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用済みと言われ離婚されましたが、計画通りなので問題ありません。

作者: 朝姫 夢

「三年間、子供一人産めなかったお前はもう用済みだ」


 煌びやかな談話室の中、テーブルを挟んで別々のソファーに腰かける男女。場の空気は重苦しく、テーブルの上に置かれている一枚の紙には『婚姻関係の解消に関する事項』と書かれていた。

 明るいブロンドの髪にライトブルーの瞳という、目立つ容姿のシュレーヒトゥ侯爵家の嫡男(ちゃくなん)であるコルトン・シュレーヒトゥに離婚を突き付けられているのは、彼の正式な妻であるはずのグステル・シュレーヒトゥ。侯爵家からの結婚の申し込みに応じて、マンフリード伯爵家から嫁いできた人物である。


「平民との間に子供ができた場合は最悪(めかけ)にでもしようかと考えていたが、今回の相手は家格は落ちるが子爵家の娘。しかもお前のようにダークブロンドの髪にアンバーの瞳なんていう地味な色合いとは違って、私よりも少し濃いブロンドの髪とダークブルーの瞳という華やかな色合いだ。侯爵家の跡継ぎとして生まれてくる子供のことを考えれば、容姿も華やかなほうがいいに決まっているだろう?」


 まるで当然とばかりにそう言い放つコルトンだが、それはつまり外に何人もの愛人を抱えていたということ。だが政略結婚が基本の貴族が愛人を持つことは当然とされているこの国では、特にそれらを規制するような法は存在していないのもまた事実だった。


「父上と母上にも確認し、了承を得ている。我がシュレーヒトゥ侯爵家に、子供の産めない女は必要ないと」


 二人の間に夫婦としての関係がなかったわけではない。政略結婚という言葉通り、愛情とは別の次元でお互い接していたのだ。当然グステルも、妻としての義務はこの三年間しっかりと果していた。ただそれでも、子供だけは一向にできる気配がなかったのだ。


「さぁ、分かったらここにサインして、とっとと出て行ってくれ。私はこの家に相応しい新しい妻を迎えるための準備で忙しいからな、手間は取らせないでくれるとありがたいんだが」


 一方的な理由での夫婦関係の解消というわけではない、とコルトンは本気で思っていた。実際この国では三年の間に子供ができなかった場合、婚姻関係を解消して新しい妻を迎えることが認められている。もちろんその間に妾を迎え入れることもまた、お互いの同意があればという前提ではあるが禁止されているわけではないのだ。そしてだからこそ、こんな書類まで簡単に用意することができた。

 だがその一方で三年の期日が過ぎてからすぐにこの話を持ち出してきているあたり、実際にはかなり以前から計画されていたのではないかと勘繰られる可能性も否定できないのだが、どうやらコルトンの頭の中にはそういった考えは一切ないらしい。


(今後は社交界で、使えない妻だったと声高に言いふらすつもりなのでしょうね)


 だからこそ婚姻関係の解消を急いだのだと、聞いてもいない人物にまでご丁寧に説明をして。

 そんなふうにグステルは考えるが、それを表情に出すような愚かなことはしない。あくまで冷静に、当然のことのようにただ粛々と事実を受け入れて、こう答えるのだ。


「お手間を取らせるつもりはありませんわ。もちろん、すぐにサインいたします」


 最後の最後まで、おとなしくて従順な妻を演じるため。今後この話を持ち出された際にも、なんらかの不手際があったと思われないために必要なことだった。


 こうしてシュレーヒトゥ侯爵家嫡男の婚姻は、嫁いできた妻が子供を身籠ることができない体だったという理由で、あっさりと解消されることとなったのだが――。


「ただいま戻りました、お父様」

「あぁ。よく戻ってきたね、グステル」


 そんな噂を流されてどこにも嫁がせることができなくなったはずの娘を、なぜか満面の笑みで屋敷へと迎え入れたダークブラウンの髪にグリーンの瞳の持ち主こそ、彼女の父親であるザロモ・マンフリード伯爵その人だった。

