33 もう一人との別れ
翌朝。
東川と佐倉は向かい合ってハムエッグトーストを食べていた。
佐倉は食事を中断して神妙な顔で口を開く。
「バイト終わったら話したいことがあるんだけど。今日、夕方までだから……16時に……公園集合でいい?」
東川は小さく息を吐いた。
「…………16時、公園集合、か」
声に出すと、喉元で言葉が掠れる。あの日のように激しい動悸に襲われることはなく、過呼吸にもならなかったが、胸の奥にじわりと不安が滲んでいた。
13時、APUS前に行くと、既にメカ野郎が入口ドア前に立っていた。
「助かる」
先に口を開いたのはメカ野郎だった。
「別にいいけど。……でも、16時から佐倉ちゃんと会う約束をしてるから、間に合うように頼むよ」
東川は緊張した面持ちで言う。
「佐倉……。了解」
メカ野郎は短く答えた。
東川はAPUSの建屋とメカ野郎を見比べて、浮かない顔で尋ねる。
「まだここに用があるの?」
「APUSの機能を全て停止しようと思ってる。手伝ってくれや」
メカ野郎の淡々とした答えに、東川は鼻から苛立ったような息を鳴らす。
「この前俺が言った条件、覚えてるか?お前のことと衛藤さんのこと、教えてほしいってやつ」
「……うん」
「じゃあ、教えて」
東川はメカ野郎に迫る。メカ野郎は東川から目を逸らして小声で答える。
「説明するなら、APUSを停止した後の方がいい」
東川は眉に力を入れる。
「先に教えてくれ。俺がこれからやることが、何のためなのかを知りたいんだ。危険な目に遭う覚悟はできてるって言ったよな?」
東川が強く言うと、メカ野郎はゆっくり目を東川に向ける。互いの目線が水平にまっすぐぶつかる。メカ野郎は黙ったまま小さくため息をつく。
「早く」
東川は落ち着いた声で言う。
メカ野郎はゆっくり深呼吸をしてから語り出した。
「分かったよ。説明する。まず俺は、パラレルワールドの研究機関の人間だ」
「衛藤さんと同じ……」
東川は思わず声を漏らす。
「ROSAという機関だ。衛藤はもともとそこにいたが、あいつはROSAの在り方に疑問を持って去っていった」
「ROSAは、悪いことをしていたのか?」
東川の問いに、メカ野郎は肯定も否定もせずに続ける。
「もともとは、パラレルワールドを観測するのが目的だった。……衛藤は、そのつもりでROSAを立ち上げた。でも、技術開発が進み、ROSAはパラレル干渉を積極的に行うようになっていった」
東川は眉間にしわを寄せて口をへの字に曲げていた。メカ野郎はその表情を見て、一旦話を止める。
「パラレル干渉って何?」
東川は腕を組んで尋ねる。
「パラレル干渉は、実際にパラレルワールドに人間を転送して、転送先の世界で行動することや。たとえば俺がROSAのある“世界その1”から、お前のいるこの世界、“世界その2”に行くことだな」
東川はまだ納得のいかない顔をしている。
「あのさ、ROSAがある世界って、この世界とは違うわけ?」
「うん」
「じゃあ、衛藤さんとメカ野郎は、俺から見てパラレルワールドの人間、ってこと?」
「そう」
東川は組んでいた腕をほどき、だらりと下ろす。
佐倉のことが脳裏に浮かぶ。彼女も、その世界の人間なのかもしれない。
胸に広がる予感に、喉が詰まるような感覚がした。
二人は視線をぶつけ合う。
「それで、このパラレル干渉という行為が、だんだんと過激な行動にエスカレートしていった。ROSAの人間が他の世界から情報を盗んでは組み合わせて、利益を得るようなことをやり始めた」
「……そんなに悪いことだとは思えないけど」
「うん。でも、そのトラブルが原因でこの世界の人が死んだ」
東川は背筋に悪寒がした。理由は分からないが、心の中で何かが軋むような音を立てている。
「その、衛藤さんは、モラルがなくなったROSAに嫌気が差したってことか?」
「その認識で一部は合ってる。でもあいつがROSAを見限った理由は、もっと大元の話だった。……全部説明するの面倒くさいな。端折っていい?」
「いいけど。俺もあんまり難しい話わかんないし」
