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第7章

〜第7章〜



遠いあの日が、少しだけ。


いつの間に私を連れ去っていたのだろう。


少しだけ、少しだけ。


還る許可なんか、どこからも要らない。




「ケロリン、ケロリン。」


「なに?」


「ここんとこの参考文献なんだけどさ。」


「あぁ、それなら奥から3番目の『か行』。」


「サンキュウ、ケロリン。」



ナオは、とても近い私たち以外からは、ケロリンと呼ばれていた。


ナオの感覚からしたらそれは、とても恥ずかしい呼び名だったはずなのに


それを、何食わぬ顔して受け入れていた。


それは、とても不思議なことだった。ううん、不可解なことだった。


ナオは図書室で司書の手伝いというアルバイトをしていたために


テスト前になるとわらわらと『にわか友達』が集まってくる。


私だったら『にわか友達』なんて気持ち悪くてイライラしてしまいそうなのに


ナオはやっぱり何食わぬ顔でそういう人たちにも素直に対応する。


ナオは、用心深いのに寛大なところがある。



「ケロリン、カラオケ行こうぜ!」


「カラオケ…。」


「いいじゃん、たまにはさ?」


「うー…ん。いや、やめておくよ。」


「マジかよ?なんで?バイト?忙しいんか?」


「ピンと来ない。」



ナオはナオなりの感覚を持ち合わせていたのは知っていたけれど


初めてこういうかわし方をしているのを知った時には驚いた。


相手が自分のことをどう印象付けるかなんて、ちっとも興味がない。


普通、ふつうの人間だったら気にするのが当たり前で、良く見せようとする。


少なくとも、私は八方美人に近いことはできてしまう。


それがなんだか、とても小賢しいものに思えてきて、一度反省したことがある。


ナオは、そういうことを一切することなく多くの友達を作った。天才だ。



私がナオの何をすごいと一番思っていたか。


それは、ナオの信念の強さだ。


ナオが心に絶対を打ち立てる時は絶対だったし、実現された。


ナオが信念を持たずに何かをみるということは一度もなかったと思う。


それに比べて私はいつもナオを基準にしてきた。


ナオの気分、ナオの時間、ナオの物、ナオの言葉。


総てが気になってしまう性格をしていたのだから、ある意味仕方のないことだった。


とは言うものの、私は常に根無し草だったわけで、ナオの逆ベクトルを進んでいた。


可笑しい話。


ナオに寄り添うように目を光らせていた私は、あさっての方向に飛んでいくのだ。


ナオを目掛けていつだって息をしていたのに、本当は背中すら見えていなかった。


…可笑しい話。




飛んで行ける飛行機がたくさんある空港が、みるみる小さくなる。


モノレールに乗っているのだから障害物で本当は良く見えないけれど


それでもみるみる、小さくなっていく。


ナオが、みるみる。



会いに行けたのに。


少しだけそう思うところもないことはないけれど。


この、窓から見える星屑ほどのビルにびっしり詰まった誰よりも会いたい。


そう、思うけれど。それでも私は還るべきなのだ。


今ごろ、真蔵と亮太はおこってるかな。



「…ぬぉぉ!?」


「な、何考えてんだあいつは…。」


「ねーちゃんいなくて行く意味あるんすかね?」


「…知らん。行くぞ。」



…なんちゃってきっと。


一応、置き手紙はしたから大丈夫かななんて思うのは勝手だろうか?


そういえば、ナオは置き手紙すらしていかなかったな。


ふっと、すうっと、なんだか良くわからない感じで行っちゃったなぁ。


いつもそう。ナオは、感覚的に抽象的に、動いている。いつのまにか。


それで悩まされたりはしたけれど、私とは決定的に違うところがある。


動いている。


ナオは、いつだって立ち止まる時には意味をもっていた。


だから、たいてい動いていた。


立ち止まるほどすごいことなんて、そうそうこの世にはなかったりするから。


ナオの感情を揺さぶることができるものは総て愛しかったし、憎かった。


ナオが立ち止まる時には、いつもびくびく震えていたような気がする。


そうだ、わかった。



私はナオが恐かった。



一生懸命ナオを観察したり調べたりつまんでみたりしたけれど


それは、ナオのことをどうしても知ることができなかったから。


いちいち私はナオの言うことに感心したし、感動した。


いちいち私はナオのすることを尊重したし、尊敬した。


いちいちナオの傍にいて頑張ってみたのに、ナオは足りなかったんだね。


足りていなかったんだね。




モノレールを降りて、バスに乗り換える。


使い慣れたその道は、明日の雨で濡れてしまうだろう。


雨でぬれたその道は、明後日太陽に笑顔を見せるだろう。


その次とその次とその次の日は、きっと誰にもわからない。



カン、カン、と金属らしい音を立てて階段を上る。


良く見たら初めてここに来た時の何倍も錆び上がっている。


ああ、そうか。下を向いては歩かなくなっていたんだっけ。


全部で21段もある階段を上り終えると、見慣れすぎたドアがずらり。


お隣には一年程前からカップルが住んでいて「ユカチャン、ゴハン!」


というセリフが一番多い、素敵な203号室。


借主の私が住み慣れていないこの部屋は202号室だから左隣もある。


201号室には、おばあさんが住んでいたはずだ。



蝶番をギギリと鳴らして開けてみる自分の部屋。


ついこの間までここでぼうっと暮らしていたというのに、見慣れない。


玄関の様子から、キッチンの色、ベッドの軋み具合。


見慣れないのは、見ていなかったから。


目に映るものさえ総てをナオに置き換えていた。


どうして目が醒めたのだっけ。一瞬だけ混乱してまた順を追う。


大きな荷物を角の隅っこに追いやると、いつもナオが座った椅子に入る。


ここからナオは何を見て、何を考えて、そして、何を感じていたんだろう。


あんなふうに、信念というものをもって動ける秘訣を教えてもらうのを忘れた。




ナオはよく言っていた。


『ミカと俺は絶対にどこも同じじゃない』。


私はそれが哀しくて、時々ナオにおまじないをかけてみたりしていた。


雑誌に載っているような、陳腐なおまじない。


けれど、魔法使いであるナオに効くはずもなくていつも失敗していた。


ナオはよく言っていた。


『ミカと俺は絶対に違う生き方をしなければならない』。


いつもお互いにぴっとりとして傍にいるというのに、なんて可笑しい事を?


こんなにいつもぴっとりと笑っているというのに、どうして不思議な事を?


あの頃の私には、ナオと違うところがあるなんてひとつも信じられなかった。


そんなこと、あるわけがないということだけを信じ込んでいた。




今、私がここにいて考える総てのことをナオに伝えたいだろうか?


今、私がここにいてできる総てのことをナオに見せたいだろうか?


否。私がここにいていいのはほんの少しだけ。


生きるということに、本音ということに気づいた記念に、少しだけ。




遠いあの日が、少しだけ。


遠いあの日に、少しだけ。






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