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第8章

〜第8章〜


このまま信じていたい。


このまま信じて、生きていきたい。




『どうして帰ってきちゃったの?』


「還るため。自分が向かう場所に、還るため。」


『意味が、よくわからないよ。』


「うん。そうだと思う。けど、私にはわかる。」


『今を逃したら一生会えないかもしれないよ?』


「うん。そうかもしれない。」


『後悔しないの?本当に大丈夫?』


「うん。しないように、自分でする。」


『真ちゃんと亮太くん、心配してたよ?』


「うん。ごめんね。」



ほっとしたのもつかの間、泣きじゃくる里佳からかかってきた電話。


沖縄ではなく東京にいる私を聞きつけて、鳴らしてくれた携帯。


これから自分がしようとしていることを話すでもなく、安心させるでもなく。


本当に、こういう時処世術を身に付けておけばよかったと思う。


少しだけでも里佳を宥めてあげられたかもしれないのに。



『蓉も、どっか行っちゃうの?』


「ん?…」


『何かを見つけに?何かを探しに?』


「うん。必要ならね。」


『・・・・・・。』



里佳を悲しませたくはないのに、少しでも気休めを言うべきなのに。


どうしてこうも不器用に育ってしまったんだろう、私。


泣きながら一生懸命笑って応援しようとしてくれる里佳の顔が浮かぶ。


大丈夫。本当は、どこか別の場所に行って欠片を探すつもりなんかない。


私がここに帰ってきたのはそのためなんだから。


私はナオとは違う。確かにそうだった。


だから、きっとナオと同じことをしても仕方がない。


私は私なりの方法をもって見つけ出すべきなのだと思う。


でも、もしかしたらそれはたまたまナオと同じものになってしまうかもしれないから。


その時にもし里佳を安心させてしまった後だとしたら二度悲しませるから。



もしかしたら、ナオもそう思って黙ったまま行ってしまったのかもしれない。



だんだん、だんだん、ナオの思ったであろうことが理解できてきた。


そうだったんだろうな、こうなのかもしれないな、というレベルではあるけれど。


そう、何を基準にすることもなく。




それから数日して、真蔵と亮太が沖縄から帰還した。


夏の沖縄、その象徴のように前も後ろもわからないほど真っ黒に焼けて。


お土産は、もぎたてのパイナップルだった。



「おかえり。」


「ねーちゃん…。」


「真っ黒。すごい。」


「ねーちゃん、ただいま。」


「うん。」



生白い他の浪人生たちに混ざってきっと明日から勉強するのに。


そして、ただでさえ遅れてしまって焦っているかもしれないのに。


にかっと笑って満足げにちくちくとした果実を差し出す姿が可愛い。


受け取ると、かなり重いことに驚いて思わず笑ってしまった。


そうして、やっとタイミングを窺ってちらりとだけ真蔵を見やった。



・・・やっぱり。



おこってる。しかも、だいぶ。


斜めっているのは相変わらずなのに、なんと腕組みをしている。


180センチを超える筋肉づくしの巨体がそんな格好をしたら、とても怖いのに。


自分のこと、わかってるんだろうか。


ちろりと目が合う前に、なんとか背を向けて歩き出すことに成功。


けれど、我に返る。


今、逃げ出したら意味がないじゃない。何のためにここにいるのか。


くるりと踵を返すと、真蔵はもう斜めってなんかいなかった。


世に言う仁王立ちって、こんな感じなんだろうか。


良く聞く憤怒の顔って、こんなに恐いんだろうか。



「あ、こないだ、勝手に帰ってごめん、ね?」


「・・・・・・。」


「逃げたわけじゃ、ないの。わかっただけなの。」


「・・・・・・。」


「今はナオに会うべき時ではないっていう気がしたの。」


「・・・・・・。」


「やるべきことをやるのが、先かなって…。」


「・・・・・・。」


「・・・・・・。」



ちっとも、本当にちっとも微動だにせず立っている。


大きい身体。威圧感たっぷりの筋肉。襲われたら、ひとたまりもないんだろうな。


沈黙の時間。真蔵と私の間には変哲なくそんなものがあったはずなのに。


今は、どうしてかそれが耐え難いものになってしまっている。


何かが変わったからなのだろうか?何が?誰が?…私?