 そんな彼からは無理をして笑っている様子は一切見受けられず、むしろこの日を待ち望んでいたかのようにも見受けられたのだが。


「疲れているところ悪いが、すぐに報告(・・)してくれるかい?」

「もちろんです、お父様」


 それはこの家の特殊性に起因しており、グステルがおとなしく婚姻の解消を受け入れ生家へと戻ってきたのも、その部分が深く関わっている。だからこそ王都内でわずかな距離を馬車で移動しただけだからと、父親のうしろについておとなしく彼女も伯爵家の執務室へと足を踏み入れたのだった。


「それで? どうだったのかな?」

「お父様の予想通り、シュレーヒトゥ侯爵家は毎年の収穫量を実際よりも低く報告し、また本来よりも安い値段で仕入れたはずの資材ですら定価での購入と偽っておりました。最近ではそれらに加え、購入していないはずの大量の苗を帳簿に記載し全て枯らしてしまったとして、さらなる罪を重ねているようです」

「なるほど。それで、それらの金額は全てシュレーヒトゥ侯爵家の隠し財産行き、というわけか」

「嫡男であるコルトン様にも確認の書類が回ってきていたので、知らなかったと言い逃れはできないかと」


 使用人すら入れていない執務室の中、テーブルを挟んでそれぞれ向かい合ってソファーに座る父娘(おやこ)の構図はシュレーヒトゥ侯爵邸でも見たような光景ではあるが、その場の空気や会話の内容は全くの別物だった。

 夫の言葉に従順に従うだけだったはずのグステルは、三年間一度もシュレーヒトゥ侯爵邸では見せたことのないような真剣な表情で父であるマンフリード伯爵の質問に答えているし、伯爵もまたそれを真剣な表情で聞きながらも、どこか満足そうな雰囲気を醸し出していた。


「そうか、よくやった。そこまで詳細が分かっているのであれば、陛下もすぐに動いてくださるだろう」

「ご満足いただけたようで、なによりです」


 笑顔の伯爵から飛び出してきた陛下という言葉にも動じることなく、同じく笑顔でそう返すグステル。それはこのやり取りが二人にとって通常の出来事なのだという事実を、如実に表していた。

 そう。なにを隠そうマンフリード伯爵家とは、王家から貴族に関する情報の収集とその管理の一端を直々に任されている一族の一つであり、またその事実を知っているのは歴代の国王陛下のみという、ある種の諜報員の役目をはたしている家柄なのだ。

 他にどれだけの家が、どこでどれだけの情報を集めているのかなどという詳しいことは、彼らにも一切明かされていない。それら全てを把握している人物こそが国王陛下ただ一人であり、そして彼らの役目は直々に国からの要請を受けて疑わしい貴族を調査し、白黒ハッキリさせるというものなのだから。そこに他の家についての詳細など、知る必要もないということである。


「あぁ、それともう一つ。愛人に子供ができたという件ですが」

「そういえば、社交界ではすでにその話題で持ち切りだそうだな」


 マンフリード伯爵家は傷心の娘の心の傷を癒すため、しばらくの間は社交界に顔を出さないことを決定しているので、詳細は別の伝手(つて)を使って手に入れている状態だ。だが今は注目の的になるよりも噂が過ぎ去るのを待つほうが賢明なので、傷心の娘など存在しないがそういった形を取っていた。そもそも変に注目されすぎては社交の場で情報を集めるどころではないので、あえて今回は顔を出さないという選択をしたにすぎない。さらに言ってしまえば、グステルが手に入れた情報をまとめるのにこれから忙しくなるので、そのためにもちょうどいい口実だった。

 だが彼女が持ち帰ってきたのは、疑わしきはやはり黒だったというだけのものではなかったのだ。


「どうやら相手の令嬢のお腹の中にいるのは、コルトン様のお子様ではないようなのです」

「ほぅ?」


 興味深そうに身を乗り出したマンフリード伯爵に、グステルはニッコリと笑ってみせる。


「そもそも三年もの間、わたくしだけでなく大勢の愛人の下にも通いながら、一度も子を成すことができなかったお方ですから。もともと常に監視させてはいたのですが、念のため愛人たちにもそれぞれネズミ(・・・)を潜らせていたら、面白いことが判明したのです」


