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19 意思の行方

 東川と衛藤はアルベルトのテーブル席で向かい合っていた。

 店内は夕食を食べるサラリーマンや高校生のグループ、親子がまばらに座っており、高校生たちの浮かれた話し声や子供の叫び声が時折響いていた。


 衛藤は、アイスコーヒーにガムシロップを2個投入し、口を開く。

「急に会って話をさせたいなんて、ひが……あいつは何か変わったのか?」

「メカ野郎ですか?この前あいつが、俺を励ますような言葉をかけてくれて。だから今なら衛藤さんと和解できるんじゃないかと思ったんですよね」

 衛藤は東川の返答に驚いたように口を開ける。


 しばらくして、衛藤の顔に安堵が広がった。

「そうか、あいつが……そうかあ」

 衛藤は顔を綻ばせてコーヒーにガムシロップを1個追加した。東川は怪訝な顔を浮かべながら衛藤の手元を観察する。


「衛藤さんとメカ野郎ってどんな関係なんですか?付き合い長いんですか?衛藤さんってあいつに命狙われてたんですよね?」

 東川は口を尖らせて尋ねる。

 衛藤は頬杖をついて遠くを見つめた。

「あいつとは10年ちょっとくらいの付き合いだったかなあ。初めて会ったとき、あいつはまだ中学生で随分ませたクソガキだったよ。でもあいつの居場所が、あいつの人間性をどんどん奪っていっちゃった。んで、方向性の違いってやつで今に至ると」

「バンドの解散理由みたいに言わないでくださいよ。……というか、意外と長い付き合いだったんですね」

 東川は頬杖をついてコーラを飲み始めた。

 氷がカラカラとグラスを叩く音がテーブルの上で響く。二人は穏やかなため息をついて沈黙した。店内の遠くで高校生の笑い声が聞こえる。


 東川はぼーっと対面の衛藤を見つめながら言う。

「話変わるんですけど、衛藤さんって金色の懐中時計のこと何か知ってます?ふたに隙間が入ってるデザインのやつなんですけど」

「ああ、佐倉さんが持ってたってこの前言ってたやつのこと?」

 東川は固まる。佐倉のことを避けて切り出したい話題だったが、あっさり裏切られてしまった。

「……知り合いで持っている人が何人かいるんで、今流行ってるのかなあって」

 東川は取り繕うように言うと、衛藤はフッと笑い、右手で太もものポケットを探った。金物の音とともに衛藤の手元には金色の懐中時計が現れる。

「僕も持ってるよ。これのことでしょ」

 東川は目を見開いて懐中時計を見つめる。

「……これ、なんか特別なやつなんですか?」

 東川が衛藤に尋ねると、衛藤は神妙な顔で考え込んだ。しばらく黙っていた衛藤は笑顔に戻って口を開く。

「……かっこいいでしょ。一目惚れして買ったんだ。まさかこれが流行ってたなんて」

 東川は衛藤の反応に違和感を覚えるが、乾いた笑いを漏らしてその場をごまかした。


 衛藤はテーブルに置いた懐中時計を見て、話を続ける。

「実はAPUSに簡易的な世界の防衛機能を搭載して、つい先ほどから動かし始めた。これで僕がやりたいことの8割は完成したんだよ」


 衛藤はガムシロップを2個追加し、子どものように目を輝かせながらコーヒーに漂うもやを観察していた。東川は衛藤の様子に半ば呆れながらも、彼の純粋な目の輝きに眩しさを感じていた。


「世界を守るってやつですか?スケールでかすぎて今一つ想像つかないっすね」

 東川の言葉に衛藤はふんと鼻を鳴らして答える。

「分からないくらいでいいんだよ。これからも何事もなかったかのようにこの世界が続くなら、それが目的であり本望だからさ」

 衛藤はそう言ってアイスコーヒーのおかわりを取りに席を立つ。その後ろ姿は世界の防衛を担うには頼りがいのない、普通の人間だった。東川はその背中を見守るように目で追っていた。


 アイスコーヒーを並々注いだグラスを持った衛藤が席に戻る。衛藤はテーブルの懐中時計を手の甲でさっと避けてグラスを置いた。

「大事そうなやつなのに扱い雑っすね」

 東川はテーブルの奥に避けられた懐中時計を見て小声で呟く。衛藤は一瞬首を傾げて手元のアイスコーヒーを勢いよく飲み始めた。直後に「苦ぁ!ガムシロ入れ忘れてた!」と叫び、東川はぎょっとした顔で衛藤を見る。