東京を離れずにいたあの日からほんの数日しか経っていない。


人間が変わるのにそう短い時間で済むはずがないのに。


それでも確実に、真蔵と私の空間や時間差は、以前と違うものだ。



「も、もう、行くからね。亮太、明日からまた予備校だし。」


「・・・・・・。」


「今回はありがと。お、沖縄の話はまた。」


「・・・・・・。」


「黙っててもいいけど、私は、間違ってないと…思ってるから。」


「・・・おう。」



まったく、帰る心の準備ができたと思ったらこれなんだから。


男の人って、だから好きになれない。




パイナップルを右手、亮太を左手にうちへ帰る。


亮太と手をつないで歩くなんていつぶりなんだろう?


生白すぎる私と焦げ茶色の弟。


少し見上げるその顔は、いつかどこかで見たような夕焼け色。


あんまり見つめてるとバレてしまうかも、なんて思って前を向きなおす。


けれど知っている。亮太は何でも知っているということ。


弟にしておくのが本当にもったいない。




話の内容はおおよそわかったような気がしたので、親子丼を作った。


これでどんな展開になっても大丈夫。だって、親子丼だもの。


自分に言い聞かせるようにそろりそろりとお盆に乗せて運ぶ。



「できたよ。食べるでしょう?」


「さすがねーちゃん。…これ、デザートと合わないぜ?」


「デザート?」


「ねーちゃん、お土産まさか忘れてんのか?」


「…あー!そっかそっか。そうだ。そうだよね。うーん、酢豚だったかな?」


「…ちがうだろ。」



苦笑をいただきながらほおばる親子丼は、少しだけ塩辛い気がした。


まるで、起こる前から補給の必要があることがわかっているかのよう。


自分に覚悟させられることになるなんて。可笑しい話。


覚悟なんて、するのではなかったら必ず『誰か』にさせられるものなのに。


目の前にいてもう食べ終わりそうな弟は、いったい何から話すんだろう?


お代わりと言う元気な催促を受けて立ち上がる。


あ、もしかして始まるのかな。そんな予感ははっきりとした。



「俺、さぁ。」


「うん。」


「行ってさぁ。」


「うん。」


「すっげーうまいもん食ってきたの。」


「うん。」


「んで、すっげー感動したの。特にアレ、海葡萄なんてマジすげーの。」


「へぇ。」


「マジ葡萄なの。刺身とか…何の魚だか知らないけどうますぎだし。」


「へえ。」


「とにかく俺、惚れたわ。いい。沖縄、いい。」


「うん。」



うん、と答えてはいるものの、拍子抜けして耳に届いていない。


とりあえず亮太が沖縄に行って良かったんだなと思った。


そして、自分の勘なんて当てにならないにも程があると。



「良さん、にさぁ。」



座ろうとした左手がくたりと捻り、痛みを感じる。


本当に、なんて人の動揺を誘うのが上手なんだろう。


良太は悪気なく自然にそういうことができてしまう。



「会おうと思って行ったじゃん?」


「うん。」


「そうしたらさぁ、空港の到着ロビーで、偶然。」


「え?」


「偶然ね、会ったんだ。」


「あ…会ったの?話したの?何を?どこで?なんて?」



ナオに直接会ったひとが目の前にいる。


その事実にさらに動揺を誘われてしまう。


会えた。会えたんだ。ナオ、ちゃんと生きてたんだ。


うれしくて、鼓動を抑え切れなくて、涙を堪え切れなくて。


あぁ、ナオ。ナオの存在を感じている。



「ねーちゃん、1個ずつ質問してよ。俺、頭悪いんだよ。」


「あっ、あっ、ごめんね。そうだよね。」


「会ったよ。話した。ほんの、少しだけね。」


「ナオは…元気だった?」


「うん、元気だって言ってた。色も、少し黒くなった気がした。」



今まで、あの白くて透き通るような肌を焼いたことなんかないのに。



「いつ沖縄に来たかっていうのも聞いた。」


「一年くらい、いたんじゃない?」


「それが、俺も驚きなんだけど、一週間前なんだってさ。」


「一週間…?」


「うん。それまでどこにいたんすか、って訊いたんだけど笑ってるだけだった。」


「そう…。」



ナオが魔法のように消えてしまってからもう一年と三ヶ月。


いったい、ナオはどこで何をしていたんだろう?