 マンフリード伯爵家に生まれた人間には男女関係なく、自由に動かすことのできる人物が最低でも十数名ほどつけられている。彼らの役割は主人の目の届かないところへの潜入や情報収集なのだが、伯爵家ではそんな彼らのことをあえてネズミと称していた。それはどこへでも気づかれずに潜り込めるという意味合いを持っているのであって決して蔑むような言葉ではなく、むしろマンフリード伯爵家の人間も彼らに仕える人物たちも、その名前に誇りを持っているのだ。

 しかしそんな彼らを数多くの愛人に割くなど、人によっては無駄な労力だと吐き捨てることもあるだろう。だが情報というものはどこに転がっていて、いつ何時どういった形で手に入れることができるかなど誰にも分からないので、ある種の賭けのようなものなのだ。そして今回に限っては、グステルがその賭けに勝ったというだけのこと。


「お相手の子爵家のご令嬢は、コルトン様の他にも情を交わしているお相手が複数いらっしゃったそうなのですよ」


 そして実は妊娠が発覚した時期的にも、ある一人の人物がお腹の中の子の父親として最も有力なのではないかということなのだが、この有力候補というのが問題だった。


「彼女は貴族だけでは飽き足らず、使用人や挙句の果てには平民にまで手を出していたそうなのです」


 しかも最も入れ込んでいたのがその平民だったというのだから、本当におかしな話だろう。

 そんなこととは露知らず、自分の子だと信じて疑わないコルトン・シュレーヒトゥはその子爵令嬢を新しい妻として迎えることを決定してしまっており、さらには一家で浮かれ切っているというのだから。これを喜劇と言わず、なんと呼べばいいのか。


「つまり、たとえ無事に生まれてきたとしてもシュレーヒトゥ侯爵家の嫡男には似ても似つかない、全くの別人の子になるということか」

「髪と瞳の色が似ている分、違いはひと目で分かることでしょう」

「平民ということは、我が家よりもさらに濃い色合いを持っている可能性が高いからな」

「報告によりますと、そのお相手はダークブラウンの髪と瞳の持ち主のようです」


 奇跡的に母親と全く同じ色合いで生まれてこない限り、血縁関係がないことがひと目で明らかになってしまうのだ。そしてその確率は、彼らの体感ではかなり低い。

 そうでなくとも成長するにしたがって違いはますます浮き彫りになるだろうことを考えると、どこかでは必ず疑いの目が向けられることになる。


「ようするに、私たちはなにもせずにこのまま待っているだけでも、シュレーヒトゥ侯爵家が勝手に真実を暴いてくれると、そういうことか」

「はい。ですがそれだけでは万が一ということもありますので、こちらも準備を進めておくべきかと考えております」

「そうだな」


 人好きのするよく似た表情で笑みを浮かべている父と娘だが、現実その腹の中は闇に溶けてしまいそうなほど黒く、また大変計算高かった。コルトンだけでなくシュレーヒトゥ侯爵家の人間は全員このグステルの表情にだまされて、彼女を控えめでおとなしい娘だと認識していたのだから、ある意味でお墨付きと言っても過言ではないだろう。


 そうしてこの一年半後、生まれてきた子供の髪の色も目の色もシュレーヒトゥ侯爵家の人間とは似つかないということで、ようやく真実を知ったコルトンが愛人と離婚しグステルに復縁を迫ってきたのだが、当然マンフリード伯爵家がそんなことを許すはずもなく。さらに王家が極秘に行っていた一年間の調査と提出された書類の金額がどうやっても合わないということで緊急で王命が発動され、ここ十年以上の報告書を精査した結果シュレーヒトゥ侯爵家が税を不当に着服していたとして、横領の常習犯として爵位を強制的に取り上げられることが決定したため、そもそも伯爵令嬢との婚姻が認められるような身分ですらなくなってしまったのだった。


