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スキンケアキュ

異世界転生して1週間、急にムダ毛が気になりだすが・・・

第7話 スキンケアキュ


 その日の午後。戦利品の「替えのパンツ」と「キュレル風クリーム」を小屋に運び込んだ聡美は、窓から差し込む午後の光の中で、ふと己の腕を見つめて硬直した。


「……なんかムダ毛が気になるキュ……。異世界に来て気が張ってたけど、女子としてこれはいけないキュ。異世界でもツルツルでいたいキュ……」


 だが、手元にあるのは木のバケツと藁布団、そして……。聡美の視線が、机の上に鎮座するあの業物――『八岐聡大蛇神の小刀』に吸い寄せられた。


 黒い鞘に蛇の紋章、抜けば冷気さえ感じるほど青く輝く刃。

「ま、まさか……これ、美容にも使えるキュ!? 十徳ナイフ的な汎用性を感じるキュ!」

 

 * * *


 聡美は、一国を傾ける価値があると言われる神刀を、迷わずカミソリ代わりに従事させた。腕の産毛をなぞるように、ごくごく軽く、スッ……と滑らせる。


 ――スパァッ!!


 手応えは皆無。しかし、刃が通過した跡は、毛どころか周囲の空気の粒子さえも切り裂かんとする凄まじい断絶が起きていた。

「す、すごいキュウ!!! 全然痛くないどころか、剃った感覚すらないキュ!」


 次の瞬間、聡美の腕は美容液のCMも真っ青なほどツルッツルになっていた。しかも、神刀に宿る魔力の副産物か、肌がほんのりと神々しい光を放ち始めている。


ピロリン♪

突然リストバンドが鳴り、神様の声が聞こえてきた


『ちょっと待って! お前、何してんの!? それ、古の神が蛇神を封印するために打った神刀だよ!? 美容に使っちゃダメに決まってるでしょ!! 罰が当たるし、第一そんなことに使ったら刀の格が下がる!!』


「でも、見てキュ、神様! 驚きのツルツルキュ〜! これなら、いつ魔王さんに会っても恥ずかしくないキュ!」


『……。お前、ついに魔王に会う気になったのか?』


「無いキュ」

即答だった。


「会う気はないけど、会わないからといって身だしなみを整えないのは、合理性に欠けるキュ」


『お前の合理性のベクトルがもう分かんないよ……。始末書になんて書けばいいんだ……

「神刀の鋭利な切れ味を、腕毛の除毛で実証」とかか? 俺がクビになるわ!』


神様の悲痛な叫びをBGMに、聡美は反対側の腕にも神刀を当てようと構える。

国宝級の武器を「究極のシェーバー」として使いこなす。

異世界待機生活、聡美の「生活の知恵」は、天界の常識を音を立てて粉砕し続けていた。


 * * *


『……ねえ、聡美さん』


 空中に浮かぶホログラムの神様が、これまでにないほど真剣な、どこか諦めの混じったような声で呼びかけてきた。聡美はツルツルになった腕をさすりながら振り返る。


「キュ?」


『あなたさ、魔王退治とか……する気、さらさらないでしょ?』


 核心を突かれた。聡美は、藁布団の上でスッと背筋を伸ばし、正座をして答えた。


「無理キュ。だって私、体力テストのシャトルラン二十二回キュ。折り返しのピピって音に、精神がついていけないタイプだキュ」


『うん、知ってる。履歴書の特記事項の欄にデカデカと書いてあったから。記録見た』


 神様の声には呆れと疲労が滲んでいる。聡美は構わず続けた。


「あと、魔法も剣も料理もできないキュ。強いて言えば"まんじゅうを等分に切り分けるスキルLv.2"キュ。これじゃ魔王は倒せても、部下への福利厚生――おやつを整えることしかできないキュ。それに、チートスキルももらえなかったキュ。私はただの不備のある転生者だキュ」


 沈黙が流れた。


 ホログラム越しに見える神の表情が、明らかに「あぁ、もうダメだこいつ」という顔になっている。


『……』


 神は深い、深いため息をついて、手元にあった分厚い「勇者運用マニュアル」をパタンと閉じた。もはやマニュアル通りにはいかないと悟ったらしい。


『なら、もう少し大人しく小屋で待っててもらえる?』


「え~~……退屈キュ」

聡美は頬を膨らませた。


「Wi-Fiもないし、TikTokも見れないし、やることは除毛くらいしかないキュ」


神様の声が一段と大きくなる。

『外出は禁止しないけど、"ピッ"は禁止! あと呪具――神刀での美容行為も絶対に禁止!』


聡美は反射的に立ち上がった。

「ピッもムダ毛ケアもダメキュ!? 唯一の娯楽が奪われたキュ……!」


『あと、まんじゅうも1日2個になったから!』


聡美は小屋の中で両手を広げて叫んだ。

「それは死活問題キュ!私の血肉はこしあんでできてるキュ!」


神様は何かを諦めたように、淡々と告げた。

『いい? 上から正式に再教育か、あるいは送還かの指示が下りるまで、静かに暮らしてて。観光でもしてていいけど、とにかく目立たないようにね。お願いだから始末書を増やさないで』


「つまり"自宅待機勇者"キュ」

聡美は指を折りながら考える。


「ニートと勇者のハイブリッドキュ」


『そう。転生中の仮配置みたいなもの』

神様はもう何も言わなかった。疲れ切った声で最後の言葉を告げる。


『……じゃ、俺はこれから報告書の改ざん……じゃなくて、修正作業があるから切るよ』


 プツン、と音がして通信が切れた。静寂が小屋を包む。


 * * *


 聡美はその場に座り込み、ツルツルになった腕を眺めた。

夕暮れ時。オレンジ色に染まる小屋の前。

聡美は膝を抱えて座り込み、沈みゆく異世界の太陽を見つめながら、ため息をひとつ吐き出した。


「……なつみちゃんだったら、今頃もう持ち前の愛嬌で城に就職して、騎士団のリーダーといい感じになってるキュ……。私だけが、時空の隙間に挟まったホコリみたいだキュ……」


風が吹き、草がささやく音だけが耳に届く。

小屋の裏では、昼間に使った神刀が、何事もなかったかのように机の上で静かに光っていた。

世界を滅ぼしかねない力を持つ武器が、今日はただの"究極のシェーバー"として役目を終えている。


「……でも」


聡美は、自分の腕を見た。

つるりとした肌が、夕日を受けてほんのり光っている。

「これはこれで、悪くないキュ」


誰に見せるわけでもない。魔王に会う予定もない。

それでも、身だしなみを整えたという小さな満足感が、胸の奥にぽつんと灯っていた。


異世界に来ても、自分は自分のままだ。勇者でも英雄でもなく、

ただの橘聡美として、今日をなんとかやり過ごした。

遠くで見たことのない鳥が鳴いた。空はゆっくりと紫色に沈み、最初の星がひとつ灯る。


「……明日は何するキュ」


問いかけても、答えはない。けれど今は、それでよかった。


魔王も使命も、とりあえず明日以降に回す。今日のところは、

ツルツルの腕と、静かな異世界の夕暮れだけで十分だった。


こうして、「自宅待機勇者」橘聡美の異世界は、今日も何事もなく終わっていく。

神様の苦悩をよそに、

満足そうにつるつるになった腕を見ながら

明日も出かける気満々の聡美であった。

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