01 ラル
最初はつまらないかもしれません。
話の構成を考えるのは苦手です。
畳ぐらいの小さな部屋で、少年が一人分厚い本と睨めっこをしていた。
本――というより辞書、辞典というほうが似つかわしいそれは、昔の魔法使いが書き残した魔道書の複製だった。
この部屋は机とベッドが一つ。後は沢山の書物が無造作に積み上げられているだけだった。古紙特有の匂いが立ち込めたこの部屋で少年は夢中で本を読んでいる。
ふと気づいたように左手を少し伸ばし、机の隅に置いてあった茶色い紙袋を掴んだ。
「さてと……エルマ・ラル・クラック」
ラルがそう唱えると、ラルが商店で買ってきた焼き菓子の袋がビリッと破けた。
中から一つ取り出して口に放り込む。噛むと口の中にぼそぼそという触感と共に甘みが広がる。
それに気を良くしたラルは、再び魔法の習得に励んだ。
【魔法】
この世界に魔法が広まったのは遥か昔の事だ。
今では誰もが知っていて当たり前、誰が広めたかなんて気に留める者は物好きな学者ぐらいだろう。
魔法を使う際、ラルが唱えたようにまずその魔法を生み出した者の名前を置く。続いて使うものの名前、つまり自分の名前を持ってくる。これには、生み出した者へ私が使わさせて頂きます――という礼儀的な意味が含まれている。これを行わないと、この世界のルールからはみ出し天罰が下る。と言われている。そして、最後は魔法名を唱えて魔法は発動する。
(なるほど、ここでこの量の魔力を乗せ魔方陣に時間の跳躍を加えるのか……)
分厚い魔道書を目を輝かせながら理解していくラル。
今ラルが習得しようとしているのは《短賢》と呼ばれた短剣を使う大魔法使いの代表魔法“エルマ”だ。彼の名前が付くほど有名なその魔法の効果は、短剣の剣先だけをどんなに離れていても跳ばすというものだ。知名度と釣り合わないと思うかも知れないが、その強さは限度を知らない飛距離であった。最強飛距離と呼ばれたニオの“ロングヴァルカノン”という高熱射魔法でもキロ単位までは届かないが“エルマ”は、五キロ先の軍隊を刺し殺したという伝説があるぐらいだ。
ちなみに、ラルが先ほど使った“クラック”は指定したものに自分の握力と同じだけの力を加える魔法で、離れているものを砕いたり、破いたりするのに使われる。ラルは自分の聞き手である右手はペンを握っていて使用不可であったため、魔法で袋を破いたのであった。
ドンドンドンッ
自室のドアが早く開けてくれと言わんばかりに叩かれた。ドアの向こう側の人はどうやら急いでいるらしい。
返事をしようと思った時にはすでにドアが開けられた後であった。
「おいラル、勇者様がこの町に来ているらしいぞ! 見に行かないか!」
近所に住む一つ上の友人のクーゾ・エンドランドだ。
ラルはエドと呼んでいて、エドはこういうイベント的な時や行事によく誘ってくる面倒見のいいお兄さん的な存在だ。
ラルはエドの言う“勇者”という単語に興味を引かれた。
――――勇者か。
ごく最近この世界に召喚され、この国を救った英雄。
召喚されたと同時にこの王国の外壁をよじ登り――もしくは壊して――この国の人々を食べようと攻めてきた魔物達を一瞬にして屠った最強の人物だ。
ラルも何万と攻めてきた魔物を見たが一個人で如何にか出来る様なレベルではなかった。
それをいとも簡単に殲滅できるだけの力が有るのなら興味の対象にもなるだろう。
「……勇者様か、いや、やめておくよ。新しい魔法を試したくて仕方が無いんだ」
「そっか、まあいいや。じゃあ俺だけ見に行って来るぜ」
そういってエドは開けたドアをそのまま閉めた。
ドタドタと慌てて去っていく足音が響いた。ラルはそれを聞いてふっと笑うと、自分も新しく覚えた魔法を試すべく身支度をするのであった。
勇者が来るというだけあって街は賑やかになっていた。
その喧騒から逃げるようにラルは路地裏から街の外へと抜け出た。
開けた平地に出ると少し歩き、いつも魔法の練習の的にしている大きな岩の元へと向かった。
「さて、まずは肩慣らしからっと……」
そういって集中を始める。
この的にしている岩は何故か魔法で壊れることが無いので思いきって練習ができる。
(ほんと、いい練習台だよな……よし、魔力は大丈夫そうだな)
今のは精神の統一と魔力残量の確認をしただけだ。
本当の肩慣らしはここから始まる。
「……エルマ・ラル・イオ――――ッ」
魔法を唱えると同時に岩が爆発――厳密に言えば岩の前で――し、周りが煙で覆われる。
これは“イオ”という爆発魔法。威力は低いが精度と速さには自信がある。エルが得意とする魔法だ。
