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記憶がないのは誰かのせい?

(記憶……?何のこと……?)


 先生の言葉に引っ掛かりを覚えて振り返る。

 けれど、そこにハーヴィー先生の姿はもうなかった。


(……聞き間違いかな)


 曖昧な不安を振り払うように前を向いて、再び歩き出そうとしたそのときーー


 頭の奥に、誰かの低い声が響いた。


『悪い生徒……ですね』


 耳元ではなく内側に直接囁かれたようなその声に、心臓がドクンと跳ねる。

 その声と共に浮かんできたのは、さっきまで私を心配してくれていたハーヴィー先生の顔だった。

 

(っ……!!)


 頭に鋭い痛みが走った。

 次の瞬間、温かいものがじわじわと脳内に広がっていく。


 それは、私が無くしていた記憶ーーこの世界に来た直後の記憶だった。


ーー1ヶ月前。


前世の記憶を持ってこの世界に来た私は、突き動かされるように、ハーヴィー先生の研究所へ向かっていた。


 危険な場所だということはわかっていた。

だけど、この世界がどのルートに入ろうとしているのか、どうしても確かめておきたかった。


 研究所の入り方は、原作で説明されていて、暗証番号と合言葉を入れれば私でも簡単に侵入できた。

 そして、研究所に足を踏み入れたその瞬間ーー


 私は見てしまった。


 大量の魔力を蓄えた巨大な装置と、その装置の中に眠るひとりの女性を。


(……マーヴィンの、お母さん……)


 女性の顔を見て、言葉を失った。


 重い病に倒れたはずの彼女が、まだ生きている。

 魔力に満たされたカプセルの中で、無理やり命を繋ぎ止められていた。


(……なんとなく、嫌な予感がしたけど……当たってしまった……)


 この瞬間に……私は確信してしまった。

 この世界は、戦争ルートに入ろうとしている。


 装置に蓄えられた魔力は、まだ三分の一程度。

 けれど、それが満たされるときーー魔力は一気に、装置の中で眠るマーヴィンの母へと流れ込む。


 そして彼女は、史上最悪の兵器へと変わってしまうのだ。

 その結果、数え切れないほどの命が奪われる。


(……これはもう、確定なの……?)


 戦争が起きないルートでは、マーヴィンの母は既に亡くなっている。

 彼女がここで生きているということは、戦争が起こる確率は限りなく高いということだ。


 画面越しに見ていた地獄が、今まさに現実として迫ってきている。

 恐怖と混乱で、頭が真っ白になった。


 けれど今は、とにかくここから出なければならない。


(……ハーヴィー先生が戻ってくる)


 私は装置から視線を外し、慌てて扉へと向かった。

 だけど、そのときーー扉の向こうから足音が聞こえてきた。


 ハーヴィー先生が戻ってきたのだ。


 扉が開き彼が部屋の中へと入ってくる。

 一言も発することなく無表情のまま部屋を見渡す。

 そして、静かに逃げ道を断つように、扉を閉めた。


 言葉もなく怒声もなく、彼はじわじわと私に近付いてくる。

 無言の圧力に負けて私は思わず一歩、また一歩と後ずさった。

 そして、背中が壁に触れた瞬間ーー悟った。


(……もう、逃げられない)


 恐ろしいほど冷めた目で、ハーヴィー先生が私を見下ろしている。

 そこには、いつも穏やかで優しかった先生の面影はない。


(逃げられないなら……せめて)


 私がどんな言い訳を並べたところで、彼が黙って見逃してくれるはずもない。

 それならーー私の言葉で何かが変わる可能性にかけるしかないと思った。


『……お願いです、ハーヴィー先生。戦争なんて、やめてください……』


 絞り出すような声で、彼に訴えかけた。

 ハーヴィー先生は一瞬だけ意外そうに目を開いたが、すぐにその目を細めた。


『あなたは、悪い生徒……ですね』


 彼の大きい手が私の頭に伸びてくる。その仕草は撫でるように優しく、一見生徒を諭しているようにも見えた。

 けれど、次の瞬間ーーその指先から冷たい魔力が染み込んでいく。


『ふふっ……あははは!試してみたかったのです、この魔法を』


 ハーヴィー先生は笑っていた。

 子供のような、恐ろしいほど純粋な笑顔で。


(……やめて……)


 必死に抗おうとしても力が入らない。

 どんどん視界がぼやけていき、彼の楽しそうな声だけが頭に響いている。


『どこで覚えたか知りませんが……変な知識を持つなんて、いけない子ですね』


 愛おしいモルモットに語りかけるような、不気味なほどに甘い声で、彼は囁いた。


『……さあ、いい子に戻りましょう。

アイーダーー』


 その声を最後に、私は意識を手放した。


 次に目を覚ましたときには、保健室のベッドの上にいた。

 どうしてここにいるのか、何があったのか、そのときは何一つ思い出せなかった。


ーーでも、今ならわかる。


(私はあのとき……記憶を奪われたんだ)


 ずっとおかしいと思ってた。

 こんな大事なことを、どうして忘れてたんだろうって。


 何度もプレイしたはずだった。

 アルフレッドルートも、他のルートも、何度もクリアして結末を全て見届けたはずだった。

 なのに、それを忘れていたなんて。


(……全部、ハーヴィー先生のせいだったんだ)


 ハーヴィー先生に、記憶を操られていたから。


(じゃあ、アルフレッドが死ぬ夢を見るようになったのは……ハーヴィー先生の魔法が弱まっていたから……?)


