29 答え合わせ
「加納だな?」
メカ野郎の短い問いに、佐倉は眉をしかめて唇を噛む。
佐倉はメカ野郎をしばらく忌々しそうに見たあと、目を逸らした。
「……私は佐倉ですけど」
佐倉にとって精一杯の反抗だった。その態度を気にも留めず、メカ野郎はゆっくり佐倉に近づく。
「来るな」佐倉が小声で牽制すると、メカ野郎は口を開いた。
「大きな怪我とかしてないか?」
佐倉は驚いたように目を見開く。メカ野郎は畳みかけるように問い詰める。
「今まで何をしてた?トロ助とは何があった?」
佐倉は見開いた目線を恐る恐るメカ野郎に向けると、目が合った。メカ野郎は浮かない顔をしていたが、そこに怒りは感じられなかった。
「まあ、そのあたりは後でじっくり聞く。まずはすぐにROSAに戻るぞ」
「私はここから帰らないつもり」
佐倉は強く言う。メカ野郎はその答えに呆然とし、「はあ?」と声を上げる。
「無理やりでも帰らせる。というか、近いうちに強制送還になる」
「強制送還……?なんで」
声が揺れ、佐倉の顔に不安が滲む。メカ野郎は周囲を見回し、人がいないことを確かめる。
「パラレル干渉機構を一度止めることにした。止めた瞬間にパラレルにいるROSA関係者は、自動的にO世界に戻される」
佐倉の顔に困惑が混じる。
「なんでパラレル干渉機構を止めるの……?そもそもそんなことできるの?」
「ROSAのオートスタビライザーのパラメーターが狂ってきた。執行官に実害が出てる。放置するとO世界の一般人にも危険が及ぶかもしれない」
佐倉は目線を下げて俯いた。
「……どうでもいい、あんな世界。私にとって大事な人も、大事なものも、何もなくなったところだもん」
メカ野郎は絶句して佐倉を見つめる。佐倉は冷たい目線を足元に向けたまま、黙っていた。
「加納。急に姿を眩ませたかと思えば、そんな自分勝手なこと。今すぐROSAに帰還するぞ、ついてこい」
メカ野郎は佐倉の腕を掴もうとするが、佐倉は俯いたままその腕を払いのけた。
「今までずっと、私の気持ちを無視しやがって。わかってくれようともしなかった。……だから私がはっきり言うわ」
佐倉はそう言ってメカ野郎を睨みつけながら続ける。メカ野郎は驚いたように固まった。
「私はあんたが嫌いだ。憎くて仕方ない。あんたにとって私は執行官でしかなくて、作業効率の数字でしかなかった。任務遂行能力がすべてで、私の気持ちも声も、存在すら見てもらえなかった。その虚しさが、どれだけ苦しかったか……。私にとって生きる意味はなくなったんだよ」
佐倉の目に怒りが滲む。
「あんたの目の前で死んでやる。それでも、あんたは何食わぬ顔してのうのうと生きて、私の代わりを見つけて、すぐに私のことなんて忘れて、淡々と仕事こなして、それが正しいと思うんだろ!」
怒鳴るように激しい声だった。佐倉は言い切ったあと、肩を大きく上下させて荒い息を吐いた。
短い沈黙のあと、メカ野郎が短く言った。
「死ぬな」
感情を抑え込んだ声に、微かな揺れが混ざる。
「お前は俺にとって必要なんだよ。任務とか執行官とか能力とか、そんな肩書きや数字の話じゃない。一人の人間としてずっと傍にいたお前だからこそ、そう思ってる。俺のことは嫌いでもいい。でも、お前には、消えて欲しくない」
互いの視線がぶつかったまま、長い沈黙が続く。
佐倉の目の光がちらつくように揺れる。
「……今更、なんだよ。そんなこと、昔からずっと言ってほしかったのに。今さら都合のいいこと言わないでよ。腹立つ」
声は掠れて震えていた。
「……一発殴らせろ」
佐倉は左手の拳を握り、腕を構える。
「いいよ」
メカ野郎は眉一つ動かさずに答える。
次の瞬間、佐倉の拳が鳩尾に叩きつけられる。籠るような鈍い音とともに、佐倉の身体がわずかに揺れた。
「痛っ。身体岩でできてんの?化け物じゃん……」
佐倉は苦い顔をしながら、左拳を庇うように自らの腰に擦り付ける。
「はは、」
メカ野郎は目を細めて笑った。
「加納、よく喋るようになったな」
初めて見る表情に、佐倉は驚いて一瞬動けなくなった。
「……こっちには、私の言うことに耳を傾けてくれる人がいるから」
拙い言葉でも受け止めようとしてくれた、無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ。その優しい目に、胸の奥がじわりと温かくなる。
メカ野郎はその言葉を受け止め、しばらく黙ったまま川面を見た。川面は朝日を反射して光っていた。
やがて顔を上げ、真剣な眼差しで佐倉を見つめる。
「干渉機構の一時停止の決行日はまた後で連絡する。俺もこれからROSAで準備することがあるからここで。じゃあ」
メカ野郎は淡々と言い残して歩き出そうとしたところで、ポケットを探ってスマートフォンを取り出した。
「たまたま持ってたから、代替機」
ROSA任務用のスマートフォンの代替機を佐倉に手渡す。佐倉は複雑な顔で受け取る。
「……今日私に会ったこと、ROSAには黙っててほしいんだけど。その、干渉機構を止めるまでの間」
佐倉は小声できまりが悪そうに言う。メカ野郎は小さく舌打ちをして踵を返した。
「トロ助によろしく」
背後から微かに聞こえる声は淡々としていたが、どこか明るさを感じるものだった。
「トロすけ?」
佐倉は首を傾げる。
やがて佐倉は川沿いの道を歩き出す。
「……この世界にいられるの、あとちょっとなのか」
寂しさと焦りの滲む声が、静かな川の音に溶け込む。
朝日を映した川面が、まるで過ぎ去っていく時間のように流れていく。
胸に残るのは寂しさだけではなかった。ここで出会った人たちとの温もりも、すぐ指の隙間から零れてしまう。
そんな切迫した感覚が、佐倉の足取りを重くさせた。