東川は肩をすくめる。メカ野郎は足のポケットに両手を突っ込んで話し始める。
「ROSAは他のパラレルワールドからの干渉を受けないための自己防衛システムを持っている。それは、『ROSAが存在するパラレルワールドを発生させない』ためのシステムでもある」
「???なんで自己防衛してるの?」
東川は首を傾げ、まだ納得しきれない顔をしている。
「一言で言えば、『観測機関は1つじゃなければならない』ってことや。観測という行為は、対象の在り方に少なからず影響を与えてしまう。もしROSAのような観測機関が複数で互いに監視し合うような状況になると、自然な正しい世界の姿が見られなくなる」
メカ野郎は諦めを含んだ投げやりな口調になった。話を聞きながら、東川は目を閉じて口をまっすぐに結んでいる。
「ROSAの自己防衛システムは、正しい世界の姿を見るために機能しているはずだった。でも今はそのシステム自体が狂ってきている。そのせいで、システムから不当に人間が傷つけられたり殺されたりしている」
東川は一瞬言葉を失う。頭の中で、ROSAが不気味な化物のように思えていた。
「……自己防衛システムって、どんな」
東川が途中まで言いかけたところで、メカ野郎はデストラクターを構える。
『攻撃モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
不気味な機械音声が響き、ROSA管理ロボが東川の背後で浮遊していた。
東川が振り返った瞬間、デストラクターが管理ロボに命中し、上下にふらつくような動きになる。
管理ロボは東川に体当たりした。
「いてっ」
「……そいつが、自己防衛システムの手足になっているやつだ」
「説明はいいからこいつを落としてくれよ!」
東川は走って逃げるが、管理ロボは狙いをつけているかのように追いかけてくる。
メカ野郎はむっとした顔で管理ロボのセンサーを狙って発砲した。管理ロボはふらつくような動きでデストラクターの攻撃を避ける。
5、6発狙って撃ったところで、ようやく管理ロボが落下した。
「……サンキューメカ野郎。でも、お前の部下の子は一瞬で3機落としてたぞ」
東川は管理ロボに当てられた左腕を恨めしそうにさすりながら揶揄する。メカ野郎は小さく舌打ちをして東川を睨む。
「自己防衛システムが狂ってきた理由は、パラレル干渉のやり過ぎでROSAの世界の“正常状態の定義”が歪んでいったことだ」
メカ野郎は一度深く息を吐いて、続ける。
「でも、それが明らかになったのはつい最近だ。衛藤はもっと前からこうなることを予想していたんだろう、この世界に来て、ROSAの干渉をブロックするためのシステムを構築しようとした」
「もしかして、そのシステムってやつが、APUS?」
「うん」
東川はAPUSの建屋に目をやる。衛藤が『世界を守る』と言っていた言葉が、ほんの少し輪郭を持ったイメージに変わっていく。
感慨深くAPUSを見ていたが、ふと東川は首を傾げる。直後、険しい顔になってメカ野郎に迫る。
「お前が衛藤さんの命を狙ってた理由って何?」
「……自己防衛システムが、衛藤の行動に拒否反応を起こした。ROSAを脅かす危険人物として、除外対象とした。除外対象というのは、捕まえたら即死刑執行のお尋ね者みたいなものだ」
「“お前が”衛藤さんを狙った理由を聞いてる。ROSAがどうだったとかじゃねえわ」
東川は苛立ったような口調で返す。
「ROSAの判断結果に従う必要があったから。……お前は理解できなくていいけど、俺らはROSAの手足であり、実行者なんや。ここの人間はそういう価値観で動いている」
東川は絶句する。
ここで佐倉の話を思い出す。彼女もメカ野郎と同じところで働いていた、と話していた。もしそれがROSAだとすれば。誰も人間の中身を見ない場所という言葉がぴたりと当てはまる。頭が熱くなり、胸の奥にずしりと重いものがのしかかる。
「佐倉ちゃん、そこに戻るのか……」
誰にも聞き取れないような小声で呟いた。
東川は唾を飲み込み、鋭い視線を向ける。
「……それで、なんで俺らはこれからAPUSの機能を停止しに行くんだ?」
