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プロローグ

干渉を排除されるその時、感情だけを排除され忘れたら一体、どうなるのだろうか。


逃走するそれから、予定通りに、呪縛などされずに、きちんと離れられるもの?


なんのわだかまりもなく、なんのつっかかりもなく、ちゃんと?




〜プロローグ〜



ぽて、っと放った足が、冷たくもない土の上に落ちた。


けれど、本当は思いっきり雲を見上げていたりしたものだから、


どんな風に落ちてしまったのか私は知らない。


真っ直ぐに足の裏が土を踏んだのか、踵から半分つきささるように行ったのか。


それでもすぐに、「どんなんだったか」知ることができる。


首を思いっきりへの字に曲げて雲を映したまま、このまま。




「土、きもちい?」


「うん。」


「そっか。」


「うん。」


「何を見てるの?」


「何があるかな?」


「万物。」


「じゃあ、万物。」



ピヨピヨ、あれはヒヨリの声かな。さらさら、風がおいしい。



「どんなんだったか、聞きたい?」


「聞くよ。」


「話す?」


「もう聞いた。」


「何も言ってない。」


「お互いね。」



ジンとしみる踵が、見えている。




帰りに、アイスクリームを買った。


朝の5時から6時間、ナオのアパートからそう離れない土手で、


草まみれお構いなしのお天気チェックをこなした。


これは私だけの習慣で、いつもはナオが来ることはない。


土曜日の朝は、二日酔いから気持ちよく還ってくるために、欠かさず一人でここに来る。


今日に限って、ついて来る、と名乗りをあげた。今日に限って。


だから私は身構えていたのだけれど、ナオは「何も言わなかった」。


今か、今かと待っているというのに。ただし、決して期待ではなく。



「あのさ。」



来た。



「イチゴ貸して。」


「…うん。」


「やった。返さないよ?」


「…うん。いいよ。」


「キウイやるよ。」


「うん。」



来てなかった。


溶けないアイスクリームが、てろっと親指を伝う。


じわじわと指を侵食する姿が切ない。なんか、切ない。


どうしようもなくてただじっとぎゅっと、空をみる。



「まっすぐ寝る?」


「まっすぐ寝る。」


「了解。」




まっすぐ寝る、はナオと私の山と川。


ナオと私が「会う」のを終わらせる時のことば。


ナオのうちでテレビを見たりゲームをしたりするなら、まっすぐ寝る。


けれど、実はまだ「まっすぐ寝ない。」と答えたことは一度もない。


私も、そしてナオも。


この、2年と半年と4日の間にきっと何百回も質疑応答した中で、


一度も聞いた事がない。いつかそういう日が来るはずなのだけど。




ナオのアパートは二階建てで、一階の隅がナオの部屋。


角部屋はちょっと値が張ったりするものだと思っていたのに、


ナオの部屋は一階のほかの部屋より二千円安い。


格好が悪いから、とナオは言うけれど、私はトイレのでっぱりが気に入っている。



「牛乳、あっためる?」


「うん。やっぱりアイスはちょっと早かったね。」



少し軋む、廊下というにはあまりに短絡的な細長いスペースを


圧迫するように、自己主張するようにでっぱっているトイレ。


その真横にキッチンもどきがあって、


ナオは、そこにある電子レンジに牛乳をしまいこんだ。



「けど、キウイ、売れるだろうな。」


「イチゴがかわいい。」


「可愛さで買うのは女だけだ。」


「ナオ、それ誤解招く。」



ナオが笑って背もたれにしているそのでっぱりの中のトイレが、


亀の気持ちをわかって、とでも言いたげな狭さを保っていて、


その無理やりな感じが笑える。いいと思う。




そんな私をナオは変だと笑うけれど、実はナオをナオと呼ぶのは私だけで、


ナオは本当のところ、ケロリンだ。


大人になってからの呼び名だとナオは言った。


確かに、時々遭遇するナオの友達は呼ぶ。「ケロリン、ケロリン」。


だいたい、2回。


それに反応と呼べるほど立派な感じではなく、ナオは体を向ける。


だいたい、大した用は、ない。これは統計。


そして、その由来と出どころを教えてもらえそうな確率は未知。


まだ、訊いた事がない。


興味がないのではないけれど、訊いてしまったら、


どういうわけかもったいない気がする。


なんとなく、切り札のような味がする。


だから、ナオがケロリンでもいいと思っている。


いや、ナオはケロリンなのだ。私ではなく。




「支払い、取って来る?」


「うん、そっか。そろそろか。」



ナオはあまりポストの中身を探らないので、いいかげん、溢れ返っている。


さすがに見兼ねて整理する、これが月に1回。


そして、だいたい支払期限を超過した公共料金の請求書だけが残って、


ナオの手元にやっと届く。


口座引き落としにすればいいのに、と言ったことはもちろんあるけれど、


ナオは、「知らないうちに料金が引き落とされてるなんて。」と、


決してその手続きをしようとはしなかった。ナオは、用心深い。



「すごいよ、ありとあらゆる請求書。3月分まである。」


「ん、牛乳。」




ナオが、熱いよ、とマグを傍に置いてくれる。


けれど、私はいつまでもあったかいその牛乳に手をつけることはできなかった。


異物を発見してしまって。


ナオに気づかれないように、私は一通の「手紙」と思しき封筒を、ただじっと見つめた。


「直江 良 様」と丁寧に書かれた宛名は、とてもしっかりした字だった。


ちらりとナオを見やると、買って3日目のゲームを愛しげに見つめている。


引きつる手を押さえ、くるりと裏返した。



「ミカ。」



背筋が凍った。凍ったような気がした。


見上げるなんていうものではない。


ほんのさっきまでゲームに夢中だったはずなのに、魔法のように背後に立っている。


そして声までも、魔法のように温度がない。


「やっぱり」魔法使いだったんだと


これまで何度も思ったことを頭の中でリプレイさせながら心臓の音を聴き、


その雑音の中、ナオの目にピントを合わせた。



「さっきから何、してるの。全然、動かない。」



焦って窓の外を注視すると、線路の向こう側を近くの幼稚園生が歩いている。


何てこと、もうそんな時間。



「何、見てたの。なんかあった。」



無温度の声に攻撃されつづけ、やはり私は動けなかった。


無理に動かそうとする唇が、果てしなく瞬きをする。


震えたくなんかないのに。


そしてついに、肩の後ろから腕が来た。



「手紙?俺に?」



観念、とばかりに私はその封筒を手離した。封筒とナオが同じ生き物だと感じた。


手紙を読んだナオは、もう、ナオではなかった。ケロリンでもなかった。




それが最後。








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