表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

第3章

〜第3章〜




「みかみさん?」


「三神です。」


「良かった。」


「はい?」



しばらくの間、沈黙凝視が続いた。


突然声をかけられにっこりされたまま、微動だにしない。


先に破ったのは私のほうだった。



「魔法使い?」


「魔法使い?」


「どうして?」


「どうしてでしょう?」


「どうして?」


「どうしても。」



ナオと再会したのは、大学1年の夏。寒い日で、珍しく長袖を着ていた。


だれにもあわない、と思ってちょこちょこ公園に出かけた時だった。


ハイネックの薄手の水玉シャツに、カプリパンツ。ビーチサンダル。


とてもじゃないけど、再会には不似合いな格好で出かけてしまっていた。


逆に、ナオはとても夏らしいさわやかな白いTシャツ。


耳の音がきこえて、胸の温度が夏に合う。



「探したのに。」


「うん。」


「どうして?」


「うん。」


「憶えてるの?」


「うん。」


「うんじゃ…わからない。」


「うん。」



いつのまにか隣のベンチに座って、横から覗き込むようにナオはみていた。


右側の髪の毛が組んだ手の甲にさわさわとかかる。


左側の首筋が痛くなってしまった、そういう気がしたので、


ぴんと背を伸ばしたまま、きっちりとそろえてしまった膝と掌を見下ろした。


なにをかんがえているのかわからない。


なにがおこっているのかわからない。


どうして今、魔法使いが隣で目を細めながら黙っているのか。



「か、帰ろうかな。」


「うん。」


「帰るよ?」


「うん。」


「またね?」


「うん。」


「・・・・・・。」



うん、しかいわないくせに自分だけとっても幸せそうに笑っている。


それがなんだか悔しくなって、急いで立ってしまった。


なんにもすることなんかないのに。


そして人生最速の散歩を始めたところで、やめた。



「もう、会わないかもよ?」



気が付くと駆け引き上手ふうな言葉が、ばかみたいに浮かんでいた。


後悔したけれど、浮かんでしまった後だった。


手を離した風船みたいに、時間が経てば経つほど遠くなっていく。


もう、私の手には届かなかった。



「会わない?会えない?」


「え・・・」



しゃべった。


今日はもうしゃべらないとかそういう決まりじゃなかったらしい。



「それとも、会いたくない?」



核心を突きすぎた言葉は、風船を軽々と掴むことができた証だった。


なんて余裕な顔をして笑っているのだろう。


どうして私はこんなに悔しいのに、嬉しいんだろう。


目の前で魔法使いが笑っている。私に向かって。


そのことがこんなにもたまらなく嬉しいなんて。


会いたいよ、と言う間もなく自分から駆け寄ってしまった。


会いたいよ、って答えたかったはずなのに。


またきっと、魔法を使ったに違いない。



こうして、ナオは私と二人でいることにした。



それから3日経ってやっと、ナオがとても変なことを言い出した。



「みかみさんいいづらい。」


「え?じゃ、下の名前でいいよ。」


「でもさ、よう、でしょ?」


「うん。」


「おれ、りょう、でしょ?」


「うん。」


「よう、りょう、よう、りょう。」


「・・・?」


「まちがえる。」



大笑いしたかったのだけど、ナオがあまりにまじめな顔だったので


その場は堪えて、そして教えてあげた。



「でも、私は自分の名前なんか呼ばないよ。」


「オレも呼ばない。」


「じゃあいいじゃない。」


「よくない。りょうもようも別だから。」



一体ナオが何を言いたいのかわからなかったのだけれど、


ナオにはナオのポリシーと言ってよいものがきっとあって


それでそんな不可解なことを真面目に話すんだと、納得した。


だから、私も真面目になって考えた。


ふたりで、うんうん言いながら、一晩中。


夜が明ける直前に、決まった。



「みかみさん、ミカ。」


「なおえくん、ナオ。」



こうしてナオは私を呼ぶ時にいちいち噛み噛みしなくて良くなり、


私はナオを魔法使いと思っても口に出せなくなった。


出しても良かったのだけれど、なんとなく、出せなくなった。


それに、恋人同士にだけわかる呼び方みたいな気がして嬉しかった。


だから、ナオが何をどうしても、ナオであればいい気がしていた。



それから、ナオは私といろいろなところへ行こうとたびたび言った。


それはアンモナイトの博物館やあと一ヶ月で閉園になる遊園地、


あるいはできたての公園だったりした。


ナオと私は、本当に一緒にいて、本当にいろいろなところを楽しんだ。


ナオも私もお酒を飲むのが本当に好きで、毎週土曜日は飲み会をした。


二人だけで飲み会する、という約束を思わずしてしまったので


その後どれだけ里佳や真蔵から誘われても、約束は破れなかった。


どうして二人共通のともだちと遊ぶことを拒んでしまっていたのか、


けれど、その時の私にはナオしかいなくて、ナオだけが生活だった。


だから、私は幸せだった。



例えば、ナオが一枚の絵に魅了された時なんて、本当に素敵だった。


ナオは一時間もそこを動こうとしなくて、私はそばで座っていた。