「俺はこれからROSAの干渉機能を止めるから、この世界に渡ってAPUSを管理することが不可能になる。衛藤がいなくなった今、APUSは中途半端な状態で残すことが危険な代物だ。」
「パラレル干渉を止めるのか」
東川は驚いたように口を開いた。メカ野郎は深く頷く。
「……分かった」
東川も答えるように頷いた。
二人はAPUSの建屋に入り、基幹制御室へと進んだ。
基幹制御室に入ると、メカ野郎は部屋の奥のデスクトップを起動する。東川は隣のモニターに近づき、眉間にしわを寄せながら画面を凝視した。
何かのプログラムのようなものが映し出される。メカ野郎から東川に、安全装置が外れたデストラクターが手渡される。東川がデストラクターを受け取る瞬間、手のひらに少し重さが伝わる。
「この前と同じ要領で頼むよ」
メカ野郎は重みのある声で言う。東川は頷いて、部屋を見回すようにデストラクターを構える。
しばらくの間、キーボードを叩く音だけが部屋に響く。
天井から、何かの機械音が聞こえる。
『攻撃モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
「うわ、またかよ」
東川デストラクターを構えるが、管理ロボは左右に揺れながら東川に近づき、狙いが定まらない。
さらに、横から新たな管理ロボが現れる。
『除外対象:ターゲット認識。処分モード実行します』
「え、2機同時」
東川は慌てるように2機の管理ロボを交互に見る。横のメカ野郎も焦るような舌打ちをする。
管理ロボの1機が東川に迫る。
東川は手に汗を滲ませてデストラクターを向けた。
その瞬間、もう1機の管理ロボが空砲を発砲した。
爆音と同時に、東川を追っていた管理ロボが粉々に破壊される。
「……え、こいつ、助けてくれた?」
東川は呆然と立ち尽くす。
「そいつはAPUSの管理ロボや。APUSにとってROSAのやつは排除すべき対象なんだろ。それが管理ロボだったとしても。まあ今のは予想外だったけど」
メカ野郎は淡々と言い放ってキーボードを叩く。
東川が安堵したのも束の間、APUS管理ロボはメカ野郎の頭上を徘徊し始める。
『除外対象:ターゲット認識。処分モード実行します』
「そいつを落としてくれ」
焦り混じりにメカ野郎が言うと、東川は唾を飲み込み、デストラクターを構える。
そして、躊躇うことなく引き金を引いた。
轟音が制御室に響き渡る。
その音に、東川は胸がぎゅっと締め付けられる感覚がする。
APUSの管理ロボが落下し、メカ野郎の脳天に直撃したあと、床に転がり落ちた。
その後もROSA管理ロボが東川を狙い、APUS管理ロボがROSA管理ロボを破壊することが続いた。
『攻撃モード:実行』『除外対象:ターゲット認識』『攻撃モード:実行』『除外対象:ターゲット認識』
壊れたおもちゃのような機械音声が響き渡り、管理ロボが互いに喧嘩しているように見えた。
「……これ、どうすれば」
「気が散るから撃ってくれ。APUSロボ優先で」
東川はため息をついて、ROSA管理ロボ、続いてAPUS管理ロボに発砲する。
タイピング音が止み、メカ野郎は立ち上がる。
メカ野郎は衛藤の懐中時計を取り出し、デスクトップの脇のセンサーにかざす。懐中時計は強く白い光を纏っていた。同時に壁際の制御ランプの全てが消灯する。
東川は息を吞み、センサーにかざされた懐中時計に見とれていた。
やがてメカ野郎が懐中時計をセンサーから外して下すと、東川は横目でモニター見て、画面に「finished」の文字を確認した。
「終わった?」
「終わった」
メカ野郎は持っていた衛藤の懐中時計を床に置き、数歩ほど退いた。
「トロ助。あれを撃って、壊してくれ」
指された先にあるのは、衛藤の懐中時計だった。
心臓が大きく脈打つ。
東川は目を見開いてメカ野郎を見る。メカ野郎はじっと東川を見返す。
東川は唇を嚙み、懐中時計に近づいてデストラクターを掲げた。
衛藤の懐中時計に銃口を向け、発砲する。
轟音とともに、懐中時計が一瞬小さく揺れる。
「……うん、それでいい。ありがとう」
