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14 代替品

 ROSA建屋内の休憩室で、五島は気の抜けた顔でコーヒー片手にソファーに座り込んでいた。

「……全然休憩室じゃないよなーここ」

 簡易的な横長ソファーが2台と自動販売機があるだけの、真っ白な壁に囲まれた閉鎖的な部屋。文字通り“休憩”をするための最低限の機能を備えたスペースでしかなかった。


 五島がため息をついていると、足音が近づいてきた。振り向くとにこやかな顔をした青年がやってくる。

「……お、仁内くんじゃん。久しぶり」

 彼は五島の同期の仁内だった。仁内は五島の隣に立ち、持っていたコーラを飲み始めた。

「ゴッシー、この前の人事通達の日は顔色が悪かったけど、今は大丈夫そうだね。あの時は流石に同期みんなで心配したわ」

「まあ、最初は色々きつかったよ。人間扱いなんてされなかったし」

 五島は笑い交じりに話す。仁内もつられて笑いながら答える。

「ROSAがそもそも人間扱いするところじゃないじゃんね。研修のときからそうだったじゃん」


 五島は反対側の白い壁を眺め、ROSAの研修を思い返した。



 ROSAに入ると早々に知覚テスト、体力テスト、学力テスト、メンタルテストが立て続けに行われた。その結果を教育担当の執行官が個人にフィードバックする。同期たちは一喜一憂しており、中には大泣きしている女子がいた。

 フィードバックの順番が回ってきたとき、五島は小さな体をさらに縮め、執行官の靴先を見つめていた。

 叱責を覚悟していたのに、返ってきたのは、「よくできている」「君は優秀だ」――そんな言葉ばかりだった。

 研修が始まってからも同じだった。指示を外さずにこなすたび、「一番だ」と褒められる。


 胸の奥にかすかな吐き気が広がった。

 自分は、思っていることを二割も言葉にできない。声も小さいし、冗談を言って人を笑わせることもできない。

 それなのに、「言われた通りにできる」という理由で優秀と呼ばれる。まるで、機械の部品にでもなったみたいだった。


 だが、誉め言葉が耳に残るたび、身体の芯が温かくなるのを否定できなかった。気付けば、その温かさを待つようになっていた。


 五島はある日の研修帰り、街の片隅で“お守り”を買った。

 それをポケットに忍ばせて指先で触れるたび、胸の中で言い聞かせる。

「私はROSAの部品じゃない。人間だ」

 それは機械に成り下がらないための自戒であり、自分自身を守るという誓いだった。


 研修のある日、研修生たちは重たい鉄扉の前に立たされた。

『基幹制御室』と刻まれたプレート。扉の隙間から漏れる冷気のような気配に、五島は息を呑んだ。

 この奥に、東川や衛藤が作り上げた演算処理の中枢がある――そう思うと胸が高鳴った。

「ここに入れるのは限られた研究者だけだ」

 上官の声が響いた。

「……どうすれば、その研究者になれるんですか」

 五島は勇気を振り絞って問いかけた。

「ここはROSAの脳なんだから、まずはROSAの手足になれ」

 その返答は乾いていて、扉の冷気と同じくらい五島を冷やした。



「あのとき、ROSAの手足になれって言われたなあ」

 五島は空になったコーヒーの缶を握りつぶして背伸びをした。

 仁内は手を叩いて笑う。

「あったなそんなこと。脳みそが機械で、手足が人間って……なんだそれって感じだよ」

 二人はニヤリとした顔を見合わせる。

「「ROSAの意思に従え」」

 声が揃う。それは研修中、上官たちに耳が痛くなるほど言われたフレーズだった。『ROSAの手足になれ』と同義の言葉である。

 二人はまるでその言葉を揶揄するかのように怪しく笑った。五島が鼻で笑っていると、仁内は手を滑らせてコーラのペットボトルを落とす。慌ててコーラを拾い上げてペットボトルの蓋を開けると、泡が勢いよく吹き出した。五島がそれを見て嘲笑し、ティッシュを差し出した。