少しだけわかったつもりでいたナオの気持ちから、また遠ざかってしまった。


ナオは、本当に魔法の思考回路を持っているのかもしれない。



「空港のレストランで食べようと思ってたんだけど、外に連れ出されてさ。」


「地元のお店?」


「うん。そこで食べたんだよ。うまいもん。全部奢ってくれたぜ。」


「へえ…お金はあったんだね。」


「それは、わかんないけど。うん。で、これからどうするのかも訊いたんだ。」


「どう…するって?」



訊いてはいけないのかもしれない、そう思いながらも口をついて出る言葉。


ナオについて知りたくないことなんかひとつもないんだもの。


ただ、聞いてしまうのが恐いから、言って欲しくない気もしてしまう。



「笑ってた。」


「笑ってたんだ?」


「うん。っていうか、微笑んでいた、って感じ。癒し系の笑顔みたいな。」


「そう。うん。そっか。」



ほっとした。


ナオの具体的なこれからが分からないものなのだと知って、ほっとした。


知ったところで何もできないばかりか、私はきっとまた迷う。


まだまだ、ナオは私にとって影響の塊なのだ。


それでも。



「…何か、言ってた?」


「ん?」


「ほら、里佳のこととか、…私のこと、とか…。」


「ああ…」



熱々の親子丼を頬張りながら、少し上目遣いで様子を覗う亮太。


じっと、ただ見つめ返す私。



「よろしくって。」


「よろしく?それだけ?」


「うん。…それだけ。」


「…そう…。」



やっぱり残念だと思ってしまう。


まだ、どうしてもナオに私の存在を憶えていて欲しくて、大切にされたいらしい。


恋心は時間が解決してくれるなんて、いったい誰が言ったんだろう?


ちっとも、解決してくれないじゃないの。


ちっとも、忘れてなんかいない。


干渉を許されないあなたへのこの感情を、どうして一緒に持っていってくれなかったの?


いつもいつも突然魔法で私を驚かせてくれていたのに、どうして?


最後の最後に、失敗しちゃったの?


あぁだめだ。だめ。どうしては思い飽きたよ。今は進むの。探すの。



「ま、仕方ないよね!一年も経ってるんだもの。」


「…ねーちゃん…あの…」


「いーぃよー。弟に慰められるなんて百年早いっ!あれ、遅い?あれ?あは!」



何か言いかけた亮太の言葉の続きは、正直聞きたくはなかった。


こんな誤魔化し方、ほんの少しも役に立ちはしないけれど、亮太ならわかるはず。


お願い、今は慰めないで。




ナオ、こんな私もナオに近づくことができる日が来るのでしょうか?


ナオにぴったりしていたあの頃の間違いに気づいただけでは終わりたくないの。


だって、ぴったりしていたあの時間は、私の宝物。


それの総てを気づいたそれだけで済ませるなんて、あまりにも残酷。


そう、私の足りないものなんて、とっくの昔に判っているの。


いろいろごねてみたけれど、やっぱり他にはないの。



ねぇ、ナオ?


私は、そうだったよ。




夜中を過ぎた頃、亮太を寝室に追いやって独りでおつまみを作って食べた。


もちろん、その隣には大好きなお酒をキンキンに冷したのを並べて。


卵が好きだから、オムレツを作った。


ほうれん草も好きだから、その中に混ぜちゃった。


烏龍茶しか頼まないけど、本当は焼酎が好きだからお燗にした。


とってもとってもおいしくて、食べる度に頬がジンとした。


ジンとした幸せで、飲む度に熱い焼酎が喉を爽やかにした。



あ、幸せ。



そんな言葉が頭に浮かんで、そして、なぜかあの河原に行きたくなった。


そういえば最近、土曜日の日課をこなしていないんだった。


私の好きな、私の癖。




さぁ、行こうか。


亮太を起こさないように、しっかり忍び足でドアを出た。





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