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12 相棒

 昼下がりの裏道は、不自然なほど静かだった。

 東川と佐倉の足音が存在感を示すように路地に響いている。

 近くの大通りを行き交う人の姿や賑やかさとは対照的に、この細い路地だけが切り取られたように人影がない。

 太陽の光がビルの間に遮られ、薄暗い影が伸びていた。


「……あれ」

 佐倉が立ち止まる。その視線の先、路地の隅でうずくまっている人影があった。

「衛藤、さん?」

 東川の声に、その人影はびくりと肩を震わせて顔を上げた。

 衛藤は、普段と違いメガネを掛けて白い半袖シャツの姿だった。メガネは下にずれて、髪は乱れている。目を見開いて肩を上下させながら息をしていた。


「ひっ……に、人間だぁ……!」

 衛藤が放った場違いな第一声に、東川は思わず眉をひそめる。

「なんですか、まるで人間が敵みたいな言い方して」

 衛藤は落ち着きなく頭をくしゃくしゃと搔きむしる。

「あぁっ、ちょうど今、追われてるんだ……」

 子供が泣きつくように上ずった声で衛藤は言う。

「追われてるって、誰に」

 東川が口を開きかけた時だった。


 コツ、コツ、と革靴の音が路地に響いた。

 闇の奥から、黒い影が歩み出てくる。


「衛藤を引き渡せ」

 冷たい声とともに、ワイシャツ姿の若い男が銃を構えた。

 裏道の空気が凍り付くのを感じ、東川は身震いした。

「執行官……」

 衛藤は震える声で呟く。その隣で東川の喉がひゅっと鳴る。佐倉は咄嗟に衛藤の前に出て、視線を鋭くした。


「佐倉ちゃん、衛藤さんを連れて逃げられる?」

 東川が尋ねると、佐倉は短く頷いて衛藤の手を掴み、アスファルトを蹴って走り出す。腕を強く引かれた衛藤が、一瞬情けない悲鳴を上げた。

 衛藤は不安を滲ませた目で佐倉を見たまま、無言で引きずられた。

「走りましょう」

 佐倉は衛藤の手を掴んだまま彼を見る。衛藤がぎこちなく頷き、佐倉に続くように走り出す。


 脇道からもう一人の執行官が姿を現し、佐倉と衛藤の前に立ちはだかった。

「……囲まれた」

 衛藤は勢い余って前につんのめる。立ち止まった佐倉の背中にぶつかり、詰まったような悲鳴を上げる。

 銃口が、今度は真正面から迫る。


「佐倉ちゃん、衛藤さん」

 佐倉の背後から東川の声が聞こえる。

 背中合わせのまま、佐倉は落ち着いた声で答える。

「大丈夫」

 佐倉は目線を下げると、足元に手のひら大の小石を捉えた。

 東川は囁くような小声で言う。

「佐倉ちゃん、あいつら……一緒にぶん投げる?どうしようか?」

 その言葉に、佐倉の身体が一瞬だけ硬直する。かつては冷たい命令に従うだけだった記憶が脳裏を掠めた。

「……あいつら、ぶん投げよう。私、力はあるから」

 そう答えた口元は、微かに笑っているようだった。


「……衛藤さん、下がって」

 佐倉は低く言い、小石を拾って投げた。

 カン、と甲高い音が響く。銃口がわずかに逸れた刹那、彼女は一気に踏み込む。

「っらあッ!」

 鋭い声と共に、目の前の執行官の腕を掴み、体をひねって投げ飛ばす。身体がアスファルトに叩きつけられ、銃が跳ねて地面に転がった。衛藤は強く目をつぶりながら肩をびくりと震わせた。

「お前――」

 後方で東川と対峙している執行官が、佐倉を見て動きを止める。その声には、機械的な表情に似合わないわずかな揺らぎがあった。その隙を狙うように東川は執行官の胴体に飛び込んで倒し、全身で路上に押し固める。

