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24 雨

 東川は窓の外を眺めていた。小雨が降り続き、昼下がりにしては薄暗い空が広がる。

 丸一日、佐倉と口をきいていない。昨日は東川が終日シフトだったせいかもしれないが、それだけではない気がし、曖昧な不安が胸の中で膨らんでいる。

 不安をかき消そうと、ラップトップを開いて小説用のエディタを開く。『上昇鬼竜』の続きを書こうとした。

 前回は、ケイイチがレイカに向かって社会の歯車でしかない自分を嘆き、「俺の中身なんて、誰にとってもどうでもいいんだ。だから俺は死にたい」と、その辛さを吐露していた。

 東川は、それに対するレイカの答えを考えていた。今回の章ではケイイチの救いとなるレイカの言葉を綴ろうと思っていた。

 しかし、キーボードに置いた指が止まる。

 以前、佐倉がこの小説を読んで、「ケイイチに共感できるかも」と言ったことを思い出した。あの時は自分の書いたものがやっと誰かに肯定された気がして胸が軽くなり、気にも留めていなかった。

 だが今は違う。


 ――佐倉ちゃんは、ケイイチのどこに共感したんだ……?

 疑問が浮かび、背中にひやりとしたものが走る。

「人の気持ちなんて見てないじゃん」と言い放った佐倉の声が脳裏に蘇る。

 本当の気持ちというのは、何だろうか。人の心なんて影のように、歩み寄ろうとしても踏み込んだ瞬間に逃げていく。

 もし彼女が、本当に「もう生きたくない」と思っているのだとしたら──。

 俺ができるのは、不器用でも言葉を届けることだけだ。それは同時に、自分自身に向けた言葉を探すことでもある。


 東川はエディタに『「生きろ」』と入力した。

 その時、インターホンが鳴った。

 心臓がドクンと跳ね、モニターに駆け寄る。

 佐倉かと思いながらモニターを確認すると、映っていたのはメカ野郎だった。


 一瞬で全身の力が抜ける。

 とぼとぼと歩きながら玄関に向かい、ゆっくりドアを開ける。

 屋根に雨がぶつかる音が聞こえ、目の前に沈んだ顔をしたメカ野郎が立っていた。

「話がしたい」

 東川はまばたきをして、息を整えるように答える。

「店行こ」



 アルベルトのテーブル席で、東川とメカ野郎は斜めに向き合って座る。雨のせいか、他に客がほとんどいなく、店内はしんとしていた。

 藤崎が注文を取りに来る。

「ドリンクバー2つ、あとオムライスと、」

「ナポリタン激辛にできますか?」

 東川とメカ野郎がオーダーする。藤崎はメカ野郎の『ナポリタン激辛』に一瞬戸惑ったような笑いを見せるが、「かしこまりました」と告げて席を離れる。


 東川はドリンクバーから持ってきたアイスティーにガムシロップを落とし、アイスティーの液面から一瞬で落下するもやを見ていた。東川はふと、かつて同じようにグラスを眺めていた衛藤の姿を思い出した。

「この、ガムシロップを入れた瞬間にモヤって揺れるの、シュリーレン現象……っていうらしいや。『見えないものが見えるようになって面白い』、ってやつ……?」

 東川はアイスティーの入ったグラスを指して言う。


 メカ野郎は一瞬きょとんとした後、呆れた顔になる。

「それだとただの感想だろ。受け売りの知識か?シュリーレン現象ってのは屈折率の差がもやのようになって見え……」

 メカ野郎は言いかけながら、ふと脳裏に昔の忘れかけていた記憶が蘇った。喫茶店の向かいの席に座る、知性と無邪気さを併せ持った青年が微笑む姿――東川の言葉にその面影を感じ、メカ野郎は思わず尋ねた。

