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第1章

〜第1章〜



今日も朝が来てしまった。いつものように。


今日もナオの夢を見た。ナオといる夢を。


もう、思い出か夢か、わからない。




「もしもしー?」


「…まだ7時ぃ…。」


「えー?だからだよ。」


「・・・?」


「8時にきのこ屋だよ。待ってるね。」



何を言われているのかさっぱりわからなかったけれど、


テレビをつけて納得した。


イケメン呼ばわりされているグループが、コートの中で踊っている。


夜だ。



きっと、里佳が電話をくれなかったら朝だった。


大嫌いな、大嫌いな、大嫌いな朝。


私は、大学生という特権を活かして朝は絶対に起きない。


午前中にある講義の単位は、もう取らない。


確か、ひとつだけそれじゃあ卒業できない単位があったけれど。


あと1年あるから、多分、大丈夫。



きのこ屋は、小ぢんまりした居酒屋で、入り口も少し低い造りになっている。


身長がさほどない私には無関係の話なのだけれど、よくぶつけている人をみる。



「うぉぉ!…っつぅ…」



一瞬の後、ぬぼっとした影が現れた。


案の定、私たちが待っていた最後の一人で、額がほんのり赤くなっている。



「何回目?」


「マジへこむ…」



少し目を細めながら、里佳はおしぼりを手渡す。12人目の仲間を嘲笑などしない。


影は、立ち直ったかと思いきや大ジョッキを掲げた。もちろん他人の。



「姓は須方、名は真蔵。我が生き様を見るがいい!」



喉が蛇みたいに波打っている。音は、もう排水溝。


どすんと置かれた空ジョッキが、しわしわと名残を惜しんでいる。


満足、と言わんばかりにどっかと座って胡座をかいた真蔵は、ちらとこちらを見た。


けれど、またか、とでも言うように視線をふいと反らす。


またか。


それは私も同じで、つい中途半端なため息をついてしまう。いつも。


こうしてサークルの集まりがあるのはいいことなのだけれど、真蔵は毒だ。


真蔵にとっても私は、毒だ。お互い、毒だ。


だから、話さない。話さず、ちらと互いを見る。いつも。



「ねー、今度の合宿!どこでしょう!?」


「あー、なんだろ、なんだろ、軽井沢?」


「もー、蓉ってほんとワンパターン!」


「ワンパターンって…だっていつもそうなんだからそう答えるよぉ」



眞依は学部の同期で、はっきりした性格をしている。明るくて可愛い。


蓉というのは、私の名前。たいていの人は、私をそう呼ぶ。


男の子は、それに「ちゃん付け」をするか、苗字の呼び捨て。


ここにいる仲間たちは全員それに当てはまる。気持ちよく過ごせる。


サークルはなんてことのないスポーツサークルで、何でもする。


季節や流行に身を任せて、どこへでも行って遊んでしまう。楽しい。



「ねーどっか変なとこ言ってみてよぅ。」


「うー、軽井沢じゃなかったら北海道とか?」


「フツウ!ふつうすぎるね、蓉は。」


「なんでわざわざ夏の合宿で辺鄙なところ行くのよ。フツウでいいじゃん。」


「そこが我らのいいとこなんでしょ。答えは埼玉でした!」


「・・・さいたまぁ?冗談でしょ?」



明るく笑い飛ばして、けれど、私は家に帰る事にした。


とてもじゃない。まだ平静ではいられない。


埼玉。


近くて一番、一生、ずっと、遠い場所。そう、思っていたのに。



「蓉!」



きのこ屋を出て角を曲がったところで振り向くと、里佳。


眉根を寄せている。


けれど、15分で飲み会から抜け出したそんなことを怒っているのではない。


泣きそうな顔をしている。



「あ、ごめんね。なんか、今日は帰ろうかなって。言ってくれば良かったね。」


「ううん。いいの。ちがうの。ねぇ、蓉?」


「・・・なに?」


「合宿ね、あのね、私、反対したんだよ?軽井沢行こうって、言ったんだけど」


「ん?・・・うん。ありがとう。大丈夫。行ける。」


「すぐ言わなかったこと、謝る。ごめんね?」


「あはは。いいよ。大丈夫だから。ほら、戻んなきゃ。リカ、幹事でしょ。」


「うん、うん。ほんと、ごめんね?またあとで連絡するから。」



里佳は、まだ泣きそうな顔をしながら、遠ざかっていった。


