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15 欠けた右腕

 五島が報告書の確認のために事務室に戻ろうとすると、背後から急いだような足音が近づく。そのまま五島は肩を叩かれ、びくっとして後ろを振り返る。

「……本題忘れてた。そこの小会議室で話そう」


 狭い会議室の横長テーブルでメカ野郎と五島は並んで座る。メカ野郎は1枚の報告書を五島に渡す。それは、銀縁の丸メガネを掛けた知的な雰囲気の男性の顔写真と、彼の直近の行動を記載したものだった。

「こいつを探して保護しろと指示が出ている」

 五島は報告書の内容に目を通す。

「一ノ瀬……ROSA資格剝奪処分者ですか?」

「彼は元々技術官だった。執行官を兼任しながらパラレルで技術窃盗を繰り返し、µ世界で“技術アドバイザー”を名乗り技術転売によって荒稼ぎをしていたらしい。……µ世界で人を殺害して一時的に世間を騒がせてしまったのがトドメで処分対象になった」

 五島は唇を嚙みしめながら机の隅に視線を落とした。


 ……ここのところ、倫理観が逸脱したROSA執行官が増え続けている。パラレルの技術窃盗は日常茶飯事だ。ROSAで有用なサイバー関連技術が生まれてから、さらに技術窃盗が盛んになったという。窃盗した技術の内容は当然ROSAに持ち込まれ、O世界の企業にも情報として売られる。

 ROSAは技術窃盗自体は黙認している。パラレルにROSAの存在を認知されない以上は問題ないというのがROSAの意思なのだろう。


「この人は、なぜµ世界で人を殺害したのでしょうか?」

 五島は下を向いたまま呟く。

「技術転売のトラブル、とだけ聞いている」

 メカ野郎の答えを聞き、五島は落胆する。

「それってROSAが技術転売を容認しなければ殺人なんて起こらなかったってことですよね。それに、µ世界で殺害されたってことは、一ノ瀬はµ世界で逮捕されているということですか?」

