空気の読める聖女は今日でサービス終了です
「聖女は許しても、僕たちが許さない」
王太子殿下のそのお言葉で、何かがブチッと切れた音がしました。
舞踏会にて、侯爵令嬢は聖女である私への度を過ぎた虐めを理由に婚約を破棄され、王太子殿下の名において国外追放の刑となりました。
私が新たな婚約者となるらしく、会場内に波紋が広がります。
拝啓 創造主たる女神、私に癒しの力を与えてくださったお方へ
……ずっと、空気を読んで生きてきました。
孤児として育ち、癒しの力を理由に教会に拾われ、将来国を救うとの神託を受け、最下層の身分なのに学園に入学し、高位のお嬢様方からいじめられても、どれだけ痛く苦しくとも、勤勉に学びました。
朝早く起きて、神に祈りを捧げ、少量のパンと薄いスープを飲み、教皇様の悪心に気づいていないように控えめに笑い、王太子殿下の言うことを聞き、他者を癒し、休日は奉仕活動をしました。
なぜなら、清貧で美しい聖女様はそうするものだからです。
……ですが、もう、いいですよね?
国の危機は未だ感じられません。今この瞬間も腹が立っています。減ってもいます。寒いし眠いです。望んでもいないし、貴族として生まれた責務でもないのに、一生言うことを聞かなきゃいけない相手と結婚なんて、理不尽です。そして、何より……。
「いや、私、許すなんて一言も言ってないですけどね?」
聖女は許しても、僕たちが許さない? 勝手に決めつけないでください。
聖女だろうがなんだろうが、私は人間です。令嬢方に囲まれ、殴られ、熱い紅茶をかけられたことを許すわけがありません。
「正直、殴られたら殴り返したいんですよ! 私は!」
ペタペタと裸足で会場を闊歩し、いっときも顔を忘れることのなかった殴ってきた令嬢の前へ。脇は締め、足の位置は肩幅程度。拳に力を込めて。勢いよく下から。
「こんな風にっ!」
ゴッといい音がしました。令嬢は吹っ飛びましたが、尻餅をついたようなので大丈夫です。パーにグーで返しただけマシだと思ってください。ビンタし返していたら、貴女様は今頃口が切れていたことでしょう。
「罪を憎んで人を憎まず? ハッ、罪を犯したのは人間ですよ?」
次、次、次。どさくさに紛れて鬱憤をぶつけてきた人には、私の鬱憤ごとお返しします。指示されていた人には、まぁ、少々手心を加えてお返しします。
聖女とはいえ、私は元々孤児です。由緒もへったくれもありません。飯を奪われたら奪い返す、殴られたら殴り返す、強者こそが正義。
殴り終えたら汚れた手をはたき、声と記憶を頼り会場を見まわします。
「懺悔室で人の告白を聞くのも、本当は嫌です」
中でも浮気常習犯の伯爵、これだけの騒ぎだと言うのに、見目のよろしい給仕係を口説いて、まったく反省していませんね。懺悔室にやってくるのは早朝だけですもんね。
「……神は許しても奥さんや裏切った相手が許すかどうかなんてわからないでしょう。罪の意識があるのなら、こちらに来る前にご本人に謝ってきてください」
聖女が守秘義務を守るのが当たり前ではなければ、全員暴露して地獄に落としています。
毎度毎度、どの女性をどう抱いたとか気分が悪くて仕方がないんですけど。詳細を語ってくるの、私だとわかってるからですよね?
