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28 修復

 日が傾きかけた川沿いの道を、佐倉は俯きながら歩いていた。


「ケンくん……さすがに迷惑かけてるよなあ……」

 丸二日間、全て掛け違ったように、彼に謝るタイミングを逃していた。


 昨日の昼間――アルベルトで、ケンくんと一緒にいたあの男を見た瞬間、体が固まった。心臓を締めつけられるみたいに、怖くて、動けなくて。

 アルバイトの後、キョーちゃんと話しているうちに、気づけば彼女の言葉に頷いていた。あの子は慌てて『ケンくんのことを傷つけたかもしれない』なんて言ってたけど、傷つけたのは私も同じだ。あのとき、強い言葉を投げてしまった。

 謝りたいのに、顔を合わせるのが怖かった。

 だから昨日の夜は、アルベルトを飛び出して、ネットカフェの光に縋りついた。

 夜は眠れなかった。ソファーの上で浅い息を繰り返して、罪悪感ばかりが胸に積もって。でもいつの間にか気絶するように寝落ちしていた。

 起きたら、もう、こんな時間だった。



 橋を渡ろうとしたとき、佐倉は首元の重さに嫌気がさして手を伸ばす。指先に触れたのは、服で隠すように首から下げている懐中時計だった。佐倉の心を殺したROSAと佐倉をつなぐ鎖。そして、東川との関係が悪化したきっかけの忌まわしきもの。


 立ち止まってそれを首から外し、手のひらで潰すように握る。

「……こんなもの」

 握り拳を川に向け、手を開きながら振り下ろす。投げ捨てられた懐中時計は、佐倉の視界の中でどんどん小さくなり、やがて川面に小さな波紋を広げて消えた。


 一瞬、心がすっと軽くなった気がした。しかしその直後、その行動がまずいことだと気づく。

「あ。ここµ世界……管理ロボ……」

 周りを見回すと、人気がなくなっていた。佐倉は次第に焦り、大通りに逃げ込むか、川に飛び込んで懐中時計を探すべきか考えた。大通りに逃げ込むのはその場しのぎでしかない。


『攻撃モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』

 機械音声が背後で聞こえる。佐倉の不安が現実となった。

「まずい……」

 デストラクターは手元にない。川に飛び込む勇気もない。だが、懐中時計を取り戻さなければ、事態はさらに悪化する。

「たすけ……」

 言いかけた声が喉元で止まる。

 ――ケンくん、もう私のこと助けてくれないだろうな。だって、あの人の善意を私が「独りよがりだ」って否定しちゃったから。ここで、助けを求める資格なんてない。


 躊躇いながら、川に足を踏み入れる。水の冷たさが肌に触れ、身震いする。懐中時計を落としたあたりを必死で探す。

 管理ロボがハエのように佐倉の周りを飛び交い、体当たりしてくる。

「いたっ。管理ロボってこんな勢いで突っ込んでくるの?!」

 水をかき分け、管理ロボを腕で跳ね除けながら進む。


 気付くと管理ロボが2機に増えていた。

『打倒モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』

「私が執行官だっつうの」

 佐倉の言葉にお構いなしに管理ロボの体当たりと電気ショックが何度も襲う。頭に直撃した瞬間、佐倉の視界が揺らぐ。

 涙が頬を伝う。痛みのせいか、それとも自己嫌悪のせいか。


「ケンくん、ごめん。何もわかってないのは私の方だった……」

 雨が降るように、川面に雫が落ちる。水面をかき分け、必死で懐中時計を探す。視界が滲んでくる。肩に衝撃が走るが、痛みには慣れてしまっていた。


 やがて空が薄暗く変わる。

 佐倉は嗚咽混じりに川の中を探る。息がうまくできない。胸が苦しい。体中に鈍い痛みが残っている。一度腰を伸ばして立ち上がり、涙を服で拭う。

 再び腰を屈めようとしたとき――


「佐倉ちゃん、何してるの」


 聞き覚えのある、ずっと聞きたかった声。

 顔を上げると、東川が立っていた。


 佐倉は決壊したダムのように目元から大量の涙、口からは嗚咽混じりの叫びが溢れ出す。川の冷たい水に濡れた体を震わせながら、思わず東川に抱きついた。

「ケンくん、ごめん。全部私のせいだ」

 佐倉は息を吐き出すように、嗚咽混じりの声で言った。


 東川は一瞬ためらったが、佐倉の背中にそっと手を添えた。胸のあたりに触れた身体から震えを感じた。

「分かってなかったのは私の方だった。ケンくんの優しさにずっと甘えてた。あのときも、最低なこと言ってケンくんを突き放した。ごめんなさい」

 佐倉は涙声で言う。東川の胸元で吐き出された息が温かく染みる。

 東川は小さく微笑んで、佐倉に言い聞かせるように語る。

「……あのときは、俺が自分の失敗を佐倉ちゃんに責任転嫁しようとしちゃったから。俺の方こそ、気が動転して、傷つけることを言っちゃって、ごめん」


 少し間を置いて、あやすように佐倉の背中を優しく叩きながら続ける。

「偽善かもしれないけど。佐倉ちゃんのこと、助けようと思ってるんだよ。懐中時計のことも、どんなものか知れれば佐倉ちゃんの手がかりが分かると思ってた。……でも、言えないことがあるのは、隠さないといけない事情があるのかな?それとも、俺のこと信用してない?もしそうだったらどうしようって、不安なんや」

 佐倉の腕に力が入る。東川を不安にさせていた罪悪感で胸が締め付けられる。話したい気持ちと話せない事情が絡み合って、佐倉は言葉に詰まる。ゆっくり言葉を選びながら話し始める。