突き出した右手の先に出した魔方陣が消え、その後少しして煙も晴れた。
「相変わらず頑丈な岩だ」
いつもと変わらない様子の岩に感心しながら次の魔法を放つ。
そして、新しく習得した魔法も満足するまで試してエルは帰宅する事にした。
帰り道。
来た道とは別のルートを歩くエル。その表情はどこか楽しげである。
エルが進む道の先には、この街であまり知られてはいないとてもおいしい菓子の店があった。
もし、その店が表通りにあったならこの国でトップクラスになっていたかもしれない。
そう思いながらラルは歩調を速めた。
【喫茶 森の精が住む所】
家と家とに挟まれたそこに目的の菓子屋はあった。
期待に胸を膨らませ扉を開けるために付いている金色の金属で出来ている縦長取っ手を掴み引いた。カランと扉の上部に付けられている鈴が綺麗な音で迎えてくれる。本当に妖精が要るのではないかと思ってしまう。
(……甘いものは~神~ふんふふ~ん…………)
店の奥から溢れて来る甘い香りについそんなバカげた歌を頭の中で歌っていたのは本人も気づかない。
エルは三度の飯より甘いもの。とまでは行かないが、朝食や食事の後に必ず食べるほど好きである。
「いらしゃいませ。今日も来て下さったのですね、毎日ありがとうございます。ふふっ」
この店の店主であるメイル・プレリックさんだ。
失礼なので聞いたことはないが歳は二十台前半に見える。いつもパンケーキのようにふんわりとした笑顔を絶やさない人で見ていて癒される。
「今日も来ちゃいました。……え~と、あれまだあります?」
「はい、ちゃんとラルさんの分は取って置いてますよ」
「よかった。本当にいつもありがとうメルさん」
日ごろの感謝を彼女に向ける。
いつも人気ですぐ売切れてしまう商品をこうして取って置いてくれるのはありがたいことだ。
お礼を言われて照れたのか、頬を薄ピンク色に染めるメリル。
「こちらこそ、いつもありがとうっ」
彼女が敬語を止めるのは好意の印であったが、それが分かるほどエルは女慣れしてはいなかった。
彼女はお礼を返した後、カウンターの裏から例の菓子を取り出した。
その菓子は黄色と橙色の中間ぐらいの色合いで、中には甘くてトロッとした“メイプル”という液体がそのまま入っており、サクサクトロッと疲れを癒してくれるのだ。
「はい、420V」
財布から値段通りの金額を取り出し渡す。
この世界のお金はVというヴァルカ鉱から出来ている大小の結晶を使用している。
値段は小が10中が100大が1000特大が10000となっている。
「はい、あ、そうだ。今度新作を作る予定なんだけど試食して感想を聞かせて欲しいなぁ」
「メルさんのお菓子なら感想は“美味い”“美味しい”“超美味しい”になると思うけどね」
冗談抜きでそう思う。
「ふふっ、大丈夫です。ラル君の三段階評価は参考になりますから」
メイルが目を細めて笑った。
エルはその表情を向けられて顔に熱が集まるのを感じたが、カランと自分が入ってきたときと同じ鈴の音が後ろから聞こえてすぐに熱は引き戻った。
メイルは「いらっしゃいませ」と挨拶をする。
誰が入ってきたのかと振り向くと、フード付きのローブで顔を隠した二人組みがズカズカとこちらに向かっているのが目に映った。
「“妖精の果実”はあるか?」
フードの片割れがメリルに問う。
“妖精の果実”というのは先程エルが購入したお菓子の名前だ。
エルは美味しいけど名前が恥ずかしいので“あれ”といってごまかしている。最初に買ったときは“これ”と言っていたのは懐かしい。
フードの人には悪いけれどもう自分が最後の一袋を買ってしまったよ。と心中で謝る。買えなかった人に謝ってしまうぐらい美味しいのだ。
「すみません、今日はもう完売いたしました。日を改めてご来店ください」
そうか、と在庫を聞いたフードは呟いた。
二人は諦めた様子で店を出て行こうとした時、もう片方のフードが何かに気づいたように体をピクッとさせた。頭の向きはラルの持っている“妖精の果実”だった。
ズンズンズンッ
鈍い音の足音を店内に響かせながら近づいてくる。
エルはその足音にひるみ、後ずさる。
「ねえ、それ私に譲ってくれない?」
体を小さくして身構えたラルはフードの中を見てしまった。
満面の笑みに殺意を塗りたくったような少女の顔、それは今まで見てきた顔の中で一番恐ろしかったかもしれない。そうラルは感じた。
そしてフードの奥に見えた彼女の髪は、この国では異質な黒い髪の毛であった。