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30 裏側

「第2回執行官被害対策会議を開始します」

 白髪交じりの初老の執行官が声を上げる。

「本日の議題は、前回持ち帰りになっていた、オートスタビライザーのパラメーター矯正手順についての案出しになります」

 会議室のあちこちでラップトップのタイピング音が響いた。後方隅の席ではベテランの技術官たちが小声で話している。


 メカ野郎はうつらうつらとしながらラップトップの画面に向かう。視界が時々ガクリと下がる。眠り落ちないようにクマの浮いた目をこすりながらおずおずと挙手し、寝不足の枯れた声で言った。

「最初に私からよろしいでしょうか。パラメーターの矯正だけでは対症療法的ですし、膨大な時間もかかります。私は仕組みそのものの見直しが必要だと思います。ですので、まずはパラレル干渉機構の一時停止とオートスタビライザーの書き換えを行った方が良いかと思います。……以上です」


『オートスタビライザーの書き換え』という言葉が聞こえた途端、水を打ったようにタイピング音や話し声が止む。

 中高年の女性技術官が気まずそうに沈黙を破る。

「……それは、やろうと思ってできることなんですか?」

「可能ですよ」

 あまりに平然と言うメカ野郎を見て、中高年の技術官は自分がおかしなことを言ってしまったかのような困惑の表情で黙り込む。


 会議室に通夜会場のような重々しい静寂が訪れた。


「では、パラレル干渉機構の一時停止とオートスタビライザーの書き換え、を実施事項に加えましょうか。……さて、オートスタビライザーのパラメーター矯正手順についての議論に戻しましょう」

 初老の執行官が会議室前方のモニターにメモ打ちを表示する。技術官や研究員が各々の案を述べる。

「現時点のO世界のパラレルメーターの分析が初手になりそうです。そこにオートスタビライザーの判定基準を合わせ込みにいくことが可能であれば……」

「オートスタビライザーの判定基準を変えるのは現実的ではありません。これだから技術本部は……。せめて収集パラメーターに補正値を加える、ぐらいが妥当だと思いますけど。それでもかなりリスキーですが」

「適切な補正値はどうやって探るつもりなんですか?」「シミュレーションを使えばいい」

「シミュレーションはいいと思うけど、どうやって当たりをつけるんだ?そもそも目標値は?Dev値で評価するなんてふざけたこと言うなよ」

 会議は技術部と研究員が争うような形で続く。その後、収集すべきパラメーターの選別、シミュレーションモデルや補正値の評価手順、担当者について議論された。


 会議室が熱を帯びてきた頃、モニターには完成したフローチャートが示されていた。

「では、この方法で進めましょう」

 初老の執行官がまとめると、会議室の空気は緩む。


 15分の休憩を挟み、初老の執行官が声を掛ける。

「パラレル干渉機構の一時停止とオートスタビライザーの書き換えについても戦略を決めましょうか」

 先ほどまでの熱気とは打って変わり、重い空気が会議室に立ち込める。

 ベテランの風格を纏った研究員が立ち上がり、弱々しく語る。

「大まかな方法ですが……オートスタビライザーの制御に入って、正常状態の定義式を変えるイメージになりますかね……」

 研究者が最後に何かを言いかけて口ごもり、着席する。

「パラレル干渉機構は観測室にオンオフがあります。アクセス権が必要ですが。ただ、あれには触れない方がいい」

 上席研究員が続いて発言する。


 しばらく宙に浮いたような議論が続いたが、ベテランの風格の研究員の発言を中心に、少しずつやることが明確になっていく。一方で、全員が意図的に議論を避けていることがあった。

 誰が実行するのか。

 オートスタビライザーのプログラムに干渉した瞬間、ROSAに“除外対象”として認識される。実行は、すなわち死を意味する。それが暗黙の認識として、会議初っ端のメカ野郎の発言の時点から会議室の空気に影を落としていた。


 モニターのフローチャート見ながら、熟練した雰囲気の技術官が苛立ちを堪えきれずに漏らす。

「で、誰がそれを実行するんだ」

「システムの中枢を知ってる人……基幹制御室に入れる人間しかできないだろう」

 上席研究員が重々しく答えると、空気が凍り付いた。

『基幹制御室に入れる人間』は、ごく限られた研究員だけだった。視線がベテランの風格の研究員などの数人に絞られていく。そこには、メカ野郎も含まれていた。だがメカ野郎は他人事のように腕を組んだまま椅子に背を預け、目を閉じている。