「私がもともといた場所が、辛いところな気がして。……このまま進んでいくのが怖かった。ほんとは、懐中時計のことも話したい。でも、ケンくんが危険な目に遭うから話せない。……ケンくんを騙そうと思ったことは一度もないよ。私が言ってることは自分勝手だって分かってる」

 芯のある声だった。

「うん、そうか。戻りたくないかもって気持ちが、少しあるのか」


 東川は佐倉の背中から腕を離し、佐倉と向き合おうとしたが、佐倉の腕が離れなかった。東川は驚きと困惑が混ざった表情で、持て余した手を佐倉の頭に乗せる。

「あのさ、1つ聞いていい?佐倉ちゃん、川で何してたの?」

 佐倉は勢いよく東川から離れ、よろけながら後退する。

「お、落とし物……。その、懐中時計を」

 消え入りそうな声で言う。東川はじっと佐倉を見る。

「懐中時計落としたから、ドローンみたいなやつに追い回されたのか。ケガしてない?懐中時計は見つかったの?」

 佐倉の表情が固まる。

「なんで管理ロボに追い回されたこと知って……」


「お前ら大丈夫か?川の中でいちゃつくな」

 橋の上からメカ野郎がデストラクター片手に声を上げる。

 佐倉がその声に橋の方を振り返ると、全身が固まったように動かなくなった。メカ野郎も佐倉を見て固まった。

「ちょっと落とし物したらしいー」

 東川は固まったメカ野郎に向かって叫ぶ。

「落とし物?」

 メカ野郎は橋から川に飛び込み、ずいずいと進みながら佐倉に近づく。佐倉は顔面蒼白で後退りする。佐倉の横についたメカ野郎は、佐倉の耳元に近づいて囁くように訊く。

「お前、アレを落としたのか?」

「アレを落としました。というか、やけくそで川に投げました」

 佐倉は冷や汗が止まらず、うつむいたまま小声で答える。メカ野郎は絶句して佐倉を見つめる。

「早く懐中時計を探すぞ。どの辺に投げたんや」

 メカ野郎は苛立ったように言う。東川は「投げた?」ととぼけたような声を上げ、周りの水面をかき分けながら手を入れて探った。

「このへんのはずなんだけど……」

 佐倉はよろけながら川を進み、手を突っ込む。

「じゃあ手分けするか。そっからあっちまでトロ助」

 メカ野郎は仕切り始める。

「私こっちやる!」

 佐倉は焦るように自分のテリトリーを決める。


 それぞれ黙って懐中時計の捜索を始めたが、一向に見つからないまま空が真っ暗になる。


 焦りと深夜特有の高揚感でおかしくなり、思い思いの声が上がる。

「なんで川に投げたんや。あほか」

「あほで悪かったなっ!……なんか腹立ってたの」

「投げたってどういうこと?」

 3人の声が交錯する。佐倉は必死に懐中時計を探すが、濁った水の中ではなかなか見つからない。水流に流される波紋に目を凝らし、時折手を伸ばしては何もないことに肩を落とす。

「トロ助!こっちに水掛けるな」

「お前がこっちに寄り過ぎなんだよ」

 東川とメカ野郎がそれぞれ文句を零す。東川の真剣な表情に佐倉は申し訳なさを感じながら、持ち場の捜索を続ける。


 夜が明けかける頃、川面に朝日の淡い光が差し込み、東川は濁りの中に小さな輝きが揺れているのを見つける。

 夢中で川に手を入れ、掴む。

 川から取り出したそれは、間違いなく佐倉の懐中時計だった。


「あったーーーーーー!」


 東川は大声で叫ぶ。佐倉とメカ野郎の目線が東川に集まる。3人は自然と集まり、東川が佐倉に懐中時計を差し出した。

「やっぱり大事なものじゃん。これが、佐倉ちゃんを守ってくれるんでしょ?」

 佐倉は懐中時計を握りしめる。微かに東川の手のぬくもりが残っていた。冷たく湿った金属の感触の奥に、消えない温かさが伝わる。

 この瞬間、忌まわしいものだったはずの懐中時計が、佐倉にとっての宝物になった。


 川から引き上がったあと、佐倉は深く安堵の息を吐き出し、しっかりとした声で言った。

「ありがとう、二人とも」

 東川は冗談交じりに笑う。

「随分かかっちゃったなあ。もう朝になるじゃん」

 佐倉はしゅんとした顔をするが、東川は笑みを崩さずに佐倉を見る。

「さ、帰ろうか」

 佐倉は東川を見て控えめに笑う。

 東川はメカ野郎に顔を向けて続ける。

「メカ野郎もありがと!お前、物騒な仕事してたんだな!」

 メカ野郎は不機嫌そうな顔で黙っている。


 東川が帰路に向かおうとすると、メカ野郎が声を上げた。

「待て、話がある」

 東川は振り向く。

 メカ野郎の視線は、佐倉の方を向いていた。

「トロ助、悪いな。そこの彼女と話をさせてくれ」

 淡々とした声だった。東川は緊張した面持ちに変わる。

 ――ここで佐倉ちゃんの手を引いて逃げた方がいいのか?


「ケンくん。大丈夫だから。先に帰ってて」

 佐倉は何かを察したように東川に笑いかけた。その瞳には確かな強さがあった。

 東川は緊張が解けない顔のまま佐倉を見る。しばらく迷うように立ち尽くし、やがて深く息を吐く。

 佐倉の言葉を信じよう、と決心した。

 東川は深く頷き、一人で川沿いの道を歩き出す。


 佐倉は東川の背中を静かに見送った。

 懐中時計を握る手に力が入った。

 


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