エピローグ
〜エピローグ〜
囁めく夜の風音が胸をすうっと掠めていく。
あの河原への道は、まっすぐ。
どこから家に帰るにも、このまっすぐな道を通って帰る。
わざわざ、そう、わざわざ。
その道を、初めて逆の方向から歩いている。
このまっすぐな道は、帰る時用以外では使えないと決めたその時から専用だった。
帰り専用の道。
なんて意味のない取り決めだろう。
ここを通ってどこかに行く方が、はるかに効率が良くて早くたどり着けるのに。
けれどそれでも、頑としてここはこうしては通ることはしなかった。
ナオと約束したから。
河原への道は、まず、牛乳屋さんから始まる。
ナオがいつだって切らすことをしなかった牛乳屋さんの牛乳。
きっと、困っているに違いない。ナオは、毎日買いに行っていたのだから。
私が泣きたいと思っている時に、必ずあっためて出してくれた。
春でも、秋でも、そして、胡散臭いくらい暑過ぎる夏も。
最後に会った日もそういえば、出してくれていた。
そこを通り過ぎて交番を見送ると、いつかのアイスクリーム屋さん。
…けれど、もう、なくなってしまっていた。
いつからなかったんだろう?いつも、通っていたはずなのに。
あぁ、そうか。
今、反対側から歩いているから気づいているのかもしれない。
よくよく振り返って見たら、帰り専用の風景だとよくわからなかった。
こっちから見たら、すごくよくわかるのに。
不思議。
河原まではたぶん、一キロくらい歩くのだと思う。
いつもはたいてい酔って歩いているし、測ったこともないから正確ではないけれど。
まっすぐで細くもない道を、どんどん、どんどん戻ってみる。
夜中で真っ暗だから、今へんな人に襲われたら逃げられないかもしれない。
それでも私は、大丈夫な気がしてしまっていた。
どうしてか、そんな気がした。
パン屋さんを過ぎ、薬屋さんを過ぎ、そして、盆栽がたくさんある大きな家の前に出る。
どんどん、どんどん歩いて進む。
夏の真夜中なんて、こんなに歩いたら汗が出そうなものなのに、涼しかった。
いくらでも、どこまでも歩けそうな気がした。
そのうちとても気持ちよくなってきて、河原を早く見たくて。
どんどん、どんどん速さが増していく。
ドキドキ、ドキドキ心臓が高鳴る。
普段からもうちょっとだけ運動をしていれば良かったかな、と、思ったりする。
あぁ、久しぶり。
河原はいつもより少しだけ増水しているようで、いつも座っている場所は少し浸水中。
雨が降った後だから、きっと一時的なものですぐにここは私の場所になる。
砂利を少しだけ掃って、冷たい石の上に静かに腰を下ろした。
ついた両手もひんやりとした感触を楽しんでいるように、石をぺたぺたと感じる。
瞳を閉じる。
手やお尻の感覚が、すうっと脳に染み入るように伝わる。
深い息をする。
下流の匂いが鼻を、肌を、そしてやっぱり脳を軽くふわふわにする。
ナオ。
心の中で叫ぶ。
静かに叫ぶ。
きっと、誰にも聞こえないような声で。
迷いすぎるくらいの私だけど、ナオを呼ぶ時にはまっすぐ叫ぶの。
気づいて欲しいだけじゃ、何も進まないの。
迷ったよ。とても。みんなに迷惑もかけた。里佳にも、真蔵にも、亮太にすら。
迷うことを嫌う私は、迷う私が嫌いだったんだと気づいたの。
そして、そんな私を嫌いだと思うナオの傍にいる私にも耐えられなかったの。
私は、私の中にいなかった。
いつも外から見て、正しい行動をしているか、ナオに嫌われないか。
そんなことを気にしているだけじゃ、だめなんだよね。
私は私と一緒に、まっすぐな想いを叫んでいたいよ。
「ナオ。」
ついに、声に出して呼んでみる。
誰もいない、夏の真夜中の河原。
「ナオー!」
小心者の私は、こんな時でもご近所迷惑かもしれないなんて気にしてしまう。
それでも、どうしても叫んで呼ばずにはいられなくなってしまった。
ちからいっぱい叫ぶと、体の力も全部、抜けてしまったような感じになった。
少し、酔ってるからかな?
今さらながら、自分がお酒を飲んで家を出てきたことを思い出す。
酔っ払っているのに独りで出かけたら危ないってよく、ナオに怒られたっけ。
そのあまりにも真面目きった顔が浮かんで、つい、ふふふと笑ってしまう。
「酔っ払っているのに独りで出かけたら危ないじゃないか。」
そのあまりにも真面目きった顔が、浮かんでいる。浮かんでいる。浮かんでいる。
いくら待っても、浮かびっぱなし。
「いつも、言っているのに。」
…そんな。
そんな、そんな、嘘。
「お酒、買ってきたんだ。」
「お酒…」
「うん。泡盛っていうお酒。おいしいよ。」
「ナオ?」
「うん。」
「もう、いいの?」
「うん。」
「もう、いるの?」
「うん。」
「行かない?」
「行かない。」
「パイナップル、あるの。」
「うん。」
「卵もさっき。」
「うん。」
「焼酎がね、あるの。」
「うん。」
「全部、いい。」
「どうして?」
「ナオ。」
「うん?」
「ナオ。」
「うん。」
「ナオ!」
「ただいま、ミカ。」
信じられないことに、目の前にはずっと探していた魔法使いがぱっと現れていた。
亮太の目撃証言通り、少しだけ黒く優しくなった魔法使い。
探しに来られて見つかって、参ってしまったと笑う魔法使い。
相変わらずタイミングが素晴らしいほどぴったりな、魔法使い。
ううん、たった一つの、私だけの、瞬間の欠片。
「まっすぐする?」
「まっすぐする。」
The END...
最後まで読んでくださってありがとうございました。いかがでしたか?感想等いただけると次回作への力になります。また、皆様とお会いしたいです。よろしくお願いします☆