「……衛藤さんがやりたいことの残り2割って何ですか?」

 ガムシロップを2個投入する衛藤をじっと観察しながら東川は尋ねる。

「1割は防衛機能を確立させること。もう1割は……東川くんのおかげで、今夜達成するかもしれないな」

 衛藤は目を細めて穏やかに笑う。東川もつられて軽く微笑んだ。


「そろそろ行きましょうか」

 東川が声を掛ける。二人は席を立ち、アルベルトを出た。




 ROSAのパラレル転送室で、メカ野郎は転送先の座標を記したメモを五島に渡す。

「これから衛藤と面会する。会話の記録と何かあった時のフォローを頼む」

「面会、ですか?衛藤さんは除外対象のはず……」

 そう言いかけてに五島は口をつぐむ。衛藤が除外対象になったのはROSAの意思によるものだったと思い出す。五島は胸ポケットに入ったお守りに手を伸ばし、床を見つめた。

「衛藤がO世界にとって有害だと判断したら、その時はROSAの意思に従って処分を実行する」

 メカ野郎の声は落ち着いていた。五島はゆっくりと深く頷く。

 二人はそれぞれ転送スペースに入り、パラレル転送を実行する。


 転送先は衛藤に指定された場所、APUSの前の開けた土地だった。

「ここが衛藤の基地か」

 メカ野郎はAPUSの建屋を睨んで言った。腕時計は19時55分を示していた。未だ衛藤の姿は見えない。

「ここで待っていればいいんでしょうか。まだ来てないんですかね」


 五島は衛藤の姿を探して周りを見回す。

 後ろを振り返った瞬間、5メートル先に小さな光が浮遊しているのが見えた。五島は目を凝らして光を見る。その光は、五島たちにだんだんと近づいているようだった。

「メカ野郎さん、あれ、何ですかね」

 メカ野郎が五島の声に後ろを振り返ると、

『除外対象:ターゲット認識。処分モード実行します』

 と無機質な機械音声が鳴った。

「ROSA管理ロボか?」

 メカ野郎が呟くと、機械音声の音源は小型ドローンの姿として目の前に現れた。


 管理ロボは五島を狙って空砲を発射した。爆音とともに五島は膝から崩れて倒れ込む。

「っ……なんだこれ、脚が……」

 五島は脚の感覚が失われ、地面の感触が遠のく。訳が分からないままリュックに手を伸ばし、デストラクターを探す。

「メカ野郎さん、逃げてください。ROSA管理ロボが、暴走してます。私が止めますので」

 五島は過呼吸になりながらデストラクターに手を掛け、管理ロボの下面の光に向けて発射した。

 管理ロボは何事もなかったかのように浮遊し続け、五島に追撃した。

 五島は右手の感覚も失った。声を出そうとしても震えたような呼吸だけが漏れる。

「怖い思いさせてごめん」

 メカ野郎の声とともに五島の視点が一気に上がる。五島は自分がメカ野郎に担ぎ上げられていると気付き、「私を置いて逃げてください」と弱々しい声を上げた。


 メカ野郎はデストラクターの隠しボタンを押して安全装置を外す。小刻みに震える右手でデストラクターを構え、管理ロボに狙いを定める。

「あれはROSA管理ロボじゃない……おそらく」

 引き金を引いた瞬間、轟音とともに管理ロボが落ちる。

 すると、奥から新たな光が迫ってきた。メカ野郎は眉間にしわを寄せて光を睨みつけ、デストラクターを発射する。

「殺してやる……」

 メカ野郎は低く震えた声で呟いて歩き出した。



 アルベルトから待ち合わせ場所のAPUSに向かって歩いていると、衛藤は急に立ち止まる。

「懐中時計、忘れた」

「うぇっ!?あっ、テーブルに置きっぱなしでしたね……」

 東川は衛藤を見る。衛藤はオロオロしたように慌てていた。

「このまま行っても約束の時間ギリギリなんですけど……あとで回収するんじゃダメですか?」

 東川は衛藤に尋ねる。衛藤は焦ったようなため息をついて答える。

「もう少し進んで人通りが少ないところに出ると……危険かもな」

 その声は掠れながら揺れ、今にも消えそうだった。

 東川は藤崎が小型ドローンに襲われた出来事を思い出し、まさかという予感を飲み込む。


 狼狽える衛藤を見て、東川は言い放つ。

「急いで懐中時計を取りに戻ります。衛藤さんは先行っててください」

 東川は言葉の途中で道を引き返して走り始めていた。


 衛藤は東川の背中に向けて呟いた。

「……いつもごめん東川くん。ありがとう」


 東川は全力で腕を振る。賑やかな人通りをわき目もふらずに抜け、時計台の脇を一瞬で過ぎる。息が切れ、空気が喉を掠り痛みだした頃、見慣れたコンビニとその奥にアルベルトの看板が目に入った。


