32 前夜
東川と佐倉はホットプレートを囲み、牛肉をプレートの上に並べた。じゅうじゅうと音が立ち、香ばしい香りが立ち上る。
佐倉はトングで肉をひっくり返しながらふと口元を緩めた。
「焼肉、やっとできたな」
その声には嚙み締めるような重さが混ざっていた。東川もゆっくり頷き、皿を差し出す。佐倉は焼けた肉を手際よく皿に乗せていった。
「ほい、第一号」
「ありがと」
二人で同時に焼肉を口に入れた瞬間、思わず笑い声が零れた。
「うーまっ」
「やっぱ肉だや」
他愛のないやり取りをしながらテレビを点けると、夜のニュースが流れていた。街で目撃された“怪しい光”についてリポートされ、アナウンサーの大げさなリアクションに佐倉は肩を揺らして笑い出す。
「なにこれ、大気光学現象の一種じゃないの」
「いや、本当に宇宙人っぽい」
「ケンくんが言うと本気に聞こえるのがずるいわ」
二人はスマートフォンを手に取り、“怪しい光”の記事に関するSNSの反応を見ながらツッコミを入れる。東川がちらりと佐倉の手元に目を移すと、彼女の手には見慣れないシルバーのスマートフォンが握られていた。
「そのスマホ、見たことないやつだな」
東川の声に佐倉は手の動きを止める。
「ああ、これ?昨日、前の職場の……あのクソメガネから預かったやつ。社用携帯」
「ふーん……」
佐倉はスマートフォンを閉じようとすると、ふと通知の履歴が目に入った。画面には、昨日メカ野郎から届いたメッセージがまだ残っている。
『明後日1600-1630、干渉機能停止を実行予定』――その文字列が視界の端に焼き付き、胸の奥がチクリと痛む。
明日の夕方に、O世界に強制送還されてしまう。
「あっ、そうだ」
佐倉は画面がバキバキに割れた白いスマートフォンを東川に差し出す。
「これ……ずっと貸してくれてありがとう。返すね」
差し出された端末を受け取り、東川は黙って佐倉を見つめる。
……もう必要ないってことか。
佐倉がここでの暮らしを少しずつ手放そうとしている。そんな予感が胸を掠めた。
その時、佐倉のスマホが短く震えた。新着メッセージの通知だった。画面に表示された文言に、佐倉は思わず息を呑む。
『明日13時にAPUS前集合とトロ助に伝えてほしい』
「……トロ助?」
佐倉は首を傾げて声を漏らすと、東川が振り返った。
「え、俺?」
佐倉は戸惑い、画面を見つめたまま言った。
「……クソメガネからケンくんに伝言。明日13時にAPUS前集合だって」
「クソメガネ……、ああ、メカ野郎か。了解」
東川はスマートフォンに予定を入力すると、佐倉は首を傾げたまま固まった。
「めかやろう?」
東川は深くため息をつく。
明日のAPUS、そしてこのタイミングで端末を返却する佐倉。この2つは裏で何か繋がっているのかもしれない。
東川の頭の中で、大きな予感が働いた。
佐倉は東川をちらりと見て、小声で呟く。
「明日……」
言葉が落ちた瞬間、ホットプレートの上でジリジリと煙が上がった。
「あっ!」
「やばっ、焦げる!」
二人は慌ててトングと箸を伸ばし、真っ黒になりかけた肉を皿に退避させる。
焦げた匂いの煙の中で二人の目が合い、同時に笑いが零れた。
「なにやってんだ、俺ら」
「料理スキル皆無だな」
「佐倉ちゃんは料理スキルあるけどな」
笑い合いながら、東川は炭のようになりかけた肉を口に入れる。苦味が口の中で広がり、顔をしかめた。
「……コゲの味しかしねえや」
佐倉も続いて箸を取り、真っ黒な牛肉を口に入れ、東川と同じく顔をしかめた。
「一生の思い出になるな、この味」
佐倉がぽつりとつぶやき、東川は吹き出した。
「思い出っていえばさ。初めて会った日のこと、まだ覚えてる?」
麦茶の入ったグラスを手に取りながら、東川はふと笑った。
テレビではちょうどニュースが終わり、深夜のバラエティ番組に切り替わった。
「あの日、ケンくんは、なんで私を助けてくれたの?」
佐倉は微笑みながら問いかける。
東川は佐倉からの質問返しに目を丸くする。
あの日の夜も、同じ質問をされたのだ。
東川は少し考え込んだ後、佐倉の方へと静かに目線を上げる。
「……あの時、俺、なんて答えたんだっけ」
「『私を助けなかったら、生きることを否定されそうな気がした』って言ってたよ」
佐倉は目を伏せて小さく笑うと、テレビからドッと笑い声が流れた。
「なんだよ佐倉ちゃん、覚えてるんかい」
東川は口を尖らせる。
「『ずっと後悔してばかりだから、何ヶ月とかの未来に、“私を助けてよかった”って思えたらいいな』、ても言ってた」
佐倉がそう続けると、テレビから再びドッと笑い声が流れた。
東川は佐倉の返答に、胸の奥が擦り切れるように痛むのを感じた。
「はは、最初からずっと、自己救済のためにやってたんだ。……俺、最低だな」
東川は沈んだ声で呟くと、佐倉は思わず目を見開いて東川を見た。
「自己救済でいいよ。ケンくんがいつか、私を助けてよかったって思ってくれたらいいな」
佐倉が言うと、東川は顔を上げた。視線の先の佐倉は、目尻を下げて穏やかな笑顔を向けていた。
「あの時、助けてくれてありがとう」
その言葉が、東川の胸の奥まで包み込むように響いた。
東川は口元を締めながら佐倉を見つめることしかできなかった。
「あー、ほんとは一生ここにいたいなー」
佐倉は小声で呟いて座椅子に身体を沈める。その声はテレビの騒ぎ声に埋もれて東川には聞こえていないようだった。
佐倉は再び肉を焼き始める。
「今度は焦がさないようにしないと」
明るい声とは対照的に、佐倉の視線は迷いを滲ませながら宙を彷徨っていた。
それは、明日のことから目を逸らしているようだった。
ホットプレートから立ち上がる肉の匂いに東川ははっと視線を落とす。
「俺も焼く」
「だめ!私のターンだから」
「いや、俺が焼く」
トングを取り合いながら、二人はくだらない小競り合いを繰り返した。
じゅうじゅうと焼ける音、油が跳ねる音、そして笑い声が部屋に響く。
その瞬間を切り抜けば、ただの穏やかな夜だった。