「衛藤が生きてれば、生贄にできたのにな、ははは」

 誰かが吐き捨てるように冗談を零したが、誰一人として笑わなかった。


 会議室は冷え込んだ静寂に包まれる。

 しかし直後、空気を壊すような寝息が聞こえた。多くの視線が、座り込んだまま爆睡するメカ野郎に集まる。

「この状況で?嘘だろ……」

 メカ野郎の隣に座っている研究本部次長が、メカ野郎の肩を二、三度叩いた。メカ野郎が半目のまま顔を上げると、初老の執行官が「東川さん、寝不足ですか?あまり無理なさらず」と言った。


「……で、結局誰がやるんだ」

 老年の技術官が声を漏らす。

「うちよりも研究部が適任でしょう。基幹制御室のアクセス権がある人もいるし、スタビライザーの仕様だってそっちが詳しいじゃないですか」

「アクセス権のある懐中時計を貸し出せば、誰だって……入れますよ。制御の書き換えなら、技術部の方が得意でしょう」


 メカ野郎は黙って技術官たちのやり取りを見ていた。欠伸をしながらモニターに表示された会議メモを一瞥し、状況を察する。

 ROSAの人間が一番人間らしい瞬間を、こんな形で見てしまうなんて。メガネの奥の冷え切った視線が会議室を一周する。目を閉じてさっと右手を上げる。

「私がやりますよ。基幹制御室にも入れますし、オートスタビライザーに至っては構築に関わってますので」


 無機質な声が会議室に響く。

 ざわめきも反論もなかった。ただ、凍りついた空気が、その場を支配していた。



 会議を終えたメカ野郎に呼び出された五島は、応接室に入ってメカ野郎の隣に座る。

「明日から五島さんは私の執行補佐官から外れて、本来の研修執行官に戻ってもらう。急で申し訳ない」

 突然の言葉に、五島は頭が真っ白になる。しばらく黙っていたが、何かを思いついたように言う。

「……もしかして、加納さんが戻ってきたんですか?」

「あいつは無事だった。もうすぐ戻ってくる」

 メカ野郎の答えにわずかな違和感を覚えつつも、五島の顔がぱっと晴れる。

「よかった。加納さん、無事だったんですね。そうしたら、元通りに……」

「元通りになるかは分からん」


 五島は表情を失った。不吉な予感のように、心臓がうるさく鳴る。

「明後日、干渉機能の一時停止と、オートスタビライザーの書き換えを行うことになった」

「それは……東川さんがやるんですか?」

「うん」

 その意味を五島は理解していた。

 命懸けで、ROSAの意思に手を加えるつもりなのだと。

「明日は準備に一日かかるから、今日が最後だと思って。短い間だったけど、ありがとう」

 メカ野郎が表情を緩ませて言った。

 その瞬間、五島の視界が滲み、喉奥が絞られるように苦しくなる。

「そんな任務、やめてください。嫌だ。私まだ、東川さんがROSAを立ち上げた頃の話、聞いてないですよ。助けてもらったお礼もちゃんとできてない。仁内くんの話だって、来週やろうと思ってたんです。東川さんがいないなんて、嫌だ。……私の前から、消えないでください」

 五島の目からぼろぼろと涙が零れる。

 ただ、目の前の人を失いたくなかった。彼がいなくなった後の未来を想像したくなかった。

 五島は思いを巡らせた。――この人のために、自分に何ができるだろうか。

 顔を拭って胸ポケットを探り、メカ野郎に手渡した。五島が大事に持ち続けていたお守りだった。

「東川さんがROSAに負けないように、っていう、私の願いです。何の実用性もないですけど」

「ありがとう」

 メカ野郎は受け取って自分の胸ポケットに入れる。

 五島は歯を食いしばって言葉を押し出す。

「……それ、私にとっても大事なものなので。任務が終わったら、返してください」

「うん。終わったら真っ先に返すや」

 メカ野郎はにこやかに笑って答える。その姿に五島は胸が締め付けられて、洪水のように涙が止まらなかった。


 目の前で震える小さい肩を見ながら、メカ野郎は困ったように笑う。

「五島さん、最後に1つだけ忠告する。不測の事態が起きた時、感情は判断を歪める」

 どこかで聞いたような言葉に、五島は声を詰まらせた。

「君がやるべきことは、それを受け入れながら、行動すること。……でも、五島さんならもう大丈夫やろ」

 メカ野郎は微笑みながらも、五島を見つめる目には名残惜しさが滲んでいた。


 五島は必死に息を整えて、震える声を抑えて言葉を絞り出す。

 ――たぶんむりだ。明日から、この人がいなくなることが。

 ……でも。

「私は、大丈夫です」

 五島は泣き顔で精一杯笑い、強く頷いた。

 


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