 東川が叫んだ。

「走って!」

 佐倉は転がった銃を蹴り飛ばし、衛藤の手を再び掴んで駆け出す。


 二人の背中を見送り、東川は執行官の上に覆いかぶさったまま息を整えた。 執行官は呻きながら身をよじる。銃は遠くに転がっている。

 東川は拳を握りしめた。

「お前ら、なんで衛藤さんを狙ってるんや?……あの人、悪い人に見えないけど」

 低い声で呟くように尋ねる。

 執行官はもがくように腕に力を入れる。転がっている銃を拾い上げようとしていた。

「……上の命令だ」

 執行官の答えに、東川は目を見開いた。

 ――こいつらも、実行マシーンか。

 怒りとも恐怖とも形容できない感情が湧き起こる。

 こいつをここで止めないといけない、と直感が訴える。

 握った拳に力が入る。

「あまり乱暴したくないけど」

 深く息を吸う。

「お前は、ここで終わりや」

 拳が振り下ろされた。鈍い音が路地に響き、執行官の体が力なく沈んだ。



 佐倉と衛藤は大通りへ飛び出した。

 日差しが白く視界を焼く。執行官たちの影は追ってこなかった。

 肩で息をしながら二人は並び立つ。

「あのさ、佐倉さんって……執行官の加納」

 言いかけた衛藤の言葉を遮るように、佐倉は人差し指を口の前に立てる。

「私はもう、衛藤さんの敵じゃありません。……私のことは、ケンくんにも、内緒で」

 衛藤はメガネの奥で目を見開いたまま、佐倉を見つめて黙っていた。


 駆け足の音が近づく。

 佐倉が振り返る。東川の姿を見つけると、彼女は小さく笑った。

「ケンくん、遅い」

「ごめん、ちょっと締めてきた」

 佐倉は肩をすくめて笑い、衛藤は安堵の息を漏らした。三人は昼下がりの大通りを並んで歩き出す。

「二人とも、ありがとう。……また東川くんに助けられちゃった」

 衛藤は照れ笑いする。

「佐倉ちゃんがいなかったら絶対無理だった」

 東川はため息を吐きながら笑う。

「そんなこと……」

 佐倉は寂しさ混じりに笑った。

 脳裏に断片的な記憶が蘇る。同じように戦ったときには絶対に言われなかった言葉。隣で笑う東川を見つめながら、心の中が少しずつ熱を持つような感覚がした。


「衛藤さん、これからどこに行くんですか?」

 東川は尋ねる。

「APUSに戻ろうと思ってる」

 衛藤はメガネを掛け直して答えると、東川は不安を滲ませた顔で衛藤を見る。

「……APUSまでなら、送っていきますよ」

「助かるよー」

 衛藤の声から緊張が抜けた。その様子に東川は肩をすくめて笑った。



 APUSに衛藤を送り届けた後、二人は川沿いの道を歩いていた。空は日が傾き始めていた。

 橋の近くに差し掛かった時、佐倉が声を漏らす。

「疲れたなあ。買い物、明日でいい?」

「俺もちょうどそれ思った」

 橋を渡らずに川沿いの道を歩き、そのまま東川のアパートに向かって進む。

 家の近くまで来ると、二人は緊張して裏道を覗く。

 先ほど執行官と戦闘した道。そこはまるで何事もなかったかのように、元通りになっていた。

 二人は同時に安堵の息を吐く。

 東川は周囲を見渡して、ふと思いついたように言った。

「あのさ、地味に景色がいい場所あるんだけど、帰る前に寄ってかない?」



 雑居ビルの屋上に出ると、湿気混じりの風が身体を包む。

「ひゃー、夕焼けきれーだなー」

 東川はフェンスに前のめりにもたれかかり、能天気に声を発した。

 佐倉は恐る恐る歩いて東川の隣に並んだ。

 東川は佐倉に顔を向けて笑う。

「良い所でしょ。穴場スポットや。たまーにここに来て黄昏ると、頭の中の空気が入れ換わるような感じがして、好きなんだ」


 佐倉はフェンス越しに広がる街を見る。

 赤く染まったビルやマンション、明かりが点き始めた大通り、子供の騒ぎ声、車の走行音――すべてが、どこかぼんやりと滲んでいた。


「……穴場スポットっていうほど、景色は良くないけど」

 佐倉は笑いながら、目の前の視界を遮るビルを見た。


 心臓が、不規則に波打つ。

 足元のコンクリートの感触が、あの日の記憶を呼び覚ます。

 “O世界のケンくん”が、見向きもせずに去って行った記憶。

 絶望して、ここから身を投げたんだ。

 無意識に、佐倉はフェンスに視線を落とした。

 もし一人だったら、また同じことを考えてしまったかもしれない。


 その横顔を覗き込むように、東川が声を掛けた。

「景色は微妙かもしれないけど。ほら、いい風でしょ。今はちょっと湿気多いけどさ」

 無邪気に笑う顔は、夕焼けに照らされて赤く染まっていた。その笑顔に、不意に胸が熱くなる。

 ――この人は、あいつとは違う。ちゃんと、私を見て、話してくれる。


 佐倉は小さく息をつき、わざとらしく大きく背伸びした。

 東川は笑いを漏らし、フェンスに肘を掛けた。


 佐倉はちらりと横顔を盗み見て、空を見上げた。

『頭の中の空気が入れ換わる』感じを、少し実感した。

 悲しい記憶が少しずつ塗り替えられていくような、不思議な感覚だった。


「……ありがと。私を見て、話してくれて」

 佐倉はどこか遠くを見つめながら、小声で呟くように言った。

「?。当たり前っしょ」

 東川の答えに、彼女はほんのわずかに苦しげな影を見せた。

 東川は佐倉の表情を見て一瞬首を傾げるが、それ以上は詮索せずに空を眺めていた。

 夕焼けは、いつの間にか群青に溶け始めていた。


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