23 降伏点
ROSAのパラレル転送室から戻ってきた数人の執行官が、事務室を目指して歩いていた。
「いやーμ世界では大阪が今激アツなんすね。旅行行きてー」
若手の男が笑いながら声を上げる。
「欲張りだなあ。今回もお土産持ってきたじゃん」
隣を歩く先輩の女が穏やかに突っ込む。
「いや、お土産じゃなくてライブ感が大事なんすて」
若手の男が抑揚豊かに語る。執行官たちの笑い声が響く。
和やかな空気を切り裂くように、機械音声が鳴る。
『処分対象、検知しました。計測中……』
「は?」
若手の男が振り向くと、ROSA管理ロボが黄色に光りながらすぐそばで浮いていた。
『攻撃モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
「え」
体当たりを受けた瞬間、若手の男は肺の空気が押し出されたような唸り声をあげ、その場に崩れ落ちた。その光景を目の当たりにした周りの執行官たちは一目散に逃げる。
若手の男もよろけながら立ち上がり、必死に逃げる。バタバタと靴音が廊下に響いた。
「なんで?え?は?助けてくれ!」
若手の男のすぐ背後には、管理ロボの甲高いモーター音が張り付いていた。若手の男は背中に汗を滲ませ、悲鳴にならない息を漏らすことしかできない。
デストラクターを抜きざまに一発撃ち込む。
管理ロボの動きが一瞬止まる。
「効いたか……」
『打倒モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
冷たい音声と同時に、管理ロボは緑色に点灯する。
「ふざけんな……!」
男は叫びながら乱射する。だが撃っても撃っても、機械は執拗に付きまとい、電気ショックのような衝撃を与えてくる。
若手の男はやがて体勢を崩し、廊下にうずくまった。
――このままだと死ぬかもしれない。
その直感だけが頭を支配した。
若手の男が気を失いかけたとき、白髪交じりの初老の男が目の前を通りがかる。若手の男は助けを求めようとするが、呻き声しか出なかった。
初老の男は冷たい視線を若手の男に向け、拘束具を取り出して若手の男を拘束した。管理ロボのライトが消え、若手の男の姿を一瞬捉えたあとに管理ロボは退散した。
「お前、何やった?ROSAの意思に背いたのか?」
初老の男は冷たく言い放つ。若手の男は訳が分からないというように眉を落としたまま固まっていた。
「……査問するぞ。事務所に寄る」
若手の男は両手を縛られたまま初老の男に連れられる。
廊下を歩いていると、遠くで叫び声が聞こえた。
初老の男が叫び声の場所に向かうと、数人の執行官が慌てふためき、管理ロボから必死に逃げていた。
「なんで俺が……いてっ」
執行官の一人が管理ロボから体当たりを受け、姿勢を崩した。
「待て、何が起きてるんだ!」
初老の男は叫び、デストラクターを管理ロボに向けて発砲した。管理ロボに命中し、動きを鈍らせながら老の男に近づいて静止する。
『攻撃モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
ロボが初老の男をめがけて一直線に突進する。避ける間もなく肩に衝撃が走り、身体が壁に叩きつけられる。初老の男は骨が軋む感覚に歯を食いしばり、腕を震わせながらデストラクターを構えた。
「――ッ!」
引き金を連射する。管理ロボは少しずつ動きが不安定になるが、相変わらず冷酷に突進を繰り返す。
ようやく管理ロボがその場で浮き沈みするような動きになったところで、初老の男は管理ロボのスイッチを落とす。その後、スマートフォンを取り出して通報した。
「緊急。複数の執行官が、急に処分対象にされている。管理ロボが暴走しているかもしれない。原因を早急に調べて欲しい。状況の速報をすぐに送る」
初老の男は浅い呼吸を繰り返して、足早に事務室に向かった。
指先はまだ、引き金を引く癖で痙攣していた。
初老の男の十数メートル後ろを、縛られた若手の男が追いかけていた。