 五島の声は震えていた。

「µ世界では自殺として処理されている」

 メカ野郎の答えに、五島は両手の拳を強く握る。腕は小さく震えていた。


 五島の胸の中に怒りが広がった。それは、一ノ瀬という人間に対してではなく、ROSAという演算装置に対する感情だった。


 メカ野郎は持っていた報告書から五島へと視線を向ける。五島は俯き気味で唇を固く結び、テーブルの天板を恨めしそうに睨みつけていた。

「……報告書に書いてある通り、一ノ瀬は一昨日に執行官資格剝奪処分を受けてから、パラレルに逃亡していると考えられる」

 そう言ってメカ野郎が軽くため息を吐くと、彼のスマートフォンに着信が入った。「失礼」と一言置いてスマートフォンを取り出し、通話を始める。

 五島は会議室の窓の方に目をやると、殺伐とした黒い曇り空が広がっていた。まるで心の中を鏡写しで見ているような気分だった。


 しばらく窓の外を眺めていると、「五島さん」と声がかけられる。振り向くと通話を終えたらしいメカ野郎が浮かない顔で五島を見ていた。

「µ世界で一ノ瀬の目撃情報が入った。これから応援に入る」

 メカ野郎に連れられ五島は小会議を後にした。


『パラレル転送室』に向かって二人は廊下を急ぎ足で歩く。メカ野郎は五島の数歩手前を進んでいた。

 突き当りを曲がるところで、メカ野郎は後ろを振り返った。

「……大丈夫か?」

 五島は黙って頷く。メカ野郎は納得いかない表情で歩くペースを落とした。


『パラレル転送室』の前に辿り着き、ドアを開けて中に入る。

 部屋の中にはさらに2つのドアが左右に並んでいる。それぞれのドアの先がパラレル転送を行うスペースになっている。

「アレは持ってるか?」

「はい」

 五島は俯きながら、右足のポケットからROSA懐中時計を覗かせる。

 メカ野郎はメモ帳とペンを取り出す。五島に渡すための転送先の設定値を書き始めたが、五島をちらりと見てペンの動きが止まる。少し考えた後、メモをしまい込む。

 メカ野郎は五島の手を引き、左のドアの開スイッチを押した。その先の転送スペースに進み、強引に五島を引き入れる。

「狭っ……!転送は一人ずつのはずじゃ」

 五島は絞り出すように声を出す。

「ごめん。君を一人にするの心配だから。少し我慢してくれや」

 そう言いながらメカ野郎は慣れた手つきでパネルを操作する。ROSA懐中時計を取り出し、パネル脇のスペースに嵌め込んだ。

 メカ野郎は黙って転送ボタンを押した。


 一瞬のうちに電灯やパネルの明かりが消え、目の前が真っ暗になる。

 音も光も遮断され、五感を奪われるような気持ち悪さ。五島はパラレル転送の瞬間の感覚に未だ慣れることができていない。

 しかし今回は、やや不快な圧迫感と人間の体温があった。五島はそれに少しだけ救われていた。



 五島たちが転送された場所は、以前管理ロボに襲われていた藤崎と出会った公園の脇道だった。

 時刻は18時過ぎだったが、日が落ちているのかすら分からないくらい黒い雲が広がっていた。

 メカ野郎はスマートフォンを確認しながら、公園と逆方向を示した。

「もう少し行ったところに空地がある。先発の執行官たちで一ノ瀬を追い詰めたらしいが、奴は取り乱しているらしい」

 メカ野郎は囁くような小声で言う。

「私たちは先発隊が一ノ瀬を逃したときの後方援護だ」

 空地が見えてきた。メカ野郎と五島は忍び足で空地に近づく。


 怒鳴るような男の声が聞こえてくる。

 五島が空地に目をやると、一ノ瀬と思しき男と、それを取り囲むようにROSA執行官が8人、銃を構えていた。

 メカ野郎は無言で五島に右方向を指す。持ち場の指示だと察した五島はメカ野郎から離れた場所に移動した。メカ野郎が無表情でOKサインを作ると、五島は再び空地の様子を見守った。


 一ノ瀬は拳銃を構え、取り囲んでいる執行官の一人一人に順番に銃口を向ける。理知的な雰囲気に似合わないチンピラのような剣幕で周りの執行官を威圧していた。

「動いたやつから殺す」

 ROSAの執行官たちは微動だにせず黙っていた。しばらく沈黙が続くと、執行官の一人が口を開いた。

「一ノ瀬、銃を捨てろ」

「俺を捕縛すればO世界が平和になるとROSAの意思は言ってるのか?」

 一ノ瀬の問いに、執行官は黙り込む。


 一ノ瀬はトーンダウンした声で続ける。

「ROSAはO世界をより良くするためのパラレル観測機関だったはずだ。パラレルの叡智を融合してO世界で技術革新を起こしていけば、どんどん便利で楽しい未来が作れる。俺はそれをやってきたし、これからもやっていきたかった」

 五島は息を吞んだ。

「でも!ただ1つの失敗で、ROSAは俺を切り捨てやがった。俺は思ったよ。ROSAは自己防衛のための演算装置であって、O世界がどうなろうと関係ないんだろうってよ!」

 一ノ瀬は興奮して叫んだ。一ノ瀬の背後にいた執行官が彼に向かって走る。

 その瞬間、銃声が響いた。

 執行官は尻餅をつき、右肩を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。右肩を押さえている左手の下から血が滲んでいた。


「お前らはROSAにいて、何ができると思うんだ?何がしたいんだ?」

 一ノ瀬は執行官たちを見回しながら言う。

「ROSAの手足のまま終わるつもりか?!」

 一ノ瀬は大声で叫んだ。


 五島は一ノ瀬の言葉に愕然としていた。

 弾き出された計算結果によって希望が壊された、彼のROSAに対する怒り。

 五島はROSAに入る時、確かに一ノ瀬のような希望を持っていた。だが、今はどうだろうか。自分がやっていることが、世界を良くしているのか?誰かを幸せにするのだろうか?日々の業務をこなしながら常に頭の片隅にあった疑問が、脳内を埋めるように主張してきた。