自分だって今日は慣れない幹事で大変だろうに、いつも人の心配ばかりする。


心の澄んだとてもいいひと。


それを羨ましいと思う私は、既にその対極だろうか。



出てしまうため息をなるべく感じないようにしながら、夜道を歩き始めた。


喧騒にイルミネーションが加わって、何も見えないし聞こえない。


いつもなら「もうすぐ母の日か」とか「バイクうるさいな」とか、あるけれど。


今は頭がいっぱいだ。



ナオ。



呼んでみる。唇だけ、心だけ声を出して、呼んでみる。


届いたことはあるのだろうか。


あの日から。


あの日から1年以上も、呼んでいない。


あの日から1年以上も、こんな習慣を身につけてしまったまま。


あの日までは、きちんと声帯を使って呼んでいた。


あの日までは、それでお返しがきちんと来ていた。


あの日までは。



ナオ。ナオ。



やっぱり返事は来なくて、やっぱりため息を感じてしまって、じわっとする。


あぁもうすぐ、泣いてしまう。


こんな道端で、こんな格好で、こんな気持ちで。




「三神。」


「・・・っ」



また振り向くと、今度は真蔵がいた。


驚いた。


さっきみたいな、またか、の視線でしか最近話したことなんかない。


名前を呼ばれたのも何ヶ月ぶりだかわからないくらいなのに。


なのに、どうして。



「どうしていつもとちがうことするの?」


「お前がいつもとちがうから。」


「ちがわない。」


「ちがうだろ。」



だから、真蔵は好きになれない。


気づいていた。


視線でしか話したことがなくても、真蔵は私をわかっている。


だからこうして、このタイミングで、「ちがう」と言う。


里佳に気づかれないようにしていたことでさえ、真蔵は理解する。


普段はあほみたいなことで盛り上がって、盛り上がる度に飲んで、飲む度につぶれて。


そんなことばかりしているのに、いま、隣にいる。



「どうしてそんなにまっすぐ心配できるかなぁ。」


「お前が曲がりすぎてるんだろ。」


「失礼な。私はまっすぐ、してる。」


「ナオにだけ。」



すぐ言う。本当にすぐ、真蔵は的をつく。


180センチ以上あって、武道やってそうに強い見た目なんか、嘘っぱちだ。


どうしてこんなに色が黒いのかも知っているけれど、でも、仮衣だ。



「ほっといて。」


「ほっとくよ?」


「じゃあ戻って里佳のことちゃんと見といてよ。」


「里佳が心配だからここにいるんだ。」


「言ってる意味がわかんない。」



里佳と真蔵は、私とナオが付き合っていた頃よりもずっと前から一緒だ。


本当に仲が良くて、けれどひとつもいやらしくなんかなくて、とても気持ちいい。


周りをひとかけらも巻き込んでいなかったりすることなんか、絶対ない。


気を遣う二人なのかと最初は思っていたけれど、それが自然な姿だった。


大学に入ったその日に二人とは同じ教室で出会ったけれど、今とおんなじ。


さくらんぼみたいだ、と思った憶えがある。



「里佳は、お前のこと本当に好きだよ。知ってると思うけど。」


「知ってる。いつも心配かけてるだけなのにどうしてだろうと思う。」


「そんな里佳が心配なんだ。だから蓉の傍に今いるんだ。」


「里佳の傍にいてあげるのが一番正答じゃない?」


「ちがうんだ。お前の元気がないと里佳の元気がなくて、俺が落ち込む。」


「何よそれ、自分のためだと言いたいの?」


「そうだったらこんなとこまで追っかけてくるかよ。」



わかっている。


そんなこと、とっくにわかっている。


だって、真蔵が来てくれたせいで、忘れている。


さっきまで、あんなにもナオを想って悲しくて、泣きそうだった。


そんな大事なことを、もう忘れているんだ、私は。


人間って、どこまで単純になれるものなんだろう。


なれるものなら、どこまでもどこまでもなりたい。


里佳が真蔵を想い、真蔵が里佳を想うように、単純に想いたい。


単純に、伝えたい。


単純に、出したい。


そして単純に、もう一度呼ばれたい。


ナオだけが呼んでくれた名前で。


ナオだけに。




ナオにだけ。





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