「待ってー査問は?」
初老の男の一報を受け、ROSA技術部の事務室は慌ただしい空気に包まれていた。
デスク一面で技術官が各々のデスクトップを立ち上げ、管理ロボの制御に関するプログラムの調査を行っている。
「……管理ロボ、暴走はしてなさそうですけど」
「ハードの方も異常はありませんでした」
「え、じゃあ正常に動いてるってこと?なんで執行官が何人も狙われてんの?」
「ほんとに悪いことしたんじゃねえか?」「ふふ……冗談やめろ」
事務室の各所から混乱したような声が上がる。
「オートスタビライザー側の異常かもしれないということか。……考えたくないな」
メカ野郎は技術官の報告を受けた後、深くため息を吐いた。メッセージボックスに、研究部へ処分対象になった執行官のパラメーター整理とオートスタビライザー側の調査の依頼を送信した。
事務室の向こうで新たに喧騒が生まれる。
「オートスタビライザーで管理してるパラメーターって何種類あると思ってるんですか」
「正気の沙汰じゃねえ」
メカ野郎は重い腰を上げ、ラップトップを片手に基幹制御室に向かった。
メカ野郎は基幹制御室の鉄扉脇のスペースに懐中時計をはめ込む。重々しい扉の鍵が開き、中に進む。
奥にあるデスクトップを立ち上げてソフトを起動し、テストモードでオートスタビライザーのプログラムを開く。同時に手元のラップトップを開けてパラメーターのモニターを確認する。
プログラムとパラメーターを見比べ、思い当たるパラメーターを変えながらシミュレーションを回す。メカ野郎は嫌な汗をかいて画面を見守る。
調査中の研究員から続々とメッセージが届く。
「ここ数日のO世界における正常状態の定義がズレてきています。干渉によるパラメーター持ち込み過多が要因では」
「衛藤の執行が変化点になって執行官の判別に異変が出ていそうです。衛藤に関連する情報がオートスタビライザーでどう処理されているか確認してほしいです」
「このまま進むとROSA外部の一般人にも被害が出るのではないか」
「今朝から、ROSA執行官そのものが危険因子として検出される兆候が出ています」
メッセージを確認してメカ野郎は愕然とする。
「……どこから攻めるべきだ?」
メカ野郎は目を伏せて考え込んだ。
仁内は作成した衛藤の報告書を見返していた。
「ROSA懐中時計が遺品になかったの、なんでだろうな。やっぱROSAに恨みでもあったのかな。……うん、この内容で問題ないっしょ」
ROSA-AIの検閲に送信する。
「やっと終わったあ。やっぱ俺、文章書くの向いてないなあ」
背伸びをして事務室を出る。欠伸をしながら休憩室に入ると、五島がソファーに座っていた。
五島は仁内の欠伸をした姿を見てフッと笑いを漏らす。
「ゴッシーじゃん。最近よく会うね」
仁内は五島に声を掛けて隣に座る。
「私たち、考えてることが同じなんかね」
五島の言葉に仁内はフフっと笑う。五島は緊張した顔で続ける。
「さっきB棟の方向からやたら悲鳴が聞こえてきてさ、なんかやばそうだったから気をつけて」
五島の声は小さく震えていた。身体も小刻みに震えているようだった。
仁内は五島を見て言う。
「何かあったら俺がゴッシーを守るよ」
仁内の言葉を聞いて、五島の表情がわずかに緩む。
しばらく二人が沈黙していると、五島はぼんやりとした違和感を覚える。仁内から目線を外すと、視界の端に複数の赤い光を捉えた。
「!?」
五島は咄嗟に立ち上がる。仁内は「ゴッシーどうした?」と尋ねる。
『除外モード:実行。対象を除外します』
背中がぞっとするような機械音声に、五島は目を見開いて固まった。
周りを管理ロボに囲まれている。五島は強張った手でデストラクターを連射した。
赤い光を放った管理ロボはいずれも小銃を構え、その銃口は一斉に仁内へと向いた。
「なんで……」
仁内は震える手で撃ち返すが、焦りで狙いは外れ続ける。
五島が仁内に近づいた管理ロボを落とす。仁内が焦り混じりに「ゴッシーありがとう」と言った。
