ピッの魔力キュ
転生神に経費のチャージを要求する聡美
そんな甘い要求が異世界で通用するのか?
聡美はリストバンドに向かって呼びかけた。
「あの、神様ー? 聞こえてるキュー?」
静かな小屋に、突如として神聖(?)な電子音が鳴り響いた。
ピロリン♪
驚いて手元のリストバンドを見ると、液晶画面いっぱいに鬼の形相をした転生の神の顔が映し出されている。
『ちょっと!! 勝手に買い物しないで!!』
「キュッ!? なんでバレてるキュ!?」
『バレるに決まってるでしょ! それ、天界経費……というか、俺の福利厚生枠なんだから!!即座に通知が来るんだよ!』
神は画面の向こうで、真っ赤なエラー通知が並ぶスクロールを必死にめくりながら怒鳴り散らす。
『“蛇紋章付き危険物小刀(要封印)”1点……3,500G!?!?!?
請求先:異世界転送課!! なにこれ!! 国を滅ぼす気!?』
「……やっぱり、高い買い物だったキュ。でも、見た目が強そうだったから……」
『高いじゃない!! ただの待機中の新人にこんな高価な武器なんて認められるわけないだろ!』
「でも、必要経費キュ。神様が私をここに放り込んで、魔王退治しろって言ったキュ。丸腰で戦えっていうのは、ブラック企業すぎるキュ」
『まだ上への確認中だから! 退治は保留中だって言ったでしょ!!』
神は天界のデスクで頭を抱え、深いため息をついた。
その姿は、部下の想定外の領収書を突きつけられた中間管理職そのものである。
『……もう……しょうがない。あとで本社には必要不可欠な初期装備として、必死に始末書書いとくけど……』
神は指を突きつけた。
『聡美さん。もう二度と“ピッ”しちゃダメだからね? 絶対に!!』
「了解キュ。ピッ禁止キュ。もう何があってもかざさないキュ」
* * *
◆ 止まらないピッ ◆
(数分後)
小屋の前の無人販売所(のような何か)から、軽やかな音が響いた。
ピッ♪
──【瓶入りまんじゅう(10個入り)購入完了】──
『……おい、今、今まさに「ピッ」て鳴ったよね!?』
「言ってないキュ! 空耳キュ!
私の口が「キュ」って言っただけキュ!」
『お前、適応能力の方向性が間違ってるよ!!』
異世界待機生活、もはや魔王を倒す前に転生神の貯金を使い果たしかねない勢いである。
「ピ」の魔力――それは聖剣よりも鋭く、聡美の自制心を真っ二つに切り裂いていた。
** *
◆ 経費オーバーと下着問題 ◆
翌朝、聡美は鏡代わりの歪んだ金属板を見つめ、深刻な顔をしていた。
「そういえば、体一つで転生したから、着替えも持ち物も無いキュ。これでは待機生活に潤いがないキュ」
彼女は真剣に頷く。
「衛生環境の悪化は、精神の崩壊を招く。これは合理的な懸念キュ」
身の回りのものを整えるべく、聡美は再び街へと繰り出した。
布屋の棚には中世風のドレスや冒険者服が並んでいる。しかし、彼女の視線は棚の隅に止まった。
「まずは、下着をゲットするキュ……やっぱり、異世界でもパンツは白が無難キュ」
理屈は明快だった。
「柄があると洗濯で色落ちが気になるし、何より落ち着かないキュ」
さらに陶器の壺に入ったスキンケア用品らしきものを手に取る。
「これは……フェイスクリームっぽいキュ。
少なくとも、敏感肌の私を裏切らないオーラを感じるキュ」
ラベルは読めないが、だが彼女のドラッグストアでのバイト経験による商品勘は確信していた。
「よし、買うキュ」
ピッ!
しかし、その音は今までより鈍かった。
──【購入完了 残高:-95G】──
リストバンドの画面が不吉な赤色で激しく点滅する。
《経費上限を超えています。担当者に通知しました》
購入を終えた聡美は、上機嫌で鼻歌を歌いながら布屋を出た。
戦利品は、白い下着一枚と、棚の隅で静かに主張していたキュレル(仮)。
「次は着替えを買いに行くキュ」
隣には、見覚えのある青い看板――いや、それに限りなく近い雰囲気の何かがある。
聡美の目が輝いた。
「しまうら(異世界版)キュ……!」
ピロリン♪
リストバンドが光る。 またか、と思う間もなく、液晶に転生の神の顔が映し出された。今度は、これまでより明らかに目の下のクマが濃い。
『……ねえ、聡美さん』
低い声だった。 怒鳴り散らす元気も尽きかけているらしい。それはそれで罪悪感があった。
『なんで下着と化粧品が、俺の福利厚生枠から落ちてるの』
「必要経費キュ」
即答だった。
『即答しないで』
「だって本当のことキュ。異世界でも清潔感は基本キュ。お肌のケアを怠ると、なおちゃんに怒られるキュ」
神は一瞬、虚をつかれたような顔をした。
『……なおちゃん?』
「親友キュ。肌荒れは人間関係の乱れと同じ、が口癖キュ」
『名言みたいに言うな!!』
画面が暗くなる。 神は何か言いかけて、やめた。 深呼吸をひとつ。
それから、絞り出すような声で言った。
『……来月の昼飯代、本当に消えるんだけど』
その一言には、中間管理職特有の、静かな疲弊が滲んでいた。 聡美は少しだけ、ほんの少しだけ、申し訳ない気持ちになった。
「……神様もご飯を食べるんだキュ」
『食べるよ!! 神だって腹は減る!!』
「知らなかったキュ……」
しみじみと呟いてから、聡美はリストバンドに向かって真剣な顔で言った。
「でも、神様は、やさしいからチャージしてくれると思うキュ」
『しないよ!!』
プツッ。
通話が切れた。 リストバンドは警告色のまま、不気味に点滅している。
残高はマイナス。 神様は激怒。 財布の中身は、存在しない。
それでも聡美は、青い看板の店をじっと見つめて、静かに頷いた。
「……明日、また買いに来るキュ」
長期戦の予感がした。
ついに、残高は赤字
それでも、ピするキュ!
それが私が異世界に存在する証だから




