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第6章

〜第6章〜



早朝の空港は、アナウンスの声が良く響く素敵な空間だった。


荷物を引くキャスターの音がドキドキさせた。


見上げた電光掲示板には、まだ沖縄行きの案内は出ていない。


何しろまだ午前5時。



「ねーちゃん、入ろうぜ?」


「あんた…本気でついてくる気?」


「今はそれと違うだろ。腹減った。」


「亮太…口を開けば、ってやつね。いいよ。…真蔵は」


「真蔵さんも腹減りましたよね!朝から景気づけしません?」


「おぅ、いいな。よし、店員呼べよー。」


「はい!」



せっかく。せっかく普通に誘ってみようと思ったのに。亮太のあほッたれ。


けれど、この天真爛漫な弟を疎ましいと思ったことなんか一度もない。


店はさすがに空いていて、亮太が3品目のカツ丼を頼むまでは貸切状態だった。


真蔵は、朝だというのにビールを4回もお代わりしていた。


こんな二人と一緒にいて、本当にナオに会えるのだろうか?


頼んだホットケーキには、もうまんべんなくドット柄の模様が描かれている。


フォークをもう一度だけぐっと差すと、保たれていたトッピングのバランスが崩れた。


ずるりと流れ落ちる黄色いバターは、とめどなく無数の穴に染み込んでいく。


きっと、おいしいに違いない。



「さぁて、そろそろ出るか。」


「いよいよ沖縄に出発っすね!」


「おぅ。…あれ、食ってねぇじゃん。」


「ホントだ。ねーちゃん?」


「あ、あ、うん。ごめんごめん。出る出る。」



おいしいに違いないし、もったいないのはわかっている。


喉を通ってくれない。こんな風に遊んでしまって、今さら罪悪感が涌いて来る。


最低。気分も何もかも。せっかく、ナオに会いに行くというのに。



「具合でも悪いの?ねーちゃん。」


「ううん。実はさっきコンビニでちょこっと食べちゃったんだった。」


「じゃあ頼むなよなー。ほんっとにしょうもないなぁ。」


「へへ…ごめん。」



くちびるが変な形に歪んでしまう。


お店を出ると、さっきより活気付いているロビーが嫣然と続いている。


電光掲示板には、もう沖縄という文字がチカチカと点滅していた。


沖縄。ナオのいる場所。いると思われる場所。


けれど、さっき自分で気づいてしまった自分に囚われてよく読めない。


こんなことに気づいてしまって、一体私はどうするべきなのかわからない。


真蔵の言葉が胸に響き渡り、脳を、思考を支配していく。



『良は、動かない人間には冷たい。』


『良の前でもそんなふうに?』


『ナオにだけ、だろ?』



真蔵は、私をよく知っていた。私を理解していた。そして、嫌っていた。


嫌いな私を、それでも遠くから眺めてくれていた。


ただ馬が合わないと思っていた私には、何も見えていなかった。


ナオしか見えていなかった。


そんな私に、あるのだろうか?ナオに会う、そんな資格が。


あるのだろうか?



「ねーちゃん、チェックイン済ませとこうよ。」


「う、うん。そう、だね。」


「なんだよ、嬉しくねぇの?もっとはしゃいでもいいんじゃん?」


「そうかなぁ?…えへへ、緊張してるの、かな?」



またしてもにへら、と笑う自分がぎこちなくて気持ち悪い。


そう、気持ち悪い。


ホテルの廊下を真蔵と歩き始めた時にはあんなにしっかりとしていたのに。


ナオに会えると知った途端、ナオに会う資格がないと理解した途端。


自分の言葉や行動が気持ち悪くなった。


自分が気持ち悪くなった。


気持ち悪いということは、意思にそぐわないということなのでは?


意思にそぐわないということは、ナオに会わないのが正解?