「……それ、誰に聞いた?」

 対面に座る東川は、口を結んで俯いていた。


 やがてメカ野郎が真顔になり、口を開いた。

「衛藤が死んだことは、非常にまずいことが分かった」

 東川は一瞬、その言葉を咀嚼できずに固まる。しばらくして言葉の意味を飲みこんだとき、胸の奥で怒りが渦巻いた。

「お前ふざけるなよ。衛藤さんを殺しておいて、その口で良く言えるな」

 声が震える。大声になりかけたところで理性が働き、声を抑える。

 メカ野郎は視線を落としたまま答えた。

「衛藤がやろうとしていたことが正しかったかもしれない。俺はずっと、衛藤が反逆者だと思っていた」

 東川はテーブルを叩く。メカ野郎は一瞬ビクッとして目を向けた。

「今さら全部ひっくり返すようなこと言って……衛藤さんは戻ってこないんだぞ?分かってるのか?なあ」

 東川の声は怒りと悲しみが混ざり、震えていた。

 メカ野郎は小さく頷く。

「まだ状況は掴めきれていないが、お前には色々手伝ってほしい」

 東川の視線が落ちる。

「俺は、衛藤さんを守れなかったことを、たぶん、これから……ずっと抱えながら生きていくことになる。その後悔は一生……消えないんや」


 メカ野郎は間を置いて、静かに言った。

「衛藤の意思を継いで、立て直したい。俺に協力してくれないか」

 その言葉は冷たい一筋の光のように東川の胸に差し込んだ。

 東川は即答できず、俯いて考える。

 ――再び、何かを守る機会が訪れるかもしれない。それは、衛藤さんを守れなかったことに対する贖罪なのか、それとも救済か。

 だが、目の前の『敵かもしれない』人間を見て、心の中の光と影が揺れていた。


 その時、藤崎が料理を持って現れる。料理を持つ手が微かに震えていた。

「お待たせしました。オムライスと――」

 藤崎の言葉が詰まり、声が涙で揺れる。

 彼女が普段見せないような崩れ方に東川は焦り、そっと声を掛ける。

「藤崎さん、戻って気持ち落ち着けてきてや」

 藤崎は料理を置くと、泣き顔のまま一礼してバックヤードへ駆けて行った。

 しばらく重い沈黙が場を包み、店内には食器の音だけが響いた。

 東川はバックヤードに視線を向けるが、藤崎は出て来なかった。


 二人は黙って料理を食べ進めた。

 メカ野郎はふと視界の端に佐倉を捉えた。その姿に見覚えがあり、思わず名前を口にする。

「加納……」

「何か言った?」東川が尋ねる。

「いや」メカ野郎が答える。


 東川はふと視線を落とし、食べかけのオムライスを見つめた。

 脳裏に浮かんだのは、オムライスおじさん――春岡の穏やかな笑顔だった。そして同時に彼の『なんか誇らしい』という照れ混じりの声が頭の中でこだまする。

 誇らしい、ってなんだろう。自分の行動に胸を張れることだろうか。……もしここで、メカ野郎の提案から『恨みのある敵と手を組みたくない』という理由で逃げたなら?俺は自分のことを『誇らしい』って言えるのだろうか?


 食事を終えて二人で席を立とうとしたとき、東川が口を開く。

「あのさ。まだうまく言えないけど……前向きに考えてみる。衛藤さんの思いとか、衛藤さんが死んだこと、……無駄にしたくないからさ」

 メカ野郎は小さく頷いた。


 二人は会計を済ませ、出口のドアを開く。雨は勢いを増していた。

 傘をさして歩き出そうとしたとき、勢いよくアルベルトの入口ドアが開く。

 藤崎が泣きそうな顔で立っていた。


「東川さん、あと、この前助けてくれた方。……お店で話してたこと、なんの話か知りませんけど、人が死んだことに意味付けなんてしないでください。意思とか、軽々しく言わないでください。……人が亡くなったこと、踏み台にしないでください!」

 藤崎から涙とともに、静かな怒りが吐き出される。


「……なんか盗み聞きしてたみたいになってすみませんでした。お気をつけて」

 藤崎はそう言って店の中に戻った。


 東川とメカ野郎は黙って俯いた。雨が傘にパチパチと当たる音がうるさく聞こえる。言葉にならない沈殿した感情が、雨の冷たさと同時に染みわたっていく。

 二人は黙って俯いたまま、雨に包まれて歩き出した。


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