その瞬間、轟音が響き、仁内は床に倒れた。
その光景はスローモーションのように五島の目に映る。
管理ロボの赤い光が消灯し、緑色に変わる。
『打倒モード:実行。執行官は対象の保護準備をしてください』
気付けば、デストラクターを乱射していた。怒りというより、もはや感情が吹き飛んだ空白の中で引き金を引き続けていた。近づく管理ロボは片端から撃ち抜かれ、床に転がっていた。最後の1台を落とすと、五島は倒れた仁内に駆け寄る。
「仁内くん、だいじょ……」
言いかけて、仁内の呼吸が止まっていることに気づく。
「は……?」
五島は動揺したまま救護室に連絡を入れる。
救護が来るまでの間、五島は仁内を撃った管理ロボを休憩室の床に叩きつけたり蹴り上げたりしていた。ただ心の隙間を埋めるように、無心でそれを繰り返した。気づけば管理ロボの小銃が折れ、上蓋が歪んでいた。蹴り上げた衝撃で壁にぶつかり、本体は無様に転がる。
その時、離れた場所で声が響いた。
「救護です。無事ですか?」
救護班の男2人が来た。
五島ははっとして出入口を見る。
「その人を無事にしてください」
五島は懇願するように言う。
救護班の男はその場でさっと仁内を診察し、「心肺停止だ」と呟いて救護室へと運び出した。
五島は膝をつき、息が詰まる。起こったことが現実とは思えなかった。
状況を聞きつけた執行官たちが休憩室に集まる。
「何があったんだ?」
「え、死んだの?」
「通してください!」
「仁内くん……」
五島には周囲の声が籠って聞こえていた。視界が砂嵐のように霞んでいく。呼吸が苦しい。
その場で屈んだまま動けなくなった。
「執行官処分対象の現象について、執行官1名死亡という異常事態を受け、技術本部、研究本部、執行部上役の緊急会議を開きます」
館内放送が響く。各フロアの事務室は慌ただしい空気に包まれていた。
執行官事務室で、五島は茫然としてデスクトップを眺めていた。
「五島さんは目撃者だけど、この会議は出なくて大丈夫だから。疲れていると思うからゆっくり休んで。報告書も明日から取り掛かればいいから」
若手の女性執行官が五島に声を掛ける。五島は力なく「はい」と呟く。
デスクトップに映る『障害報告書』のテンプレート。五島はこれに、仁内が攻撃を受けて死亡したときの状況を記述しなければならない。
ついさっきまで談笑していた仲間が突然襲われ、命を奪われた。
胸が締め付けられ、目から涙が溢れる。手が震えて文字が打てない。
仁内が死ぬ瞬間の声が、顔が、何度もフラッシュバックしていた。
翌朝、五島はROSAの事務室で緊急会議の議事録を見ていた。
腫れて重い瞼をこすり、結論セクションに目を通すと、抽象的なワードが簡潔に並んでいた。
――
・パラレル干渉は危険な可能性がある。乱れたパラメーターを矯正し、干渉についても新たに厳しめのルールを制定する。(重要項目)
・衛藤に関わる情報の処理は一旦中止。(最優先事項)
・新人や経験の浅い執行官は処分対象になりやすいので注意深く保護すること。
・ROSA建屋内でもバディでの行動を原則とする。理想は4人以上。
・次回会議までは急を要さないパラレル干渉を停止。
・パラメーター矯正手順について、技術部と研究部で案を考えること。 次回会議まで
――
「何も解決してないじゃん……」
五島は枯れた小声で呟き、詳細な議論の内容に目を通す。仁内の事件が議題になったところで、五島の視界が霞む。目を凝らして見ると、論点は「なぜ仁内だけが“除外対象”として殺害されたのか」に集中していた。推測に推測を重ねるような発言、責任の押し付け合い、仁内の個人パラメーターの数値について、さらには仁内のほうに問題があったのではという発言――文字が滑るように並んでいた。
視界が小刻みに揺れ、ぼやけて何も見えなくなる。
言葉にならない悲しみと怒り、そして悔しさが喉奥で堰き止められ、息ができなかった。