 結果的にシュレーヒトゥ侯爵家の名前はこの国から消えることになり、さらに彼らの行いは王家だけでなく国をも欺く最悪の行為だと判断され、最も過酷と言われる鉱山労働者として強制的に連れて行かれることとなったのだが、実はまだこの話には続きがある。

 それは事件も落ち着きを見せ、社交界も普段の様子が戻りつつあった頃のこと。


「え!? 元マンフリード伯爵令嬢が妊娠!?」

「えぇ。子供が産めないのであれば貴族には嫁がせられないということで、伯爵家に仕えている使用人の一人と密かに婚姻を結んでいたことは知っているでしょう?」

「もちろんよ! あのときは、いくら子供が望めないとはいえ伯爵様も酷なことをなさるものだと、みんなで驚いたことを覚えているもの」

「それなのに、令嬢は婚姻後すぐに問題なく妊娠したということは、つまり……」

「え。もしかして子供を望めない体だったのは、令嬢のほうではなかったってこと……?」


 そんな噂があちらこちらで飛び交うようになっていたのだが、彼女たちはその話を聞いて再びグステルへと同情したのだった。子供を産める体だったのであれば、もう一度正式な手順を踏んでどこかの家の令息と夫婦になることも可能だったはずなのに、と。


 だがこの話の真実は、少しだけ彼女たちの想像とは違っていた。

 グステルが生家であるマンフリード伯爵家に帰ってきたあの日、執務室で最後に交わされた親子の会話は、悲壮感とは無縁のもので。


「ところでお父様。わたくしがシュレーヒトゥ侯爵家へと嫁ぐ際にお約束した内容を、覚えていらっしゃいますでしょうか?」

「あぁ、もちろんだよ。グステルの希望通り、使用人との婚姻を認めるよ」

「うふふ。ありがとうございます、お父様」

「その代わり今後もマンフリード伯爵家に留まり、私たちとは別の形でネズミたちを自在に操りなさい」

「えぇ、もちろんですわ」


 貴族として生まれた以上、政略結婚は避けては通れない。しかも秘密の多いマンフリード伯爵家の令嬢ともなれば、なおさらその傾向は強かった。

 だが同時に、グステルには思い合う相手がいた。もちろんお互いに叶わぬ恋と理解していて、決して触れ合うようなことすらしてこなかったが、その思いだけは彼女にとって唯一忘れることのできないものだったのだ。

 だからこそグステルは、不正の調査のためシュレーヒトゥ侯爵家の嫡男へ嫁ぐようにと調査書を渡されるのと同時に父であるザロモ・マンフリード伯爵から伝えられた際、一つだけ条件を出していた。もしも自分が出戻るようなことがあれば、その時はきっとどこかの後妻におさまる未来しか残されていないだろうから、それならばいっそこの家の使用人とでも結婚してマンフリード伯爵家の人間として役立ててほしい、と。

 他人には理解できないかもしれないが、彼女は生家であるマンフリード伯爵家のことも、この家が担うべき役目にも愛と誇りを持っていた。それは愛する人と共にあることと並べても、優劣をつけられないほどには。そしてそのことを父親である伯爵自身もよく理解していたので、どうせどこかの家の後妻に出してしまうくらいならと了承していたのだった。


 つまりこの結末は、グステルが最も望んだ形におさまったということ。


 ここで注目すべきなのは、彼女は決して結婚相手であるコルトン・シュレーヒトゥに不義理を働いたこともなければ不妊のための薬を盛ったことすらないにもかかわらず、自然とこの流れができあがったというところだろう。

 神の仕業か、それともこれがグステルの運命だったのか、今となっては誰にも真実を知ることはできないのだが。ただ一つだけ確実に言えることがあるとすれば、それは――。


「本当に、よかったのですか?」

「計画通りなので問題ありません」


 時折不安そうに問いかけてくる今の夫に、彼女は心からの笑みを浮かべて楽しそうに毎回こう返しているという、その事実だけである。

 


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