メカ野郎は柔らかい声で言う。
東川はさっと懐中時計を手に取る。
蓋を開けると、時計の針が止まっていた。
まるで時が止まったかのように、東川も静止する。
「それが必要なら、お前にやる。要らないなら俺にくれ」
背後から聞こえる声に、東川は一瞬ピクリと反応したあと、立ち上がる。
「俺にはもう必要ない」
東川は微笑んで答える。
東川の中で、衛藤は何も消えていなかった。彼の子供のような言動も、APUSを自慢げに見せる姿も、……そして、世界を救いたいという思いが本物だったことも。
東川は、衛藤の懐中時計をメカ野郎に手渡した。
APUSの建屋から出ると、東川は建屋の入口を振り返り、建屋の姿を目に焼き付けるように見回した。
満足して歩き出すと、メカ野郎は既に数メートル前を進んでいた。
東川はメカ野郎に駆け寄る。二人は並んでAPUSの敷地を歩き、出口に向かう。
「そういえば、メカ野郎の名前、聞いてなかったな。今さらだけど教えてや」
メカ野郎は立ち止まる。東川も一瞬つんのめって立ち止まる。
「東川賢人。パラレルワールドのお前が、俺や」
その答えに、東川は固まった。
固まったまま、“もう一人の東川”を見つめていた。
あのとき逃げなかったら。
あのとき追いかけていたら。
もしも、あのとき――。
その選択を、全部正しく選んだ姿なのかもしれない。
メカ野郎は固まった東川を見てふっと笑う。
「お前、約束の時間、大丈夫か」
東川はハッとしてスマートフォンを取り出す。
ロック画面に表示された時刻は、15時23分。
「やば!時間ないじゃん」
東川は慌ててスマートフォンをポケットに戻し、急ぎ足で進む。
その瞬間、目の前にROSA管理ロボが急降下してきた。
『打倒モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
ROSA管理ロボは緑色に光りながら、東川を見つめるように浮遊している。周りを見回すと、管理ロボが5機、東川を取り囲むように浮いていた。
東川は退こうとした瞬間、メカ野郎がデストラクターを構えて発射した。
管理ロボが1機、ふらつくように降下する。続くように、他の管理ロボたちも鈍い動きへと変化した。
東川は、冷静に応戦するメカ野郎を見る。
こいつは、知っているかもしれない。
強くいられる方法。
正しい選択。
生き続けることに疑問を持たない生き方。
あと少しで手が届かない「答え」を――
そんな思考の隙を突くように、管理ロボが体当たりしてくる。同時に電気ショックのような衝撃が身体を貫く。
東川はよろけながらも踏みとどまり、態勢を整えて歩き出す。
ふと、脳裏に佐倉の姿と“16時に公園”の約束が浮かんだ。
「公園に向かわないと」
歯を食いしばり、掠れた声を吐き出す。
「俺はこれからROSAに戻って、干渉機能を止めてくる。それまで、耐えてくれ」
メカ野郎は真剣な顔を東川に向ける。その表情の奥に、何か大きい覚悟を抱えているように感じた。
東川は、不安な表情を浮かべる。
それは、管理ロボの攻撃に対する恐怖だけではなかった。
“正しい選択をした東川”がいなくなることへの、言葉にならない焦りと喪失感だった。
メカ野郎は東川の顔を見て、一瞬デストラクターを持つ手が止まる。
「トロ助!」
メカ野郎が叫ぶと、東川は振り向く。
そのまま、メカ野郎はデストラクターを東川に投げ渡した。
受け取った東川の手に、ずしりと重さが加わる。
「そのまま進め。お前の人生は間違いだらけでもいいんや。悩んで、傷ついて、後悔したっていい……それが生きるってことだ。お前には、生きてほしいんや。だから、ただ生きろ!」
メカ野郎の言葉は、理不尽なものだったし、エゴの押し付けだった。
でもそれが、東川の求めていた答えだったのかもしれない。
「サンキュー、メカ…………東川」
東川は小声で呟き、笑う。デストラクターを握りしめ、管理ロボに向かって発砲する。
轟音はしなかったが、管理ロボの動きが鈍いものに変わる。
デストラクターを抱えながら、東川は走り出した。
16時、公園での約束に間に合わせるために。