どんどんと深くなる自分の思考が、恐ろしく核心を突いてくる、そんな気がした。


ダメ、これ以上考えてしまうと、正解に辿り着いてしまう。


せっかく、今まで1年以上も夢に見てきたナオに会えるというのに。


こんなところでその夢をつぶすわけにはいかない。



「搭乗口36番だってさ。…結構遠いなぁ。」


「いいじゃん、まだ時間あるし。ねーちゃん急ぎすぎっ!」


「俺、良に土産でも買っていくかな。」


「あ、僕も一緒に行きますよ!ねーちゃん、どうする?」


「うん。私はここで待ってるから。」


「なーに?『お土産はワ・タ・シ!』とかやっちゃうのー?うひひっ!」


「馬鹿言ってないで早く行きなさいよ。ほら、真蔵もう行っちゃったよ!」


「うっそ!あ、待って下さいよ真蔵さぁん!」



ストン、と待合ロビーの長椅子に腰を下ろす。


気が付くと、真蔵みたいに斜めってぼうっと滑走路を眺めていた。


ゆっくりゆっくり旋回して目的の場所まで進む飛行機。


飛行機は速いなんて、すっかり嘘みたいにゆったりと動いている。


動き始めた瞬間から、まっすぐに目的地を目指せる飛行機。


しっかりと整備されていて、ちゃんと色分けされて、識別できて。


そして、いろいろな人の運命を背負っている。


けれど、背負う運命の中身なんて知らなければ興味もなくて。



「不思議。」



独り言をつぶやいてみる。


誰に聞かせたいわけでもないその言葉は、すうっと馴染んでいった。


斜めっていると、しゃんとした背筋も瞳も、忘れてしまう。


たらん、と垂れた右手と左足。




「ダメだよ、それは。」


「ダメ?なにが?」


「ほら、その右側。」


「右側?」


「手と足が、一緒になっちゃってる。」


「手と足が、一緒になっちゃってる。…それが?」


「人間は、バランス。」


「人間は、バランス?」


「そう。」


「そう。」



ナオは常にバランスというものを貴重視していて、好んでそれを選んだ。


どこかや誰かに偏っていてはいけないと細かく説明はしてくれなかった。


ただ、それが大事なのだということだけを強調する。


だから、絶対に全身を黒で染めたりはしなかったし、素敵にお洒落だった。


食事も朝昼晩、和洋中、パンとご飯、総てをバランスに基づいて選んでいた。




「不思議。」



もう一度つぶやいたのは、それならどうして、と思い至ったから。


どうしてナオは私のところを離れてしまったりなんかしたんだろう?


常にナオの貴重視するものを好んだし、バランスも自然と取っていた。


ナオが青い服を着る時には絶対に青は身につけたりしなかった。


ナオがお昼に学食でチャーハンを食べたと言ったら夜はあっさりと作った。


ナオが寝すぎないように早めに起きてカーテンを開けてあげたりもした。


いったい、どうしてナオは出て行ってしまったんだろう?


今まで、哀しくて淋しくて、ちっとも考えたことなんてなかった。


ただこの残された手紙の内容だけが気になって、思いつかなかった。


この手紙の内容がナオを連れ去ったのだと勝手に思い込んでいた?


それなら、もしかしたら…



初めて便箋に触れた。



青葉色の便箋は、たった一枚しか入っていなかった。


そして、小さな、透明な欠片が包まれていた。


ただの欠片。きっと、どこにでもあるような。



「あぁっ…」



そういう、ことだった。


ナオへの、そしてナオからのメッセージ。


ナオは、探しに行ったのだ。


ナオに足りなかった、ナオに合う、ぴったりとした欠片を。


だから、私の傍にいてはダメだった。


私が傍にいてはダメだった。


見つけ出せるかどうかもわからない欠片だけれど、きっとどこかにある。


そしてそれは、人なのか物なのか心なのか。


そういった総ての謎を解くために、謎めいた消え方をしたんだ。


ナオは、私に何も話すことができなかったのではないだろうか?


そう思うのは恐らく自惚れなのだろうけれど、それでもいい。


とにかく、今自分がしようとしていることは禁忌。きっとそう。


真蔵が行きたいなら、それは行ってもいい。


真蔵と私は別物だし、真蔵と私は同類だから。


ただ、私はナオには会えない。会うことはできない。



私は、私の場所へ行くべきだ。



手帳から引きちぎった紙の破片を一回だけ折り曲げてそこに残す。


ボールペンのキャップを締め、ざっくりと立ち上がった。


あの二人は見送る必要がないから、大丈夫。


私も見送られるような必要がないから、合っている。



ナオ。


とても会いたい。


とても会いたかった。


けれど、ナオ。


わかった。


ナオの気持ちが。ナオの思考が。


今まで、気づいてあげられなくてごめん。


だけどもう、わかったから。




だからもう、泣かないで。






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