 突然、廊下の奥から声と足音が聞こえた。五島と仁内は黙って廊下の様子を窺う。

「今回の管理ロボ、超熱伝導冷却媒体を仕込んだプロト機だったんですけどどんな感じでした?」

「うわあアレ、いわくつきのヤツだったのかよ。機体も動作も軽かったから、なんか違うなとは思ってたけど」

 廊下を二人の男が並んで話しながら歩いてきたが、五島たちには目もくれずに通り過ぎて行った。


「ふう。俺もそろそろ持ち場に戻ろうかな」

 仁内はそう言って欠伸をする。

「仁内くんはROSAの手足にならないように気を付けてね」

「ゴッシーもね!」

 仁内は笑って手を振りながら後ろ歩きで休憩室を出る。休憩室の出口で人とぶつかり、「わゎ、すみません!」と叫んでその場を去った。


 仁内と入れ違いで入ってきたのはメカ野郎だった。

「ごっしー、今のやつは君の友達か?」

「その呼び方やめてくださいメカ野郎さん。……あの人は私の同期です」

 五島が半目でメカ野郎を見る。メカ野郎は「そうか」と答えて自動販売機の前に立った。

「何か飲む?」

「要りません」

 メカ野郎は自動販売機を少し乱暴に操作した。ブラックコーヒーとカフェオレの缶を取り出し、カフェオレを五島に投げ渡した。五島は驚いてカフェオレを受け取る。

「これ私にですか?」

「うん」

「……ありがとうございます」


 メカ野郎は五島の隣に座る。二人はしばらく沈黙していた。

 やがてコーヒーの缶を開けながらメカ野郎が口を開く。

「さっきは随分盛り上がってたな」

 五島は怒られるのかと思い、恐る恐るメカ野郎を窺う。彼は無表情のままコーヒーのラベルを眺めていて、特に怒っている様子ではなかった。

「ちょっと昔話をしていました。私や仁内……さっきの同期の子は、ROSAの機械的な文化に慣れるのに苦労して」

 五島はそう言ってカフェオレの缶を開けて飲み始めた。

「ごっしーは最初からROSAに順応してただろ」

 メカ野郎の返答に五島は激しく咳込む。メカ野郎は黙って五島の背中をさすった。

「ふざけないでくださいよ」

 五島の声はわずかに怒りを含んでいた。メカ野郎は困惑したように五島の顔を覗き込む。

「そもそも五島さんはなんでROSAに来たんや」

「えぇ?!」

 五島は裏声を上げて左手で頭を抱えたまま、しばらく目を泳がせていた。


 やがて、唇を尖らせるようにして言葉を押し出す。

「もともとは……東川さんに憧れて来たんです」

 メカ野郎は無言でただ五島を見ていた。

 五島は視線に耐えきれずに続ける。

「それなのに。初めて会ったとき、人間としての自分がごっそり抜かれたみたいで、怖くて。数値でしか見られてないというか、私のことをモノみたいに……。本当に気持ち悪かったです」

 言葉が熱を帯びていく。メカ野郎の顔に焦りのような曇りが広がった。

「ああ、私って加納さんの代わりなんだなって。初日からもう無理で……泣きました」

「めちゃくちゃ悪口言うやん」

 メカ野郎が呟くと、五島はぎこちなく笑いながら続けた。

「すみません……それくらい、東川さんは人として難解だったんです。だから、ちゃんと理解しないといけないなあと思ってます」

 五島はそう言ってカフェオレを勢いよく飲み干した。メカ野郎は『理解しないといけない』という言葉を聞いてトロ助を思い浮かべ、一人で納得したような顔でコーヒーを飲んだ。


「話しすぎましたね。今度は東川さんがROSAを立ち上げた時の話とか聞かせてください」

 五島は立ち上がって空き缶をゴミ箱に入れ、休憩室から出ようとした。


「加納は、俺のこと怒ってるかな」

 メカ野郎はぽつりと呟くと、五島は面食らった顔でしばらく固まっていた。

「……加納さん、相当キてると思いますよ。私から見ても、東川さんのこと忘れた方が幸せなんじゃないかってぐらい」

 五島はそう言い残して休憩室を去った。


 メカ野郎はしばらく白い壁を見て立ち尽くしていた。

『加納の代わり』――五島の言葉を頭の中で反芻する。


 彼女の言葉は半分正しかった。

 加納が姿を消した時、本気で彼女の代わりを探したからだ。

 ROSAの執行官リストを洗い、能力値が加納に並ぶ人間を選び出した。唯一残ったのが新人の五島だった。

 彼女の評価レポートに記された数値は理想的だった。命令に従う素直さもある。加納を超える数値さえ持っている。

 まるで在庫切れになった部品の代替品を、思いがけず高性能な新品で手に入れたような感覚だった。

 初対面のとき、彼女に向けて笑みを作ったのも、柔らかい言葉を選んだのも、そのためだ。あれを壊したくなかった。


 だが、実際の五島は違った。

 時折、口が悪い。こちらを「メカ野郎」と呼ぶ。命令を無視し、怒鳴り散らす。挙げ句の果てに上官を置いて先に進む。加納には決してなかった振る舞いだ。

 一見おどおどしているくせに、はっきり文句を言い、遠慮なく食い込んでくる。

 加納はその逆だった。気丈に見えて、こちらの言葉に耳を傾け、黙って支える。


 失ったものと、新たに得たもの。

 それは単なるパーツの交換ではなかった。

 加納が担っていた場所は五島では埋まらない。

 そして、五島は加納の代替ではあり得ない。


 メカ野郎は白い壁に睨みつけられているような感覚を覚え、休憩室を後にした。


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