「ねぇ、心当たりのある皆様?」
私は誰を示しているわけではありませんが、反応からしてバレそうな雰囲気ですね。自業自得です。骨は拾いません。
腹の虫が治ったところで、腹の音が鳴ったので、全ての元凶である教皇様を睨みつけます。
「そして教皇様。うっすいスープとパンが清貧だと仰るのなら、なぜご自身は片手にワインをお持ちなのでしょう。清貧な食事は足りません。私はまだ十代です。肉を食わせてください、肉を」
反抗すると思っていなかったのか、教皇様は目を見開いていますが、当たり前でしょう。
聖女との神託を受けた時は嬉しかったです。何も考えず抵抗せずに連れて行かれました。もう食べるものにも寝るところにも困らなくていいと思いましたから。
「その上、自分は空腹なのに、朝早くからお恵みまでしなければならないとか。自分は食べられないパンを好き好んで朝から配り歩くわけないでしょう?」
とんだ馬鹿でした。生き地獄の間違いでした。
教皇様は私を利用し、私腹を肥やすことしか考えていませんでした。悪辣な環境下においても、良心が傷まない人でした。良心なんてありませんでした。
「まず私は朝が弱いのですけど?? できればお日様が頭の真上にある時間まで寝たいですけど?」
お祈りも半分寝ながらやっていました。朝は眩暈がしますし、まだ起きるべきではないと体が言っていました。キツかったです。
「そもそもこの服だって、機能性はカスな上に寒いんですよ。私だって羽毛や羊毛たっぷりの冬服が着たいに決まってますよね?」
聖女なのに口が悪いって顔はやめてください。裸足で大理石の上を歩かされている身にもなってください。今すぐそのご立派な靴を脱げ。
「最後に、王太子殿下。勝手に断罪して勝手に結婚とか良い加減にしてくださいませんか? 権威のために貴方様の側にいるのを強制されていただけです。結婚する流れとか知りません。恥を知ってください」
貴方様に媚びを売ったことなんてありません。王妃の座を望んだこともありません。貴方様が望まれたからできるだけ行動を共にして他者を助け、その感謝を横取りされていただけです。他ならぬ貴方様によって。
「……もう、空気の読める聖女は今日でサービス終了でいいですか?」
困ったことはたくさんありました。悲しいこともたくさんありました。辛いことばかりでした。
でも、聖女は誰にも頼れません。聖女は頼る存在であって、そんな行動は求められていないからです。
空気を読まないと、生きていけなかった。逃げることなんてできなかった。でも、逃げずに生きたまま死ぬのと、逃げて死ぬのと、どちらがマシでしょうか。
「終了でいいですよね? 誰も言わないのなら、私が言います。いいでーす!」
ベールを脱ぎ捨てました。長くサラサラな金髪がふわりと広がります。これだって、鬱陶しいから切りたかったのに、聖女の見目は大事だからと丁寧に梳かすのを強制されていたものです。
ですが、そんな言うことを聞く弱々しい聖女はもう終わりです。ざわめきたつ会場を一瞥して、出口へと踵を返します。
「せ、聖女がおかしくなった。悪魔に取りつかれたのでは」
「なんと馬鹿なことを」
止めに来られたら、もうそれまで。元々は孤児だからこそ、私には何の権力もない。ましてや王命に、教皇に逆らうことなどできない。
教皇が声を荒げ、ガシャガシャと鎧がぶつかる音が聞こえます。ですよね。だからこそ、今まで空気を読み、逆らわずにいたのですから。鬱憤は晴らしたと、歩みを止めずに捕まる心構えを、していましたのに。
「いいや、俺は正当性のある話だと思ったが」
取り押さえられる前に、低い声が会場に響きました。
私の行く先に立つのは、赤ともオレンジとも言えない夜明け色の瞳を持つ身なりとガタイのいい方。この国では珍しい黒髪で、社交界でも聖堂でも見たことがない方。
そんな彼は私に手を差し伸べます。
「聖女をやめるなら、俺のところに嫁に来るか? ヴェクサン辺境伯家の当主として先ほど話していた全てをかなえてやろう」
本来は、ここで迷わず手を取るところでしょう。麗しの方に助けられるのは物語では王道です。
……ですが、空気を読むのはもうやめたのです。
「本音は?」
「こんな馬鹿どもに癒しの力を使うくらいなら、うちの兵士たちにつかって有効活用した方がいいだろう。簡単に引き抜けないように籍までいれて永年雇用したい。その代わり、望むままの待遇を与えると約束しよう」
なるほど、契約ですね。理解できます。
まず、見覚えがないはずです。国境を守り、広大な領地を持つ辺境伯は一国の主ほどの力を持っています。滅多に社交界に出てきませんし、国王陛下でも教皇でも無碍にはできない存在です。
「そのお話、お受けしましょう」
私が頷き、差し伸べられた手を取るのではなく握ると、彼は笑いました。
「よし、じゃあこんなクソみたいな場から去るとしよう」
そのまま荷物のように持ち上げられました。栄養不足で私は身長が低かったせいもあり、視線が高いです。堂々と出口へ向かう彼を止めようと国王陛下が叫んでいますが、
「すまないが、面倒なことは書簡で」
と一蹴されていました。もとより、私は誰の所有物でもありませんから、止める大義名分がないのも事実でしょう。
「俺はライアンだ。名は?」
「……エステル。苗字はない、ただのエステルです」
「そうか」
会場から出て、馬車に乗る前、冬の夜の空気を吸いました。鼻の奥がツンとして、肺に冷たい空気がふわりと広がります。
「空気が、おいしいですね」
「うちの領地は自然が豊かだから、もっと美味いぞ」
そういうことではないのですが、きっとそういうことなのでしょう。空気は吸うもので、生きるために体が自然に欲するもの。
「楽しみです」
馬車の中で吹き出しました。
────その後、辺境の地で癒しの力ではなく拳を振るっている聖女の姿があったとか、なかったとか。
なんか……久々に脳筋ヒロインが書きたかったみたいで……読んでくださりありがとうございました。
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