 封じられていた記憶が、少しずつほどけ始めていた。

 そしてそれが、完全に戻ったのはーーリディアと握手を交わしたときだった。


 偶然か意図的かはわからない。

でも、確かにあの瞬間から私の記憶は蘇り始めた。


(もし、リディアが意図的にやっていたとしたら……)


 出会ったときの彼女が頭に浮かぶ。

 完璧な笑顔の奥にある怒っているような目、微かに震える指先。

 そしてーー


『よろしくね。……アイーダ』


 初対面のはずなのに、彼女は私の名前を呼んだ。

 モブである私を、隣国の王女が知っているなんてーーそんな偶然、あるはずがない。


(リディアはきっと、私のことを知っていた。そして……ハーヴィー先生の魔法を解いてくれた)


 だけど、それは何故?目的は何?

 彼女に関する謎は深まるばかりだった。


(……でも、今は考えている暇なんてない)


 私がやるべきことは、戦争を止めること。


 もう戦争の準備は始まってる。

 残されたルートは2つしかない。

 アルフレッドルートと、マーヴィンルート。


(……でも、アルフレッドルートは絶対ダメだ。戦争を止めるなら……マーヴィンルートしかない)


 本当にギリギリのタイミングだけど、

 装置に魔力が満たされる前に、リディアがマーヴィンの心を救うことができれば、戦争は回避できる。

 この戦争には、マーヴィンと、マーヴィンの母の力が必要不可欠。


(つまり……それまでに、リディアとマーヴィンの関係を深めておく必要がある)


そうすれば、最終章でリディアがマーヴィンの心の支えになってくれるはずだ。


そしてーー最後の選択。


“マーヴィンに手を伸ばす”か、

“アルフレッドを選ぶ”か。


 その一手で、戦争が終わるか始まるかが決まる。


(この選択肢を外したらもう……後戻りはできない)


 私にできることは、リディアにマーヴィンを選ばせること。

 たとえ、その選択でアルフレッドが傷付くことになったとしても。


(……負けられない)


 誰も死なせない。

 絶対に、戦争を止める。


 そのためなら、何だってやってやる。


 大好きな両親、大好きな攻略キャラたち、そしてーー大好きなこのゲームの世界を。


(モブの私が、絶対にこの世界を救ってやる)





【Other Side】


ーー夜。

 研究塔の最下層、窓のない地下室。


 静まり返った暗い部屋に装置の淡い光だけが、ハーヴィーとマーヴィンの影を壁に長く伸ばしている。

 その装置の中心には、一人の女性が眠っていた。


「アイーダが記憶を取り戻したようです」


 部屋にハーヴィーの声が響く。

 その声音は穏やかでありながら、どこか愉しげでもある。


「……最近少し術の効果が弱まっていたので警戒はしていたのですが……やはり彼女の魔力が抵抗してきたようですね。このままでは計画に支障が出ます。どうしますか?」


 装置の側に立つマーヴィンはわずかに視線を動かしただけで、驚いた様子はない。


「では、もう一度……記憶を封印してみては?」


 マーヴィンの声は静かだった。

 冗談なのか本気なのかその境界が曖昧すぎて、ハーヴィーは返答に迷う。


「……あれがどれだけ魔力を消費するか、わかってます?再び使うことは、当分は無理です。……知ってて言ってますよね?」


 ハーヴィーは、手元の魔力残量を示す水晶に目を落とした。淡く光る紫が、限界を告げている。


「ええ、もちろん。わかっていますよ」


 マーヴィンはゆっくりと装置の前に歩を進め、そのガラス越しに母の顔を見つめる。

 その横顔には感情はほとんど宿っていないけれど、どこか諦めと祈りが交差していた。


「まぁ、結界を張っておけば問題ないでしょう。……彼女程度が何かできるとは思えませんし」


 マーヴィンの返答にハーヴィーの動きが止まる。

 少しの間を置いて、ハーヴィーはぽつりと漏らした。


「……本当に、そう思ってます?」


 ゆっくりとした仕草で魔法装置の横のモニターの電源を入れるハーヴィー。

 魔力測定でアイーダが石柱を破壊している映像が再生される。

 淡い青の閃光が映り、崩れる石の音が鳴り響いている。


「彼女は今日、買い替えたばかりの石柱を壊したのです。この結界すらも破るかもしれませんよ」


 マーヴィンはそのモニターの様子を横目で見ると、ため息交じりに呟いた。


「……それは、面倒ですね」


 扉の方へと向きを変えるマーヴィン。

 その背中を見送りながらハーヴィーは無表情のまま口を開いた。


「彼女の様子を、逐一私に報告してください」


 命令とも言える彼の頼みにマーヴィンは振り返りもせずに答える。


「わかりました。ちゃんと見張っておきますよ、先生」


 その声に従順さも反抗もなかった。

 ハーヴィーが小さく息を吐き、部屋には再び静寂が戻ってくる。


 彼らの間にあるのは信頼とは違う。

 ただ目的が一致しているだけの冷たい協力関係。


 だがーーその関係がアイーダの手によって破られようとしていることを、二人はまだ知らなかった。

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