 東川は勢いよくアルベルトの入口ドアを開け、近くのテーブルを一瞥してカウンターに詰め寄る。

 藤崎が戸惑った顔で東川を見る。

「藤崎さん、そこの席に、懐中時計の忘れ物、ありませんでしたか?」

 東川は息を切らして言う。

 藤崎は「あ!」と言ってバックヤードに入る。

 しばらくして藤崎は懐中時計を手に戻ってきた。

「これかな~?」

「それです!ありがとうございます!」

 東川は藤崎の手から奪うように懐中時計を取り、走ってアルベルトを出た。

 藤崎はぽかんとして出入口ドアを見つめた。


 東川は懐中時計を握りしめて走る。


 時計台の横を過ぎる。飲み会帰りの賑やかなサラリーマンの群れの脇を抜ける。

 そして、さっき衛藤と別れた地点を過ぎる。


 走るほどに衛藤の無邪気な姿を思い出し、口から熱い息が漏れる。

 APUSに向かう道を、まばらに歩く人の脇をすり抜けるように進む。


 東川を走らせているのは、彼の強い意思だった。それは衛藤を守るための東川の選択だった。衛藤とメカ野郎を会わせて和解させる。衛藤の懐中時計を取りに走る。


 東川は走り続けると同時に生きている感覚を実感した。



 衛藤は大通りを抜け、人通りがまばらになった住宅街を歩く。

「意外と管理ロボ来ないのな……住宅地だからかなあ」

 小声で呟いて歩き続ける。視界の奥にAPUSの敷地の入口が見えた。

 衛藤は腕時計に目をやる。時刻は19時59分。

「ぴったりだなあ」

 そう言いながらAPUS敷地に足を踏み入れると、既に人影があった。


「久しぶり、東川くん」

 衛藤が人影を見ると、その先には意識を失った五島を抱えたメカ野郎が立っていた。

 メカ野郎は衛藤を睨みつけて言う。

「聞きたいことがある。彼女を攻撃した管理ロボはお前のやつか?」

 衛藤は息を吞んだ。

「あ、そうか……あれが動いたら、そうなるか……」

「ROSA執行官を狙うように制御されてるのか?」

 メカ野郎は衛藤に詰め寄ると、衛藤は目を閉じてゆっくり頷いた。

「今すぐ止めろ」

「君たちがO世界に戻ればそれ以上は攻撃しない……そもそも止めることを想定していない」

 衛藤は小声で答える。


 一呼吸置き、衛藤は続けた。

「ただ、僕のROSA懐中時計をAPUS建屋内の基幹制御室に持っていけば止められる可能性はある。細かい内容はメモしてあったはず」

「懐中時計を出せ」

 衛藤はメカ野郎から視線を外して下を見る。


 メカ野郎は五島に目をやる。辛うじて呼吸はしているが身体の状態が分からない。また衛藤の管理ロボが来るかもしれない。そして、この世界にまだいるかもしれない加納の身にも危険が及ぶ。

 メカ野郎にとって、衛藤に管理ロボを止めさせることが正しいということは頭の片隅にあった。

 だが、衛藤の言動から管理ロボを止める意思がないと確信し、メカ野郎は右手でデストラクターを掴む。そのまま安全装置が外れたデストラクターを衛藤に向ける。

 衛藤を睨む目は、怒りと殺意に染まっていた。



 東川は全速力で住宅地を抜ける。

 開けた土地が見え、APUSの敷地の入口に入る。

 敷地内には人影があった。


 東川が懐中時計を握りしめた右手を伸ばし、衛藤に走って近づく。

「衛藤さん、忘れ物――」

 叫ぶとともに、衛藤の姿が目の前に迫る。

 衛藤の横顔が一瞬、微笑んでいるように見えた。


 その瞬間、轟音が道を裂いた。

 東川の目の前に衛藤が崩れ落ちる。


 東川は茫然として倒れ込んだ衛藤を眺めていた。


 メカ野郎はデストラクターを下ろす。


「……衛藤さん?」

 東川は衛藤の前に屈む。

「衛藤さん!」

 東川は膝をつき、衛藤を抱き上げた。

 冷たい感触が腕に伝わる。

 息をしていない。脈を探っても見当たらない。


 東川は心の芯から凍り付いたように、その場に固まっていた。


「そいつに触るな」

 横から低く震える声が落ちた。

 東川は振り返り、衛藤をゆっくり腕から下ろしてメカ野郎を睨みつけた。

「……は?なんで?……お前がやったのか?」


 メカ野郎は衛藤の遺体を見つめて黙っていた。

 衛藤の身体には傷一つついておらず、微笑みながら眠っているようだった。


 メカ野郎は東川に顔を向けて、重い口を開いた。

「トロ助、衛藤の処分を手伝ってくれて助かった。ありがとな。今日は一旦解散にしよう」

 メカ野郎の声は震えていた。

 東川はその場に立ち尽くす。目の前ではメカ野郎が衛藤の遺体を淡々と回収していた。

 その様子にいたたまれない気持ちになり、言葉にならないような叫びが吐き気のような感覚になって込み上げてきた。


 APUSの敷地を出て、重い足取りで家へと走る。


 衛藤を守りたいと思って選択した行動だったはずだった。

 それなのに、衛藤の命を奪うことになった。


 東川は加納を失った日の罪悪感を思い出す。

 ――あの日から、失敗ばかりで何も変わっていなかったんだ。


 右手の中の懐中時計は冷たくなっていた。


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