『ROSAの手足にならないように』。つい先ほど、仁内と交わし合った冗談のような言葉が、鋭利な刃物のように五島の心を刺してくる。


 空地の執行官たちが一斉に一ノ瀬に襲い掛かろうとする。一ノ瀬は執行官の間を潜り抜け、空地を抜けようとしていた。

 五島の方向に一ノ瀬が走って近づいてくる。一ノ瀬は五島の存在に気づいていない。

「五島さん、一ノ瀬を足止めしてくれ」

 離れたところからメカ野郎の声が聞こえる。

 五島にとって一ノ瀬を取り押さえる好機だった。


 ターゲットは目の前にいた。腕か脚を伸ばせば届く距離だった。

 一ノ瀬と目が合う。その瞳に燃えるような怒りを見た瞬間、五島の胸の奥で燻っていた感情が呼び覚まされた。ほんの一瞬、自分と彼の境界が曖昧になる。


 五島は、動けなかった。


 そのまま彼を見送ってしまう。

 一ノ瀬は大通りの方面へ抜けて行った。

 五島はその場で一ノ瀬の後ろ姿を眺めていた。


「迷うことじゃないだろ。追うぞ」

 メカ野郎が五島を一瞥し、淡々とした声で言う。

 五島は俯いて拳を握りしめた。

「……すみません」

 ――東川さんの足を引っ張ってしまった。

 鉛のように重い足で一ノ瀬の後を追う。


「取り逃がしたんですか!?」

 五島の背後で執行官たちが驚きの声を漏らしていた。背中に怒りの視線を感じながら、五島は振り返らずに走った。

「私は大通りの向こう側に行きます」

 五島は細い声で言った。

「一人で行けるのか?」

 メカ野郎の問いに、五島は力の入った声で答える。

「一人で行かせてください」


 五島は一人で大通りの北側の脇道に入った。

 脇道をしばらく進むと、道端に若い男が倒れていた。五島は駆け寄って「大丈夫ですか?」と声を掛ける。

 倒れている男の顔を見ると、既視感があった。誰だか思い出せずにいると、男は薄目を開けた。

「俺のことはいいから……なんかメガネかけた怖そーなやつがあっちの方に走ってったから、気を付けてや。さっきそいつにタックルされて……」

 男はそう言って再び目を閉じた。

 五島は男に小さく一礼し、先ほど男が指していた方向に向かった。


 ――私が一ノ瀬を取り逃がしたせいで、町の人を危険な目に合わせてしまった。

 五島は息を切らせ、手足を引きずるように走っていた。原動力は、罪悪感と無力感だった。


「加納さんだったら、あの時一ノ瀬を取り押さえられただろうな」

 五島はか細い声で呟く。


 その時、右手の道から一ノ瀬が出てきた。

 今度こそは逃がすまいと五島は必死で腕を振る。だが、体力が限界だった。

「待って……」

 五島が呟くと、一ノ瀬の向こう側にすらっとした女性が現れた。

 五島と女性の目が合う。

 その女性は一ノ瀬を一瞥すると、彼の鳩尾を殴った。彼が怯んだ隙で背負い投げし、倒れた一ノ瀬を身体全体で抑えていた。


「お姉さん、こいつ捕まえとけばよかったん?」

 その女性は苦悶の表情を浮かべた一ノ瀬を取り押さえたまま淡々とした口調で尋ねる。

 五島は驚きのあまりゆっくり頷くことしかできなかった。


 やがて五島は女性に代わって一ノ瀬を拘束し、スマートフォンを取り出してメカ野郎に一報を入れた。一ノ瀬は暴れ疲れたのか、大人しくなっていた。


 五島は深いため息をつき、女性を見る。キリっとした芯の強そうな雰囲気。彼女をどこかで見たことがあるような気がした。

「ありがとうございました。あの……お名前を伺ってもよろしいですか」

「ああ、佐倉です。興味本位で聞きますけど、そいつ、何したんですか?」

「……ひとごろし、ですかね……」

 五島の回答を聞いて佐倉の表情が恐怖に染まる。佐倉は視線を落とすと、五島の右足のポケットから見覚えのある金色の鎖が覗いていることに気づく。佐倉は思わずその場を去ろうとした。

「じゃあ私はここで」

 五島は唐突に帰ろうとする佐倉に驚きの表情を向けた後、頭を下げた。

「ご協力ありがとうございました。佐倉さんがいなかったら……」

「大げさだなあ。私もむしゃくしゃしてたから丁度良かったよ」

 佐倉は笑いながら去っていった。


 五島の元にメカ野郎が駆け付けた。

「よくやった」

 メカ野郎が五島に声を掛けると、五島は曇らせた顔で俯いていた。

「通りすがりの佐倉さんという女性が一ノ瀬を足止めしてくれました。……私は何もしてません。ただ皆さんの足を引っ張っただけで」

 五島は細い声で言う。メカ野郎は淡々と一ノ瀬の回収作業を行っていた。ROSA管理ロボが一ノ瀬を回収して姿を消す。


「あの時、なぜ動けなかった?」

 メカ野郎の問いかけに、五島は胸を抉られるような気分だった。

 五島は俯いたまま答える。

「……私が無能だったからです。加納さんだったら、あの時迷わずに動けたはずです。すみません」

「なんで加納が出てくる。私が聞きたかったのはそういうことじゃないんだけど」

「私なんかじゃ、加納さんの代わりは務まらない」

 メカ野郎が五島に目を向けると、五島は思い詰めているかのように足元を見て黙り込んでいた。メカ野郎は短く息を吐いて言う。

「五島さんは加納の代わりなんかじゃない。あまり自分を責めるな」

 諭すように優しい声だった。

「……お気遣いありがとうございます」

 五島は顔を上げて小声で言った。



 佐倉が脇道を歩いていると、道路の端に影が転がっていた。異様な存在感からそれが人間だと察して、思わず足を止める。


 駆け寄ると、その正体は東川だった。

 佐倉の心臓が跳ねる。

「ケンくん」

 佐倉が焦り混じりの声を上げて東川を軽く叩くと、東川は薄目で寝ぼけたように

「んおかえりー佐倉ちゃん」

 と呟き、再び眠り込んでしまった。まるで今朝の言い争いなんてなかったかのように、東川の寝顔は穏やかだった。


「ここで寝るなよ……」

 佐倉は呆れと安堵の混じったため息をつく。言いたいことが山ほど喉元まで上がり込んできたが、全て飲み込んだ。


 東川の前に屈み、乱暴に彼の腕を肩にかける。東川の身体がだらりと背中に預けられる。なんとか東川を背負ったまま立ち上がると、佐倉の右腕に温かいものが触れた。東川の右手が佐倉の二の腕を掴んでいた。

 佐倉は動揺のあまり膝から崩れかける。体勢を立て直して顔を後ろに向けると、東川は静かな寝息を立てて眠っていた。

 暴れる鼓動を落ち着かせるように、佐倉はゆっくり深呼吸する。


「私たちの家はあっちだよ」

 佐倉は東川に呼びかけるように呟いて歩き出した。

 背中の温もりが頷いたかのように動いたのを感じた。



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