「会って、お礼をしたいな……」
言えなかった、ありがとうを言いたい。……そして。
ーーゴォォォゥン、ゴォォォゥン
これは……!起床の鐘が鳴っている。ということは。
「まずい、ご飯、ご飯、急がないと……!!」
思考することを中止して、寮に走る。ボクのいる寮では、この鐘の5分後から朝食というルールになっている。20分以内に戻らないと朝ごはんは抜き。現実は厳しいのだ。まあこれにもある理由があるのだが。
……間に合うかな?
ボクはそこまで整備されてない道を全力で走っていった。……脇腹がいたくなってきた。
~☆~
結論からいうと、朝食の時間には間に合わなかった。……心のなかでは間に合うと思っていたのたが、現実は非情。なぜかトラブルが立て続けに起こり、ついに時間までに食堂にたどり着くことは無かった。
「はぁ……朝ごはん……」
朝食の時間から30分はたって、ゴールイン。食堂はそこにあっただろう活気の残骸を少し残して、静寂を保っていた。
まだ育ち盛りでは無いにしろ、自分でも同年代の子と比べて(と、いっても遠くから見てだが)そこそこ食べるほうと自覚しているボクにとって朝ごはん抜きはキツい。
ーーーーーーぎゅるるるる。
はぁ。こうなったら食料保存庫でもあさっちゃおうかしら、いやそれは犯罪だ。町まで行って安くて固いパンでも買ってこようかしら
そう考えていたとき。
それを見つけた。
食堂の食べ物受け渡し口に置いてある、握ったご飯ーーオニギリと言うらしいーーと一枚のメモ書き。
~☆~
ショウ君、今日はあなたが珍しく朝食に顔を出さないので心配しています。顔を洗いに泉まで行ったという話を聞きましたので、まだ朝食を食べていませんでしたらここにあるおにぎりを食べてください。
追伸、食べる前に手を洗うこと。食べた後は食器を返却口へ返してください。あと歯磨きもわすれないでね。
~☆~
「この大地と我が魂に、神と生きとし生けるもの全てに感謝します」
簡易的に食への感謝をし、オニギリを口に運ぶ。……冷めているはずのオニギリは何故か暖かかった。
~☆~
「うわぁ……今日魔窟で講義かよ……」
「授業で小魔石使うらしいよー、買いにいこーよ」
「ぜってぇこの課題先生の実験に使うための材料じゃねえか……」
「今日は無しで明日朝からか……だるい」
「おっしゃ今日実戦じゃねェか!ヒョウ!」
「でも……がで………………だ、そ…は」
いつもここは賑わっている。当たり前だよね。
食事を済ませたらそのまま学校の広場に向かった。今日の講義の時間、場所確認である。
少し説明をすると、この学園の先生は基本的に国お抱えの魔導研究員と兼任しているため空いている時間が限られるのである。
一日一講義でちょうど朝の鐘がなる頃に広場の掲示板には今日の講義開始時間が貼られるのだ。生徒は自分の科の講義時間、講義場所、追加課題(遅い時間から講義を始める先生がよく出す)を確認し、その時間までに色々と行動することとなっている。
空いた時間をどのように過ごすかは個人の自由だが一平民たるショウは、毎日掲示板確認した後に生活費を稼ぎに街の中心部に繰り出している。
掲示板の前、人が多いなぁ。いつものことだけど。
「ちょっと、ゴメンね。……どれどれ」
ボクは人の合間を縫って掲示板ーーの隅を確認した。
ーー今日は夜の鐘3つ刻からか。場所は……うわっ、追加課題がある。星生草5枚かーー
めんどくさいな、と思ったけど
「星生草の依頼と一緒にやれば効率がいいかな?」
~☆~
学園を出て城に向かって歩いていくと、すぐに活気のある人々達の声が聞こえてくる。
路上で新鮮な食材を売るもの、宿屋の呼び込み、世間話をする人々、はしゃぎ回っているこどもたち。
ここ、中心部は人々がみな明るい雰囲気のためショウはたまらなく好きだった。……売り子は少し苦手だが。
人々の隙間を抜けて中心部の中心部ーー通称、噴水広場に出る。遥か上で傘状にふき出る水が段を流れ落ちていく姿は圧巻である。
「いいよねー」
ぼへーっと。ここにきた理由を一瞬忘れて噴水に見とれる。段を椅子のようにして腰かける二つの像もこの噴水の魅力の一つである。
ーーあ、依頼受けないと。
思い出したボクは弾かれたようにまた走り出した。
といっても目的の場所は走るほどの距離もなく。
「とうちゃくっと」
若干薄汚れてはいるが立派な木造作り。
そこそこ大きい建物だが、それ以上の威圧感を発している。扉はなく、中は暖簾によって見えなくなっている。一目見て怪しいな、と普通の人なら思う店だった。
この外見を直せばもっと人が入るだろうに。
……中は、意外にも、小綺麗な感じである。
入っていくと、テーブルと椅子がたくさん置いてありなかなか人で賑わっている。柄の良さそうな人々が談笑して食事をとっていた。朝っぱらから酒を飲んで酔っぱらってる輩など……いなくもないが、ほとんどいなかった。
ここはなんでも屋、通称ネストである。ネストはもともと酒場も含めて営業していたのだが、だんだん規模が大きくなるにつれて客の需要が増え、こうして一般的な料理も出すようになったのだ。……そこらの料理屋より上手い飯を出すと有名になり、なんでも屋のはずが利用客の大半が飯目当てでくるようになってしまったのだが。
受付は……うん。空いてる。
ボクが急いで受付の前に来ると、きっちりとした印象のお姉さんがいつもと変わらない笑みで「本日はどんなご用件ですか?」と聞いてきたから、ボクは
「いつものでお願いします」
と答えた。
その言葉にお姉さんが、はい、わかりましたと言おうとするが、不快な声音がその場に響いた。
「オイオイィ、また[いつもの]かァ?お嬢ちゃん!」
粘りつくような声。
そしてニタニタと形容するに相応しい笑み。
……いたのか。……いや、アイツなら仕事なんかロクにせずに酒を飲んでいて当然、か。
「…………」
「オイオイぃぃい。無視とは酷いぜ」
ニタニタとまだ笑い続けている。
ーーッ!!
「結構です!」
ボクはネストを飛び出した。
「いつも言っていますがくれぐれも魔物に注意してねー!!」
そんな受付の人の声が聞こえた。
……思えば、ここでこの依頼を受けてなかったら彼女と本当の意味で関わることがなかったのかもしれない。大切なものを手に入れることも、それ以上に取り零すこともなかったのかもしれない。
酒場テンプレじゃないんだよなぁ……