退屈になるなんてとんでもなくて、絵に魅入るナオを眺めていられる、


それがとても素敵なことだと思った。


その絵は名もない画家の肖像画で、そんなに魅入るほどの絵では


私にはなかったように思えた。けれどナオには素敵だったらしく


ナオの顔が素敵だった。


何を考えているのか知りたくて、最初はいろいろ話し掛けた。


けれど、あまりにも再会の時と変わらない答えしか返ってこないので


私は2分でそれをわかり、そばでナオの毛の先や爪を見ることにした。


ナオはとても端正なつくりをしていて、端っこは美しかった。


あんなに見たのに枝毛なんか一本も見つからなかったし、


爪は健康そうに桃色を湛えていて、思わず引っ張ってしまったくらい。


とにかく荒っぽいつくりをした私とは正反対で、肌もきれい。


私が出荷されないイチゴなら、ナオは最高級の桐箱入りさくらんぼ。


その相方になれたら、と、どれだけ願ったことだろう。


私は、ナオのさくらんぼになることはなかった。あんなに傍にいたのに。



どれだけ願っても。



それなのにナオは私を本当によくくっつけて歩いた。


コンビニに、銀行に、川に、本屋さんに、トイレの入り口に。


どこについていくのも楽しかったし、素敵だと思ったのだけれど


一度だけ、私が行くのを拒んだことがあった。


ディズニーランドに行こうと言い出したのだ。


私はまだ子供なところがあって、ともだちのジンクスを信じていた。



「恋人と行くと、別れちゃうんだって。」


「だれが決めたの?」


「なんか、ジンクスでそういうのがあるの。だから、やだな。」


「ミカはじゃあ理由を思いつくの?」


「なに?理由?別れる?」


「うん。」


「わからない。」


「ほら。」


「ほら?」


「そんなことで遊びを減らすの?」


「だって、ほんとだって言ってたもん。」


「ミカは頭いいよ。」


「それとこれとは別だもん。」


「じゃあ、キスをしてる恋人は別れるって聞いたら、しないの?」



初めてだった。


初めてナオがナオから私にくっついてきた。


それはそれまでのどんな言葉よりも熱く、ナオの瞳より優しくなく。


苦しくてくるしくて、けれどもっともっと、もっとと思ってしまう。



「そういえば、おれ、したことなかったな。」



やっと離れてくれたナオがぽつりとそうつぶやいた頃には、


もう夜が明けそうだった。


私はとろとろにとろけてしまっていて、半分空に流れていた気がした。


けれどしっかりとつながれた手をみて、手の先のナオをみて、


ふふふ、と思わず声が出てしまったのを憶えている。


キスくらい、ううん、ナオはもっとオトナだと思い込んでいたのに


21年間生きてきて、自分からしたことがないなんて、笑ってしまう。


じゃあいつも相手の女の人に奪われてばっかりだったのだろうか。


突っ立ったままの仏頂面が浮かんで、またふふふ、と声が出た。



「飽きるくらいキスするのって、どんな気分?」



口許のほころびを隠し切れないまま訊いてみた。


ナオは、まったくもって呆れきったまゆ毛を近づけてきた。


どんどん、どんどん、近づけてきた。


まゆ毛は前髪に到着し、もうお互いの顔なんかみることはできなかった。



「やってみよっか。」



端正なナオに抱きしめられ、くちびるを総て持っていかれて、


それなのに私はそこにいた。何も残ってなんかいないのに。


それだけで、生きているという気さえしていた。


ナオは、本当の魔法使いなのかもしれない、と思ったけれど


それでもやっぱり、声に出して言うことはできなかった。


陽が入って、首筋が汗ばんで、Tシャツがパリっとしなくなっても


ナオは私を離さなかった。私もナオにくっついていた。


月曜日だっけ、講義はいつからだっけ。


そんなことを考えていたのが一体どれくらい前なのかわからなくなって


少しだけ離れようとしたのだけれど、ナオのくちびるは素敵だった。


ずっとずっとこのままでいられたらいいのに。


けれどずっとこのままでいられるわけはない。


頭の中を、ぐるぐるとする。


ううん、もうぐるぐるする頭なんてなくなっていたかも。


総てとろけて落ちて、何も残ってなんかいないんだった。


でもきっと、残っていないのは私の方だけ。



そう、私だけ。






あぁ、切ないことを、嬉しいことを思い出したりなんかしてしまった。


ナオは今、どうしているだろう?


ナオは今、誰と過ごしているの?


ナオは、ナオは私のことを憶えているのだろうか?


ナオはけれど、ナオじゃなかったんだった。


ねぇ、ナオ?



あの日のあの手紙、あれを、持ってきてしまった。


読みたい。


読んでみたい。


その気持ちを押さえつづけて来たのに、ここにある。


どうして置いて行ったのか、私が読んでもいいものなのか、


何もわからないまま今ここにいる。


けれど隣には里佳がいて、真蔵がいる。


先輩の斉藤さんもいる。



そっと、バッグのポケットを触った。


くしゃりとした感覚が、ナオに似ていていつも切ない。


早く、ナオに会いたい。


会って話したいことがたくさんあるの。




埼玉まで、あと20分。








評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